蟋蟀庵便り

山野草、旅、昆虫、日常のつれづれなどに関するミニエッセイ。

そっぽ向く夏

2014年08月28日 | 季節の便り・花篇

 鉛色の雲のヴェールに顔を隠したまま、そそくさと夏が過ぎようとしている。8月の日照は記録的に少ない。雨、雨、雨の鬱陶しい毎日、こんな夏は経験がない。広島の甚大な被害のニュースに胸を痛めながら、ふと思う。こんな危険な場所を売りつけた土地開発業者への非難の声が出ないのは何故なのだろう?10年前の教訓をないがしろにした行政も、大いに反省するべきだろう。

 二夜連続して、月下美人が2輪ずつ咲いた。自分たちだけで愛でるには、あまりに美し過ぎる花である。知人友人4人の女性を二夜に分けて招いた。
 頭を擡げた蕾が、8時ごろから綻び始め、やがて半分ほど開いたところで馥郁とした香りが、一気に部屋中に満ち溢れる。萼を反り返らせて満開になるのが9時半…朝には萎んでしまう、一夜限りの絢爛である。
 賑やかに談笑しながら、花を愛でる時が過ぎた。帰り際、前日咲いた花を冷凍していたものをお土産に持たせた。解凍して熱湯に潜らせ、刻んで鰹節を散らし、三杯酢を垂らして食べると、トロトロしゃきしゃきの絶妙の食感が味わえる。
 「これを食べると、月夜の晩一夜だけ美人になれます」と言葉を添えた。爆笑で閉じた夜の花見だった。

 日本の雨に閉ざされた夏に対し、次女の住むカリフォルニアは500年に一度の大旱魃というニュースが流れた。湖の水位が十分の一になったとか、芝生に水を撒いたり洗車したりしたら高い罰金を取られるとか、枯れた芝生に緑のペイントをスプレーしてごまかしているとか、芝生を剥いでサボテンを植える家庭があるとか…農作物も壊滅状態らしく、やがては日本への輸出に影響が出ると報じていた。
 娘のお気に入りのプールやジャグジーも閉鎖しているのだろうか?カリフォルニア名物の山火事も心配だが、Skypeを繋いで聞いた娘の話では、連日37度の猛暑だが、風がないから今のところ山火事は発生していないという。先年、山火事真っ最中のカリフォルニアを訪れたとき、ハリウッド周辺の高級住宅が次々に焼け落ち、近隣各地で燃え続ける山火事の煤が、娘のコンドミニアムのテラスにまで降っていた。
 東部では豪雨禍もある。世界中の気候に異変が起きている。そういえば、台風がばったりと途絶えた。やがて二百十日、台風最盛期は目の前である。

 俄かに庭の虫の声が繁くなった。カネタタキを従えながら頻りに鳴き続けるミツカドコオロギの声が、夜毎増えていく。

 ロビン・ウイリアムズが亡くなった。いい役者だった。コメディアンとしてよりも、抑えた演技で泣かせたGood Will Huntingが一番心に残る。追悼番組として放映されたブルーレイが、再生を待っている。秋の夜長に、しんみりと観ることにしよう。
 ハンフリー・ボガードの夫人だったローレン・バコールも亡くなった。ハリウッドが、又寂しくなった。
 そして昨夕、米倉斉加年の訃報を聞いた。警固中学から福岡中央を経て西南大学在学中に中退して上京、演劇人として生きる道を選んだ。修猷館高校文芸部で脚色した芥川龍之介の「羅生門」を演じたとき、隣接する西南大学演劇部から演出に来てくれたのが、米倉斉加年の友人だった。

 そっぽ向いて去りゆく夏が、寂しい話題ばかりを呼び寄せる。少し凹みがちな季節の移ろいである。
                (2014年8月:写真:月下美人の絢爛)


嵐を繕う

2014年08月22日 | 季節の便り・虫篇

 未明、激しい雷鳴と叩きつける雨の音に目覚めた。稲光が黎明の空を染め、家鳴りする激しさで雷鳴が轟く。一瞬、四王寺山の山肌に幾筋もの崩壊の爪痕を残した、数年前の太宰府豪雨の記憶が蘇り、眠れぬままに息をひそめて雨と雷を聴いていた。
 死者39名、行方不明51名の惨禍を残した一昨日の広島の水害。同じような雨が、今朝は太宰府を襲った。比較的短時間ではあったものの、4時過ぎの1時間雨量98.5ミリは全国一、降り始めてからの総雨量は168ミリとなって、8月の月間雨量記録を更新した。

 全国ニュースとなってテレビに流れた瞬間から、見舞いの電話やメールが相次いだ。町田市の友人や、十数年音信不通だった千葉の友人など、思いがけない電話もあった。横浜の長女からも、早速「無事ですか?ニュース今朝見てびっくりしています。大丈夫?」とメールが届く。「無事」と返信したら、折り返し「こちらは1ミリも降りませんが…」と来た。幸い我が家は水害やがけ崩れの心配のない高台にある。何事もなく、やがて雨雲は去って行った。

 鉄棒に張り付いていた揚羽蝶の蛹が豪雨に叩かれて、繋ぎ止めていた糸が切れて地面に落ちた。このままでは羽化は出来ない。拾い上げると、首や尾を左右に降ってキイキイと鳴く。何とか繕って救いたい!……背中に糸を巻けば、背から割れて生まれる羽化の妨げとなる。いろいろ考えた挙句、窮余の一策として、割り箸に接着剤を塗って腹部を貼りつけ、雨の当たらない軒下に置いた鉢に差した。多分、いや間違いなくこれで羽化出来るだろう。……祈る思いだった。

 午後、久し振りに戻った日差しの中を歩きに出た。数年前に豪雨禍をもたらした御笠川の様子を見たかったのもあるが、雨の中に閉じ込められてきしみ始めた、腰と膝のリハビリでもあった。久しく日差しも浴びてない。吹き出る汗を楽しもうと、いつもの散策路に少し変化をつけて、裏道から観世音寺に抜けた。
 途中の児童公園に咲く花に、幾つかの蝶の姿があった。花の蜜を訪ねる姿は、やはり眩しい日差しの中がいい。ツマグロヒョウモンの雌と、キアゲハが、縺れるように花を訪ねていた。最近、キアゲハの姿を見ることが珍しくなった。食草の分布の関係だろう。蝶は、人間の畑の営みに生息を左右されることが多い。我が家ではパセリで育てるが、終齢になって蛹化の時期を迎えると何処かに消えてしまい、羽化して飛び立つ姿はめったにお目にかかれない。
 少し草臥れたように黒ずんで舞うのは、これも最近あまり見ないスジグロシロチョウだった。

 観世音寺の境内にも、濁流が流れた砂の紋様が筋となって残り、窪地にはまだ泥水が溜まっていた。樟の樹の根方を、ハグロトンボが掠める。
 友人のY農園の畑を覗いてみた。熟すのを待っているイチジクは、日照不足から生育が遅れ、例年に比べるとやや小粒だった。幾つかがようやく熟し始め、少し綻び始めた割れ目が窺える。蜜が滴るほど熟し切ったイチジクにかぶりつく楽しみは、もう少し先に取っておこう。

 多分濁流を迸らせていたはずの御笠川は、水はまだ濁っているものの、もう殆ど水位が下がり、倒れ伏した岸辺の草が激流の痕跡を残すだけだった。濁った水に戸惑うように、アオサギが岸辺に佇んでいた。

 帰り着いた庭で、今日もハンミョウが飛び遊んでいる。ここ数年、我が家の庭で世代交代を続けている一家である。
 1時間余り5800歩の、嵐の後の小さな散策だった。明日はまた雨になる。

 広島の死者と行方不明者が、また一人ずつ増えたようだ。もう、言葉がない。
               (2014年8月:写真:ツマグロヒョウモンとキアゲハ)

雨の中の誕生!

2014年08月20日 | 季節の便り・虫篇

 今年の「夏」は、いったい何処に行ってしまったのだろう?たまに覗く束の間の晴れ間を除いて、連日豪雨と雷と曇り空が続く。梅雨末期のような異常な大雨の日々、まだ向こう1週間は青空を望めそうもない。

 雨の切れ間を縫って、蝉が急き立てられたように鳴き続ける。ワシワシ(クマゼミ)は盛りを過ぎ、8月12日に初鳴きを届けてきたツクツクボウシが少しずつ勢力を拡大してきた。 
 午前中はクマゼミとアブラゼミの天下だったのに、今日の雨の合間に遠く聞こえるのはアブラゼミだけである。迎え火も送り火もなく、孫たちの帰省もない寂しいお盆も終わり、庭の隅に蝉の死骸が目立つ季節になった。ツクツクボウシの初鳴きを待っていたように、夜の闇にカネタタキが涼やかに鳴き、ミツカドコオロギが少し哀しい声を切れ目なく忍び込ませてくるようになった。いつの間にか夏は後姿を見せ始め、忍び足で遠ざかりつつある。

 各地の豪雨被害のニュースが流れる朝、待っていた誕生があった。8月6日に八朔からはるばる這い歩いて勝手口の壁に取り付いた蝶の前蛹が、翌7日に蛹になった。日頃八朔の梢を飛び交う姿から、クロアゲハと思い込んで羽化を待っていた。以来2週間、雨風のひどい日々が続き、壁に繋ぎ止めていた糸の片方が切れ、斜めに傾いだ危なっかしい姿で風雨にさらされていた。羽化の力が掛かったとき、たった1本の糸で大丈夫だろうか?途中で落ちたら、充分に翅が伸びないままに命を落とすこともある。(これまで何度もそんな姿を見てきた)心配しながら折にふれて見守る毎日だった。

 夜来激しく降り続いた雷雨が小康状態になった午前10時頃、物置の片付けを済ませて振り返った目に、見事な黒い蝶の姿が飛び込んできた。雨にも負けず、棍棒状の触覚をピンと立て、スッキリと翅を伸ばして傷一つない姿を風に揺らしていたのは、ナガサキアゲハの雌だった。尾状突起がないからナガサキアゲハ、赤と白の羽紋があるから雌と図鑑で確かめて、浮き立つ気持ちでシャッターを落とした。雨よ、せめてこの翅が乾き、飛ぶ力が満ちるまで降りやんで欲しい!

 雨は小康状態だが、まだ空一面は鉛色の雲である。広島市北部山裾に開けた住宅街、安佐南区と安佐北区の甚大な被害状況が切れ目なく報道される。死者18人行方不明13人、被害が急速に拡大して行っている。今年、全国でどれほどの水害があったことだろう。復旧の作業に手を付ける間もなく、次々に前線から濃密な雨雲が送られ、水害・土砂災害をもたらし続けている。「こんなこと、初めて!」という罹災者の声を何度聞いたかしれない。近年「想定外」という言葉も、もう日常茶飯となった。

 人知では想定できない災害。人知では御しきれない原子力。福島原発の事故処理は、打つ手打つ手が全て効果なく、汚染水の凍結処理もまた暗礁に乗り上げた。一面に並べられた汚染水格納タンクの異様な姿は、人の愚かさを象徴するようで醜い。使用済み燃料の最終処理の目途さえ立っていないのに、為政者と電力会社の目先の利権を追う再稼働の動きはやむことがない。助成金という札束欲しさに、再稼働を求める住人もいる。「今さえよければ、自分さえよければ……」そんな風潮が、百年の計を誤らせていく。廃炉に至るまでの気の遠くなるような年月とコストを考えるがいい。子孫にツケを残す計り知れないリスクを慮るがいい。利権金権が絡むと、人は、こうまで愚かになるものなのか。
 辺野古の海のボーリング調査も、希少生物ジュゴンの生息圏を容赦なく破壊し、住民の反対を押し潰して始められた。集団的自衛権の議論が沈静化しているのも不気味である。水面下で、傲慢且つ愚鈍な宰相は何をたくらんでいるのだろう?暗雲は尽きることなく日々の暮らしを脅かし続けている。

 そんな末法の世に、健気に命を繋いでいく小さな生き物たち。少し気持ちを癒された、雨の中の命の誕生だった。
          (2014年8月:写真:ナガサキアゲハ4態)

<追記>昼餉を終えて見に行ったら、ナガサキアゲハはすでに何処かへ飛び去った後だった。
 その下の鉄棒に、もう一つの蛹を見つけた。見失ったキアゲハだろうか?それとも、これもナガサキアゲハだろうか?……また期待と心配の毎日が始まる。嬉しい悩みではある。

すっぴんの朝

2014年08月13日 | つれづれに

 広大な遠の朝廷・太宰府政庁跡の礎石に座り、カラカラと氷の音を転がしながらサーモスの麦茶を含んだ。一瞬、冷たい柱が喉に立つ。アメリカの次女が土産にくれたお気に入りのNASAのキャップを脱いで、額に滴る汗を拭いた。
 足元に広がる草叢はしっとりと露に濡れ、辺りの朝景色も、苛烈な夏の日差しに叩かれる前の起き抜けのすっぴんの姿である。早朝散歩は、そのすっぴんの風情がいい。広場を囲む木立を白鷺が縫い、もう辺りは蝉時雨が姦しいほどに溢れ返っていた。

 5時過ぎの散歩に出掛けた家内が帰ってきた。指宿の先進医療から半年、15ミリの二つの肝臓癌は見事に消失し、腫瘍マーカーも劇的に下がった。「神の手」が本当に存在することを実感したこの半年だった。
 昨秋、5年振りに家内の肝臓癌が再発、放置すれば早ければ2年と宣告され、主治医の勧めと治癒率89%というデータ―を信じて、鹿児島県指宿にある「メディポリスがん粒子線治療研究センター」に走った。診断から検査、治療計画、放射治療と延べ1ヶ月ほどの滞在は保険も効かず350万の高額出費となったが、結果として救われた命の値段としては決して高くなかった。副作用も後遺症もなく、今はこうして一人で元気に1時間余りの早朝散歩をこなしている。

 家内と入れ替わりに、朝の散歩に出た。(二人の散歩に時差があるのは、お互いのやむにやまれぬ身体のリズムのせいであり、他意はない)いつもながらの御笠川沿いの散策路を辿る。曇り空が日差しを遮り、爽やかな川風が吹き過ぎる。高橋口の橋の上で釣り人が一人、川底に群れる小魚の魚影に竿を垂らしていた。少し川下の小さな堰では、1羽の白鷺が羽繕いをしている。「おはようございます」と声を交わしてすれ違う人は何故か男ばかり。紫外線を嫌う女性たちは、多分もっと早い時間を歩いているのだろう。
 足元に纏わり付くハグロトンボを見送って川沿いをしばらく歩き、橋の袂から右に折れて観世音寺に抜ける。久し振りに潜る木立のトンネルは、早くも鼓膜が麻痺しそうなほどのクマゼミの大合唱である。格子の開き戸を持ち上げてお賽銭をあげ、観世音寺の裏に抜けた。

 ちょっと寄り道して、日吉神社の下に広がる、いつも我が家に朝採りの新鮮な野菜を届けてくれる親しい友人の畑(我が家では感謝と敬意をこめて「Y農園」と呼んでいる)を覗いてみた。まだ青いイチジクがみっしりと実り、秋の収穫が待ち遠しい。畑に咲く夏水仙のピンクが清々しく爽やかだった。夏の花は強い色合いが多い中で、ヒガンバナの一種だというこの花の色は優しい。真っ赤に熟れたトマトに食欲をそそられながら横目に見て、裏道を太宰府政庁跡に向かった。

 肩透かしが続いて、運よく今年もまだ台風の洗礼を受けることなく、猪除けの柵に囲まれた水田の稲の生育は順調だが、稲の茎に毒々しいピンク色のジャンボタニシ(スクミリンゴガイ)の卵塊が気になった。南アメリカ・ラプラタ川流域原産のこの貝は、食用として1981年に台湾から長崎県と和歌山県に持ち込まれて全国に広がった。我が家でも一時飼っていたことがあるが、水槽の悪臭に参って、さすがに食べる気にはならなかった。一時は全国に養殖場が500ヶ所以上出来たが、需要が伸びず採算が取れないために事業としては定着しなかった。1984年に有害外来生物に指定されたが、棄てられたり養殖場から逃げ出したものが野生化し、今では水田の稲を食害する厄介者となっている。

 土砂降りの蝉時雨に追われるように川沿いの道を帰った。未明のヒグラシに代り、この時間はクマゼミとアブラゼミの天下である。昨夕、昨年より10日遅くツクツクボウシが初鳴きを聴かせてくれた。秋の先駆けである。待っていたかのように、夜の庭でチンチンチンと小さな鐘を叩くように、透明な声でカネタタキが鳴き始めた。残暑の中に、小さな秋が育ち始めている。
 再び高橋口橋まで戻ったところで、携帯の歩数計に設定した目標8000歩達成のファンファーレが鳴った。

 家近くの玄関先で、子供会のお母さんの姿を見かけた。起き抜けで眉を落としたすっぴんの顔に、慌てて目を逸らし顔を背けて気付かぬふりしてそっと通り過ぎた。女性には、見てはいけない顔があるらしい。
                 (2014年8月;写真;Y農園に咲く夏水仙)