大向こうから「待ってました!」と声を落とす。間髪を入れずに、舞台の海老蔵が「待っていたとは、ありがてぇ!」と声を返す。清本の踊り「お祭り」のさわりに、海老蔵と差しで声を交わした快感は、浮き立つように心地よかった。
熊本県山鹿市に、明治44年に創建されたままの姿をとどめる芝居小屋・八千代座がある。諦めていた「市川海老蔵・古典への誘い~江戸の華~」のホテル付きチケットが、偶然ネットで手にはいった。
遠く南の海を北東に去った台風27号の余波の雨をしぶかせながら高速を走り、菊水ICで降りた。ホテルの露天風呂でトロリと肌に纏わりつく湯に浸り、ひと休みしてホテルの送迎車で八千代座に向かった。
幟のはためく下で、偶然博多座の声掛けの会会長のAさんに出会い、彼を通じて海老蔵の番頭さんに紹介され、家内が舞い上がる。一人でも歌舞伎ファンを育てたいという願いを込めて「たまには歌舞伎を観よう会」という団体を立ち上げ、今では100人前後の同好仲間を博多座に送り込んでいる家内にとって、これは嬉しい巡り合いだった。
個人でこれだけの数を動員する会はほかにないと、博多座の営業が一目置く存在である。(因みに海老蔵の番頭さんは、まだ30代と見受けられる若い女性だった。)束の間の会話を交わして「博多座で待ってます!」と声を残して桟敷にはいった。
歌舞伎通の家内に肘でタイミングを教えられながら、観真似聴き真似で声を掛けるようになって十数年……とは言っても、時たま歌舞伎座や国立劇場、新橋演舞場などで修行をすることはあっても、年に2度ほどしかやってこない博多座大歌舞伎で経験を積むだけだから、所詮は素人である。博多座でお知り合いになって以来、耳で学ばせていただいているAさんの渋く絶妙な声掛けには、勿論及ぶべくもない。「今日は、二人で頑張って声掛けましょう」と励まされ、面映ゆいことこの上ない。
清元「保名」はAさんでさえ難しいと首を傾げられる。これは本職に任せて、「口上」と「お祭り」で、「成田屋!」「十一代目!」と、Aさんの声に聴きほれながら、素人なりに存分に声掛けを楽しんだ夕べだった。
山鹿温泉の露天風呂を3度楽しみ、晴れ間の覗く空の下、秋を探しに山に走った。菊池渓谷を抜け、標高1000mほどの阿蘇外輪山の尾根を走るミルキーウェーを駆け抜ける。ススキは既に盛りを過ぎ、紅葉にはまだ早いという季節の狭間である。途中車を停めて、玄関の甕に差す為に、少し鮮度を残すススキを10本ほど刈る。根方にノコンギクの花が淡い秋色をちりばめて優しかった。
展望台から見はるかす阿蘇五岳は雨上がりの靄に霞んで、眼下の内牧の集落も鈍く沈んでいた。大観望を右に見ながら、やまなみハイウェーに抜ける。緑に覆われていた高原は既に枯れ草色に変わって、放牧されていた牛たちも既に小屋に戻ったのか姿は見えない。この高原ドライブの女性的でなだらかな景観は、四季折々いつ来ても飽きることがない。
瀬の本から左に折れ、黒川温泉に下った。黒川を抜ける辺りから右に折れ、いつもの「ファームロードわいた」に走り下る。ここまでくれば、勿論お馴染みの立ち寄り温泉「豊礼の湯」を家内が素通りさせるわけがない。貸切家族露天風呂が1200円コインを入れると、50分間かけ流しである。目の前になだらかな稜線を拡げる湧蓋山を見ながら、乳色に濁るお湯に浸って、この旅4度目の温泉を満喫した。
長いドライブの疲れもあるが、八千代座の少し傾斜した狭い桟敷席は足腰をしたたかに痛めつける。途中30分ほどの2度の休憩を挟み、延べ2時間半の苦行の報いが膝と腰にズッシリと残っていた。だから、この束の間の立ち寄り湯治はありがたかった。
キリッと冷え込んできた山間の蕎麦屋でお昼を摂り、小国に抜けて下城の大銀杏に寄る。年月を経た大銀杏の葉色に、まだ秋の彩りはない。傍らの店でいつものようにピーナツを買い、大粒の銀杏を求める。お婆ちゃんに先立たれ、たった一人で殆ど耳が聞こえなくなったお爺ちゃんが、自分で育てたピーナツを並べて、全て1袋100円である。キリよく1000円でピーナツを6袋と銀杏を4袋買うと、いつものようにピーナツ1袋をおまけしてくれた。「元気でね!」と聞こえない耳に叫んで、斜めに傾いた日差しの中を日田に下った。
260.3キロの、秋探しの旅だった。
(2013年10月:写真:八千代座にはためく市川海老蔵の幟)