蟋蟀庵便り

山野草、旅、昆虫、日常のつれづれなどに関するミニエッセイ。

小人閑居して……

2017年06月23日 | つれづれに

 スケジュール表の余白が次第に増えていく……歳を取るとは、そういうことかもしれない。かつては求めなくてもスケジュール表が埋まっていたのが、今では殆ど空白のまま日々が過ぎていく。何か事が終わる度に、次の予定を探している自分がいる。
 もう不善を為すこともないが、それでも小人が閑居していると、ともすれば後ろ向きの気持ちになりがちである。世情政情いい話は何もなく、傲岸不遜な政治家共のあくどい言動に腹を立てるばかりでは、精神にいい筈がない。
 憂さ晴らしに、博多座大歌舞伎・八代目中村芝翫襲名披露興行昼の部に声を掛けに出掛けた。この前は1階席で間近に役者たちの熱に浸っていたが、今回は大向こうから声を落とす。「飛梅会」の先達たち3人に混じって、自己陶酔の4時間だった。

 はねた後のロビーで、偶然博多座の社長に出会った。役員会・株主総会の直後だったと、あとで知った。在任7年、大変な累積赤字を引き受けて、3年目に黒字転換、5年連続黒字経営を成し遂げ、最後の興業である芝翫襲名も集客良く、有終の美を飾った退任となった。2016年の決算は売上高前期比32.5%増、リーマンショックの2008年以降最高だったという。純利益も前年比43.3%増、公演回数404回、入場者数47万689人、前年比27%増……見事な経営手腕である。
 主宰する「はしばみ会ーーたまには歌舞伎を観よう会」が、ささやかながら貢献したと思って、カミさんも満更でもない様子だった。因みに、今回の襲名披露公演に、カミさんが動員した数は106人に及ぶ。個人でこれだけ動員できる会は、博多座には二つとない。
 彼は、高校同期の学友である。(修猷館高校では「館友」という)束の間の出会いだったが、カミさんと二人で7年間の功労を誇らしく讃え「お疲れさん」と握手して別れた。

 アマガエルが、今朝も夜遊びを終えてちゃっかりお気に入りの月下美人の葉に戻って鎮座していた。午前中、月一の読書会で「伊勢物語」6~8段目を読んで帰る途中、ふと千穐楽最後の夜の部をもう一度観たいと思った。カミさんだけが友人と行く予定だったが、無理に割り込んで最後の声を芝翫親子に贈ることにした。千穐楽の夜の舞台だから、当然3階席は既に満席という。仕方なく2階席の空席を押さえ、そこを友人に贈り3階席を譲ってもらうことにした。
 「これで、次の予定が出来た!」……何だか、予定表を埋める為に行動しているみたいで可笑しい。

 休んでばかりいる今年の梅雨、ようやく明日の午後辺りから本格的梅雨空になりそうだ。降らねば旱魃の不安があるし、降れば降ったで豪雨禍が心配になる。「ほどほどに」を忘れた最近の天候である。
      時により 過ぐれば民の嘆きなり
             八大竜王 雨やめたまへ
 源実朝の歌を、今年も唱えることになるのだろうか?

 天は無情……市川海老蔵夫人・小林麻央さんが2年8か月の闘病のあと、昨夜旅立った。34歳、あまりにも早すぎる……悲しみを押さえて今日も舞台をこなし、記者会見に臨んだ海老蔵が懸命に涙をこらえようとする。
 「我慢しなくていい、思い切り涙を流していいんだよ」
 心で呼びかけながら、こちらも涙をこらえていた。

 今日は「沖縄慰霊の日」……涙なしには送れない一日を悼むように、オオバギボウシが今満開である。
                  (2017年6月:」写真:オオバギボウシ)

雨鳴きカエル(Raincall)

2017年06月15日 | つれづれに

 椿の木陰に置いた月下美人の蕾の傍らに、小さなアマガエルが蹲っていた。今日も、眩しく晴れ上がった朝である。
 雨が降らない。梅雨入りの日に終日おざなりの雨粒を落とし、夜半ひとしきり降ったあと、雨マークが予報から消えた。4月以来の降雨量は、例年の半分にも満たないという。大地が乾ききって、またぞろ野菜の値段が気になる日差しである。程よい日差しは作物を大きくする。しかし、度を過ぎた日照りは萎えさせてしまう。
 今朝の気温は15.4度、昼間の最高気温は30.9度.蛇行する偏西風で冷たい空気が流れ込み、朝晩は5月のように肌寒く、昼間は真夏の暑さが老体を叩く。温度変化に対応力が弱くなったのか、カミさんも私も寝冷え風邪気味である。

 水を撒く度に蘇ったようにキコキコと鳴きたてるアマガエルも、そろそろ水が恋しくなったのだろう。キロっと開いた眼差しに焦りの色を感じるのは気のせいだろうか。
 水辺に住むと思われがちな蛙の中で、このニホンアマガエルは木々の間で生息する。可愛い顔しているが、これでけっこう曲者。体表を覆う粘膜には毒があって、触るだけなら何という事もないが、その手で目や口を触ったり、手に傷があったりすると、激しい痛みに襲われたり、時に失明することもあるという。周囲の環境で背中の色を替えるという保護色の裏技も持つ、忍者のような曲者なのだ。
 前足4本、後ろ脚5本の指には吸盤があり、時に我が家の勝手口の蛍光灯の下でガラスに貼りつき、灯に寄ってくる虫を待っていることもある。我が家のこの場所は、ヤモリとのシェアハウスである。ある程度の乾きには強く、人里の生活に順応しているから、さしあたり絶滅の心配はないようだ。
  
 ネットに、こう書いてあった。
 ……普通のカエルは繁殖期の夜に鳴くが(広告音)、ニホンアマガエルは「雨蛙」の和名の通り、雨が降りそうになると繁殖期でなくとも、昼間でも鳴くのが大きな特徴である。この時の鳴き声は「雨鳴き(あまなき)」「レインコール(Raincall)」などとよばれ、繁殖期の広告音と区別される。その他、春先の暖かい日に冬眠から覚めた際や稲刈の際にも、また晩秋には雨と関わりなく、レインコールに似た「クワックワックワッ」という甲高い鳴き方をする……

 こんな昔話も書いてあった。
……むかしむかしある所にアマガエルの親子がすんでいた。しかし子ガエルは大変なヘソ曲がりで、親ガエルの言いつけと反対のことばかりやっていた。
 いよいよ死ぬという時に、親ガエルは(墓が流されないように、山の上に墓を作ってもらいたい。しかしこいつは言いつけと反対のことをするから…)と考え、「墓は川のそばに建ててくれ。」と言い残し死んだ。
 ところが子ガエルはこの時になって反省し、「遺言は守らなければならん」と、本当に川のそばに墓を建ててしまった。そのため雨が降りそうになると「親の墓が流される」と泣くのだという。……

 4鉢の月下美人に30輪近い蕾が着いた。春先から葉に茶褐色の斑点が拡がり、何枚かの葉を切り落とした。何かの病気だろう。なんせ、40年以上も代を重ねてきた古木である。そろそろ寿命かなと、今年の開花は半ばあきらめていたところに、かつてない数の蕾である。幾つかは自然摘花で赤く染まって落ちるのだろうが、思いがけない楽しみが芽生えた。

 日が差し始めると、アマガエルは近くの葉陰に飛び移って姿を消すが、夕方になるとまたお気に入りのこの葉先に帰ってくる。今夕も冷たい井戸水をホースで撒いて、焦りの色を消してやろう。
 私にとっての雨鳴きは、やはり「キコキコ♪」と聞こえる。曲者ながら可愛いやつである。

 雨が降らない。向こう1週間の予報に、雨マークは全く見当たらない。
                (2017年6月:写真:葉先に憩うニホンアマガエル)

なんでもない朝

2017年06月12日 | つれづれに

 鈍い曇り空の下で緑を濃くした木立を大きく揺らしながら、ざわざわと風が鳴った。梅雨時で少し湿った枯れ落葉を覆うように、緑の草が伸びはじめていた。早朝の「野うさぎの広場」は今日も人影はなく、朽木のマイベンチに坐って、少し肌寒いほどの緑の風と静寂をほしいままにしていた。
 休館日の九州国立博物館。7月11日から始まる2万年前の洞窟壁画「クロマニヨン人が見た世界・ラスコー展」まで、しばらくは静かな日々が続く。
 ショルダーバッグに付けたカウベルと、腰に提げた山岳用の緊急ホイッスル……少し大げさなイノシシ対策に一人照れながら、朝の散策に出た。昨日午後から夜まで、椅子に座り続けて軋んでいる膝と腰をリハビリする為の一人歩きだった。

 NHK文化センターの特別講座「八代目中村芝翫襲名披露・六月博多座大歌舞伎の見どころ・裏話・お楽しみ」……元NHKアナウンサーの葛西聖司さんの軽妙で奥深い話は素晴らしかった。NHK歌舞伎番組の解説でお馴染みだった彼は、大阪転勤した後、近年お目に掛かることが少なかった。久し振りに、初めて手が届く距離でお目に掛かって「あァ、お年を召されたな」と思ったが、お話の何と楽しかったこと!
 マイクなしの博多座地下2階の稽古場で、受講者の間を縦横に歩き回りながら、あっという間に全員を歌舞伎の世界に引き込んでいく。歌舞伎の演目も、役者も、せりふも、所作も、浄瑠璃や長唄も、歌舞伎の全てを知りつくし、肌に染み込ませた彼の話は、淀みなく軽妙に、演目の言葉と所作のさわりを分かりやすく解きほぐしていってくれた。「連獅子」の長唄の言葉と所作の意味合い、「天衣紛上野初花」の河内山宗俊の七五調の名せりふ(「待ってました!」と声を掛けたくなった)、「藤娘」の踊りに隠された嫉妬に狂う女の情念……そうか、これが本当の歌舞伎の見方、味わい方なんだと実感しながら、1時間半はあっという間だった。
 先日1階席で観た昼の部を、もう一度3階席から声掛けながら見たい!……本音でそう思わせる楽しい講座だった。

 そのまま興奮冷めやらない歌舞伎仲間7人で、初めてうち揃って夜の部の3階席になだれ込んだ。博多座大向うの会会長から「今夜は行けないから、声掛けよろしく」と言われているから、張り切らざるを得ない。しかも、今夜は仲間たちと一緒である。いつにも増して緊張感で定式幕が引かれるのを待った。
 近松の「信州川中島合戦・輝虎配膳」の魁春(加賀屋)、梅玉(高砂屋)、菊之助(音羽屋)、児太郎(成駒屋)で声を慣らし、「口上」でここぞとばかり声を張り上げる。歌舞伎座の襲名披露口上には及ぶべくもないが、久し振りに地方都市には勿体ないほどの顔ぶれが揃った。
 「成駒屋~ッ!」……掛け声が舞台に向かって落とされる中で幕が開いた。藤十郎(山城屋)、時蔵(萬屋)、鴈治郎(成駒屋)、菊之助(音羽屋)、東蔵(加賀屋)、菊五郎(音羽屋)、梅玉(高砂屋)、魁春(加賀屋)、児太郎(成駒屋)、そして四代目芝翫(成駒屋)の襲名口上に続き、3兄弟の四代目橋之助、三代目福之助、四代目歌之助が瑞々しく口上を述べた。
 舞台下手に慎ましく坐った芝喜松改め梅花(京扇屋)の披露まであって、万雷の拍手に包まれた豪華な口上の舞台だった。

 お目当ての黙阿弥原作による「祝勢揃壽連獅子」。父と3人の子が舞う。牡丹の花に戯れ、獅子の狂いをみせ、「髪洗い」、「巴」、「菖蒲叩き」の所作を見せて、豪快華麗な「毛振り」へと盛り上げていく。
 「連獅子」を観ると、どうしても亡き勘三郎と二人の息子たちの「三人連獅子」が思い出される。勘三郎の親獅子は、師としての峻烈な目で息子たちの踊りを見据えていた。この日の芝翫の親獅子は、役者として成長を続ける息子たちを温かく見詰める、父親としての慈愛の眼差しだった。
 藤十郎の文殊菩薩、時蔵の慶雲阿闍梨、梅玉の昌光上人が色を添える。86歳の藤十郎は、圧巻の存在感だった。

 落語を素材とした上方人情喜劇「幸助餅」は、緊張を解いた気楽な声掛けで閉じた。隣りの女性に「お騒がせしました」と頭を下げる。歌舞伎に不慣れな博多座では、時として大向うの声掛けを咎めるように見る目がまだある。
 「とんでもない、長く歌舞伎を観てきましたけど、大向うの声を隣りで聴きながら観たのは初めてです。楽しかったです」と暖かい言葉を戴き、ほのぼのしながら軋む膝と腰をなだめて夜の街に出た。

 散策路から降り、2頭のイシガケチョウがもつれながら谷筋に舞い降りていくのを見やって、太宰府天満宮に出る。今日はこころなしアジア系観光客も少なく、心字池に掛かる太鼓橋の袂は、美しい紫陽花の彩りに包まれていた。風邪を引いて喉をいためているカミさんへの土産に、参道の新しい店「Kingberry」でイチゴの王様「あまおう」を使ったチーズケーキを買う。お隣の若夫婦が開いた可愛いスイーツのお店である。店員さんみんながイチゴに見える。
 1時間半、7000歩を歩き、ようやく膝と腰の軋みもほぐれて来た。
 
 お昼を食べたところで、テレビで市川染五郎(高麗屋)の十代目松本幸四郎襲名のインタビューが始まった。幸四郎は二代目松本白鴎となり、息子の金太郎が八代目市川染五郎を襲名するという、三代同時襲名である。こうして名跡を襲ねながら、400年の伝統芸能が次の世代に引き継がれていく。
 藤十郎の86歳の元気にあやかり、この若く、あるいは幼い役者たちが中堅に育って行くまで、私たちも齢を襲ねていけたら……薄日が差し始めた庭を見ながら、しんみりと昨夜の余韻を噛みしめていた。
                (2017年6月:写真:太宰府天満宮紫陽花の心字池)
  

隠居道楽揃い踏み

2017年06月04日 | つれづれに

 六月博多座大歌舞伎・八代目中村芝翫襲名披露公演(昼の部)から帰ると、庭に綺麗な箒目がついていた。見やった先の松の古木がすっきりと剪定されていた。留守中、植木屋さんがはいったらしい。夏を迎える準備が、もうひとつ整った。

 前から3列目、なかなか手に入らない上席である。博多座大向う・飛梅会会長による「歌舞伎のミカタ」中級講座。初級から参加しているうちに気の合う仲間が自然に集い、7名の会が出来た。講座を終えて、近くの喫茶コーナーで歌舞伎談義に耽るのが恒例になった。読書会や古典文学講座と同様、何故かこの会も男は私一人である。花に囲まれて、果報なひととき……とは言っても、輪の中心には常にカミさんがいるから……私は楽チン楽チン。
 その仲間の一人、音羽屋後援会会員の彼女が確保してくれた席だった。菊之助が「藤娘」を踊る。今最も輝いている女形の一人、「これが見納めかもしれないから、近くで観たい!」というカミさんと私の希望……以前は、高齢の役者の舞台を「見納め」という気持ちで見ていたが、最近は自分たちが高齢だから「今のうちに見ておかないと」という意味での「見納め」なのだ。歌舞伎仲間2人と4人で、「芝、はし、ふく、哥」と4人の名前を図案化したお祝いの緞帳を見上げて、開幕の杵を待っていた。
 3階席からの声掛けの楽しみは、後日夜の部の「口上」にとってある。

 「菅原伝授手習鑑・車引」……中村獅童が肺腺癌で急遽休演となり、橋之助改め芝翫が代役で松王丸をつとめた。梅王丸を国生改め橋之助、桜丸を宗生改め福之助、杉王丸を宜生改め歌之助と、親子4人の同時襲名の顔ぶれが舞台に揃うことになった。獅童には申し訳ないが、思いがけない儲けものの展開である。ひたむきに務める三兄弟と、父親と師の立場で温かく厳しく見詰める芝翫と、一生に一度の心に残る襲名舞台だった。(歌舞伎談義はカミさんの領域だから、敢えて触れない。)
 此処では……3列目は、役者と目が合う席である。先日の太宰府天満宮参道のお練りでの声掛けと、食事が終わって偶然出くわし、博多座社長に紹介されて言葉を交わして芝翫さんと握手を交わして、「成駒屋~っ!」と声掛けて見送った4人である。目線が合う度に、何となく覚えていて目線を送ってくれているような気がして、独りよがりにときめいていた。

 「藤娘」……菊之助の美しさに、ただただ酔った。
 幕間に、今日も絶妙な声を聴かせていただいた飛梅会のA会長と話を交わす。「菊之助の藤娘は、実は平成9年以来2度目なんですよ。だから、初役みたいなものです」という。やっぱり、1等席で観てよかった。
 「彦山権現誓助剱:毛谷村」の菊五郎の余裕、「天衣紛上野初花・河内山」の芝翫の意気込み……「久し振りに、歌舞伎らしい歌舞伎を観た!」と高ぶる気持ちを抑えきれない4人は、例によって珈琲を喫みながら、夕方まで話し込んでいた。
 因みに、読書会は今「伊勢物語」を、そして古典文学講座は「仏教と落語」という新鮮な視点で学んでいる。

 翌朝、梅の実を捥いだ。もう目の前に梅雨入りが迫っている。雨が来る前に済ませようと、木の下にビニール傘を逆さまに開いた。1キロも採れたらいいと思っていたが、捥ぎ終わってみればなんと4キロもある。仕方なく、今年も梅酒を漬けることにして酒屋にホワイトリカーを買いに走った。14年物から2年物まで、既に一生分の20本余りの梅酒がキャビネットに眠っているが、少し歌舞伎仲間にも分けてあげることにしよう。
 梅酒3.6リットル(2升と言いたい旧い世代である)と夏用の梅サワー1リットルを漬けて、ラッキョウと併せて4瓶の揃い踏みを仕上げ、張り替えたばかりの真っ白な障子の前に並べた。襲名の4人の揃い踏みとは比べようもないが、これはこれで近年のご隠居の道楽揃い踏みである。
 さぁ梅雨よ、いつでもやってこい。
                   (2017年6月:写真:隠居道楽揃い踏み)

黄昏

2017年06月02日 | つれづれに

 週間天気予報に雨マークが並び始めた。

 澄み切った風と真っ青な空、たけなわの初夏が満面の笑みを浮かべたような爽やかな午後だった。まだ雨の匂いはしない。しかし、敏感な自然は既にその微かな匂いを敏感に捉えている。昨日、大きな青い実を着けた梅の木の下をユウマダラエダシャクがひらひらと舞った。梅雨の蛾……この儚い蛾が舞い始めると梅雨が近い。時折思い出したようにキコキコとアマガエルが鳴く。

 27度、身体がようやく夏型に順応し始めたが、まだ時折朝の空気が冷たく、ガスファンヒーターを置いたままにしていた。しかし、そろそろ潮時。ゴムホースを抜いて片付けた。序でに、リビングと寝室の加湿器、トイレの温風機のコードを抜き、フィルターを洗って拭き上げ、納戸に仕舞った。代わりに、扇風機をリビングに置く。寒暖温度差が激しい太宰府だが、ようやくこれで冬の気配を消して、夏への準備を整えた。

 3時間かけて庭木の後ろを這いずり回り、生い茂っていた羊歯や雑草を抜いて5月を送った。大きなゴミ袋3つが5月の置き土産である。
 綺麗になった庭に井戸水を存分に撒き、晴天続きで乾ききった庭に、瑞々しい緑を溢れさせた。汗にまみれたところに、Y農園の奥様からお誘いのメールが来た。
 「ラッキョウを抜きますけど、いらっしゃいませんか?」
 カミさんと車で駆けつけた。観世音寺の駐車場に車を置き、緑の境内を抜けて、イモカタバミが鮮やかに敷き詰める脇を抜けると、そこがY農園。
 備中鍬でさっくりと掘り起こしたもらって、ラッキョウを抜いて土を払う……初めての体験だった。幾粒も束になったラッキョウの茎を短く切って、およそ2キロほどの収穫を半分以上分けていただいた。丁度収穫期を迎えた赤玉葱を抜くお手伝いをして、帰り道に新玉葱まで頂戴した。
 晩白柚の木陰で束の間のお茶タイムをして、傍らにびっしり実を着けた甘酸っぱい枇杷の実までいただいて帰った。丹精込めた実りの数々である。

 買い足したラッキョウ1キロを加えて水洗いし、根と茎を切ってもみ洗いして薄皮を剥き、軽く塩を振ってしばらく置き、熱湯を潜らせて冷まし、風に当てて乾かす。ラッキョウ酢に漬け込んで鷹の爪を刻んで加えたら、昨年に続き、ご隠居特製のラッキョウの漬け上がりである。カミさんと二人で、向こう1年間カリカリした食感を楽しむことになる。

 雨が来る前に、梅の実も収穫しなければならない。1キロほど採れそうだが、さて梅酒にしようか、梅サワーにしようか……「梅酒は、もう一生分漬け込んであるしなぁ」と、まだ決めかねながら、黄昏の中で梅の木を見上げていた。
 カシワバアジサイ(柏葉紫陽花)、スミダノハナビ(墨田の花火)、色とりどりのツツジが、今満開である。夕顔も朝顔もオキナワスズメウリも、少しずつ育ってきた。ラカンマキの間から、カラスウリも蔓を延ばし始めた。夏から秋への蟋蟀庵の風情が、着々と準備を整えている。
 今年は何故か、八朔が殆ど花を着けなかった。消毒に来てくれた植木屋さんが「今年は裏作ばい。去年美味しかったけん、今年は我慢して高い八朔を買って食べんと」と笑う。
 この木の下には、推定600匹ほどのセミの幼虫が樹液を吸っている。毎年、この八朔の下から100匹余りが這い出て羽化する。6年以上を土の中で過ごすセミだから、この600匹という計算が成り立つ。セミに養分を吸い取られたせいでもないだろうが……まぁ、こんな年もあっていいだろう。

 爽やかな黄昏に、庭の花たちが一段と風情を添えた。シャワーを浴びて火照った身体に、撫でるように吹き寄せる夕風が心地よかった。黄昏……「誰(た)ぞ彼」……美しい語源である。
 水無月……雨の季節が、もうすぐそこまでやって来ていた。
                          (2017年6月:写真:黄昏る庭)