コーラスなんて気取った表現のレベルは、とっくに超えている。テレビの朝ドラの声が聞こえない。庭先の父の形見の松にとまったクマゼミが、渾身の声を張り上げて姦しく鳴きたてる。
薄明のヒグラシを夢うつつに聴き、ニイニイゼミに起こされ、クマゼミにベッドから追い立てられる豪快な夏が来た。アブラゼミが少なくなり、その分クマゼミが勢力を増しているよう思えるのは気のせいだろうか。南九州で育てられた街路樹が関東で植えられ、根の土と共に運ばれたクマゼミの幼虫が羽化して、関東圏にクマゼミが急増しているという記事を、もう10年以上前に読んだ記憶がある。光ケーブルに産卵管を差し込み、通信障害を起こしているとか、ちょっと信じがたい記事だった。
毎晩、数匹の蝉が我が家の庭で羽化する。2年前に数時間かけて連続写真を撮って、もう感動はおさまってる筈なのに、やっぱり命誕生の瞬間を見たくて、33.9度の昼間の暑熱がようやく夜風に払われ始める頃、カメラ片手に闇に立った。昨夜は八朔の枝先にクマゼミが3匹、それぞれ微妙に羽化のステージを変えながら誕生しつつあった。長い待機を経て背中が割れる瞬間、大きくのけぞって上半身を抜き出す瞬間、目を見張る速さで淡い緑の翅が延びていく瞬間、伸びきった翅が幻想的に輝く瞬間……幾つもの感動を重ねながら、命誕生のドラマが夜毎繰り返されていく。
佇んでカメラを構える脚を、絶好の獲物と藪蚊が苛む。それさえ厭わぬワクワク感がある。パソコンに落とした絵を見ながら、透明な翅に淡い翅脈を輝かせる神秘を見詰めて飽きることがない。
「昆虫巡査」の佐々木茂美さんが、近くの朝倉市で「みぢかなう虫(ちゅう)の小さな展覧会」を開いた。現役警察官の頃、山中の身元不明の遺体に付いた虫で死亡時期を割り出したという、最近流行のテレビドラマCSIを地で行く虫好きお巡りさんだった。今は退職して、在野の昆虫研究家である。平戸に住む世界的に著名な昆虫生態写真家で、虫の目レンズを開発して凄い写真を撮る栗林慧さんも駆けつけたという。栗林さんには一度お会いして言葉を交わしたし、写真集にサインもいただいている。佐々木さんも一度はお会いしてみたかった虫キチさんである。早速出かけてみることにしよう。
平凡社新書の「昆虫食入門」(内山昭一 著)という本を見つけた。帯封に「アブラゼミはナッツ味」というキャッチコピーが書かれている。「飽食の時代」から「選食の時代」に移りつつある中で、生命維持に最も大切な「食」を自ら選び取ることは、実は自然で自明な行為であり、昆虫もその選択肢一つであるという論理。戦後の食糧難の子供時代、田んぼでイナゴを捕って、から煎りにして食べた経験があるから、何となく頷ける理論ではある。イナゴ10匹で卵1個分の滋養があると言い聞かされて、蛇に脅されながら1升瓶抱えて田んぼを這いずり回って捕った。時にはお弁当のおかずにも入っていた。もう少し触れてみたいテーマだが、命誕生の感動の後に「アブラゼミはナッツ味」というのは、ちょっとセミ達に申し訳ないから此処までにしよう。
今日も、苛烈な熱風が急速に気温を上げていく。心にわだかまりがあるとき、結局虫の話題に癒されるのは私の本性。前世は、きっと虫だったに違いない。(呵呵)
(2012年7月:写真:クマゼミ誕生!)