蟋蟀庵便り

山野草、旅、昆虫、日常のつれづれなどに関するミニエッセイ。

命の競演

2010年07月23日 | 季節の便り・虫篇

 誕生の瞬間を捉えた。連夜、クマゼミの羽化が続き、庭の片隅に脚立を立て、座り込んでカメラのファインダーを覗く至福の時が続いた。

 まだ娘たちが幼なかった頃、虫好きに育った二人に誕生の瞬間を見せたくて、真夏の夜に太宰府・観世音寺境内の木立を懐中電灯で照らしながら、蝉の幼虫の這い出るのを探した。ようやく捕らえてきた一匹を部屋のカーテンに止まらせ、羽化の瞬間をカメラに捉えようと眠い目をこする娘達に夜更かしを強いた。その頃はまだ、開発間もない団地の庭に蝉が孵ることはなく、空蝉を見かけるようになるには、もうしばらく歳月が必要だった。
 それを、こんなに身近な庭先で連日見ることが出来るとは、今年の夏まで気付きもしなかった。考えてみれば、この団地にも既に40年以上の時が流れ、7年地中で過ごすセミたちにとっても、ごくごく当たり前の誕生だったのだ。
 21時を回った頃、観続けていた韓流ドラマを中断し、昨夜に引き続き懐中電灯を手に庭先に出た時、八朔の枝先で今殻を破ったばかりのクマゼミの羽化の瞬間に出くわした。背中を割った殻の中から大きくのけ反り、かすかな夜風に揺れる生まれたばかりのクマゼミの姿があった。まだグリーンの羽は耳たぶのように巻き込まれたままで、瑞々しく濡れている。
 30分ほど見守るうちに、のけ反った体をぐっと上に持ち上げ、腹部を殻から抜き出して垂直に下がった。それからの変化は速かった。みるみる緑の羽根が広がり伸びていく。薮蚊に苛まれる痒みさえ気付かず、夢中でシャッターを切り続けた。透き通った翅が伸び切り、美しい緑の翅脈を見せるまでの速さは驚異的だった。ここから、体液が翅脈に行き渡り褐色の色づきを見せるまでには、しばらく時間がかかる。
 小さな命の誕生の瞬間は、涙が出るほどに感動的である。この姿を見たら、もう虫は殺せない。青空の下で高らかに謳い上げるのは僅か1週間。地中の幼虫期の長さに比べて、あまりにも儚いが故に、その命の重みがズッシリと心に響くのだ。明日の朝の姦しいまでに豪快な鳴き声さえも、きっと心地よく耳に響くことだろう。そして、鳴くことのない雌の命には、交尾し産卵して次世代に繋ぐという、又異なる輝きがある。

 8月になると、今年9年目を迎える「夏休み平成おもしろ塾」が始まる。町内の小学生を集めて、塾長として昆虫の話をするのが毎年の慣例になっている。脱皮直後の殻と向き合うカマキリを畑で見せたり、蝶と蛾の見分け方を教えたり、公民館の教室で皆で耳を澄ませ、鳴いている蝉の種類と雄雌の区別を話したり、世界最大のヘラクレスオオカブトの16センチの実寸大の写真を夏休みの思い出に配ったこともある。
 今年の心積もりがこれで決まった。先日、垣根のラカンマキで捉えたテントウムシの幼虫・蛹・成虫の写真、そしてこの60枚を超えるクマゼミ誕生の連続写真から抜粋した数枚で、命の素晴らしさを教えてやりたいと思う。
 連日の34度、35度の酷暑にへたりながら、汗まみれになって見守り続けたふた夜。それぞれの人生を歩いている娘達、そして、あの頃の娘達の年齢にいる孫達に、この感動の瞬間を見せたいと、痛切に思った。

 命……いろいろ考えることの多い真夏の夜更けである。
           (2010年7月:写真:クマゼミの誕生-その2)

真夜中の誕生

2010年07月20日 | 季節の便り・虫篇

 久し振りに福岡の街に出て、龍村仁監督の「地球交響曲(ガイアシンフォニー)」第7番を観た。炎天の夏空の下を汗みずくになって帰り着いた太宰府は、この日、この夏最高の34.7度の猛暑となった。蝉の声が喧しくなった。

 夜半、シャワーを浴びてさっぱりしたところで、懐中電灯とカメラを提げて庭に出た。ようやく夜風に涼やかさが感じられる時刻である。期待通り、庭のハッサクとコデマリとミズヒキソウそれぞれの葉先で、クマゼミガ羽化していた。少し刻限が遅かったのか、脱皮の瞬間は既に過ぎ、羽化したばかりの柔らかな身体を抜け殻にしがみ付かせながら、羽が乾くのをじっと待っているところだった。透明な羽にはまだ褐色の色づきはなく、瑞々しいウスミドリイロの翅脈が美しかった。
 早速、マクロをかませたカメラのシャッターを、続けざまに落とした。ストロボの光を浴びた羽の先端がブルーに輝く。……1週間の命の誕生の瞬間である。このところ、ヒグラシとアブラゼミの羽化が続いていたが、今夜から一斉にクマゼミに代わった。3匹ともクマゼミであり、撮影の途中に網戸にぶつかってきた1匹もクマゼミの雄だった。自然界には、こんな不思議なリズムがある。トクンと胸がときめく一瞬である。

 先日、終齢まで育ったキアゲハの幼虫。食べ尽くした4株のパセリが、残すところひと枝となり、焦った。黄昏近いラッシュアワーの道を、ナーセリーやホームセンターの苗売り場を探して走り回った。残りひと枝を食べ尽くすまで、あと1時間もない。1軒目のナーセリーは萎れた株が4つ。殆ど葉もなく「2株はサービスでいいです」と気の毒そうな顔をされた。まさか「チョウチョの餌です」とも言えず、100円払って2軒目へ。……皆無である。
 日暮れが迫る。仕方なく、スーパーのパセリを徹底的に洗い漱いで食べさせようかと諦めかけた。しかし、かつて同じ状況の中で与えたスーパーのパセリで、一夜にして数頭の幼虫を真っ黒になって死滅させてしまった悔いがあるから、何とかそれだけは避けたい。あとは一昨年のように、ご近所の人参畑に夜陰に紛れて忍び込ませるしかないのか……もう一軒だけと一縷の望みをかけて寄ったホームセンターに、籠一杯に並べられた新鮮なパセリの苗があった!ものも言わずに6株を買い求め、家に走り戻った。間に合った!すぐに、株を植え替え、終齢の幼虫をそっと移した。
 その幼虫が無事に幼虫期を終え、昨日の夕方、蛹になる場所を探してプランターを去った。モコモコと頼りない足どりながら、ビックリするほど遠く、あるいは高い場所に糸を掛けて蛹になる。それを探し出すのが、また次の楽しみなのだ。

 小一時間、折角のシャワーが無駄になるほど大汗をかきながらファインダーを覗き続けて夜が更けた。梅雨明けと共にやって来た酷暑の中で、我が蟋蟀庵の庭は俄かに慌しくなる。小さな生き物の管理人のご隠居が、何もかもほったらかして我れを忘れる季節の到来である。「そのうちに、自分のことも忘れるんでしょ!」と皮肉る声がどこからか聞こえてきそうだ。

 今朝方「ワ~シワシワシワシ…!」と、我が家の庭のクマゼミの一番鳴きが豪快に夏空に響き渡った。
               (2010年7月:写真:クマゼミの誕生)

せめぎ合い

2010年07月14日 | つれづれに


 梅雨明け間近の集中豪雨が、北部九州を痛めつけている。堤防を溢れた濁流が民家を襲い、避難命令が各地で発令され続ける一日だった。早朝、太宰府も1時間当たり73・5ミリの豪雨に叩かれた。

 右往左往する人間の営みをよそに、束の間の小康状態を待っていたかのように、2匹の小さなジャノメチョウが庭の樹幹に縺れ飛んだ。プランターに植えたパセリの株には、今年初めてのキアゲハの幼虫が一頭、叩きつける雨をものともせずに、旺盛な食欲で葉を貪っている。鳥糞状態を脱し既に終齢を迎えた身体は、もりもりと逞しく、マクロにクローズアップ・レンズをかませたカメラのファインダーで覗くと、薄緑に黒と白とオレンジ色をあしらった、その何とも言えない顔かたちが、思わず微笑みを誘う。
 アメリカの娘が手配して送ってくれたパピヨン・ローズが、美しくブルーの花を開いた。昨年の長期アメリカ旅行の直前に、最後の花時を迎えた月下美人の2鉢をご近所にお裾分けしたのだが、残った3株が新しい葉を伸ばし始めた。慌て者の一輪が先日小ぶりな花を咲かせ、一夜の芳香で部屋中を満たした後、とろみと爽やかなしゃきしゃき感の酢の物となって、昨日の夕餉を楽しませてくれた。次の一輪の蕾が、雨に濡れながら頭をもたげ始めている。ゲリラ豪雨の異常気象の中でも、自然は動じることなく季節を推し進めていく。

 陋屋の庭の一角を、ラカンマキの垣根が囲んでいる。その上をカラスウリが這い始めた。コイル状の蔓を傍若無人にラカンマキの葉に絡ませながら、横に横に伸び続ける。その無礼に立ち向かうラカンマキは、絡みついたカラスウリの葉を突き刺し突き抜いて、鋭く葉を伸ばしていく。…豪雨の狭間に見た、健気で、どこか微笑ましい命のせめぎ合いである。
 やがて秋が来ると、オレンジ色の楕円の実が幾つも下がる。その姿が好きで、野性のカラスウリの種子を庭に蒔き、年々逞しく株を増やして庭の百日紅や乙女椿、梅の枝にほしいままに絡みつくのを許している。「カラスウリの絡んだ枝は切らないで!」と言っては、出入の植木職人の顰蹙を買うのもまた一興なのである。
 庭先に繰り広げられる幾つも命のせめぎ合い。やがて蛹になるキアゲハの幼虫にも、昨年のようにトカゲに捕食される宿命が待っているのかも知れない。しかし、それも大自然の摂理、敢えて棹差すつもりはない。

 先日、九州国立博物館環境ボランティアの活動の一環として、博物館周辺での昆虫採集と標本作りの研修を受けた。およそ55年ぶりに捕虫網を振った。身体の感覚は忘れていない。採り損ねて戸惑う仲間たちをよそに、アオスジアゲハ、キチョウ、ベニシジミ、ヤマトシジミ、ジャノメチョウと、次々に蝶たちがネットに吸い込まれる。草むらをスィープして、ヒメマルカツオブシムシ、コガネムシ、ハナムグリなどの甲虫もゲットした。アブ、ハナアブ、ウシアブ、トックリバチも瓶に納めた。1平方センチ辺り10匹、データーによっては、人口一人当たり4億匹とも30億匹とも言われる昆虫の個体数。その一角にささやかに振った小さな捕虫網だが、昆虫少年の成れの果てである私には、懐かしく心躍る感動的な時間だった。
 そして、あの頃は全て自分の手作りだった捕虫網や三角紙、三角ケース、展翅台、展脚板、毒瓶など、全てが完成品としてそこにあるのが、当たり前なのに何故か不思議だった。遊びも学びも全てが試行錯誤の手作りだったあの頃。物質的には貧しかったけれども、創り出す喜びに満ちた、心豊かな時代だったと思う。カブトムシはデパートで買うものではなく、紛れもなく早朝や深夜の樹林に分け入り、クヌギの樹液の匂いを辿って見つける憧れの宝石だった。
 
 また雨脚が高まってくる。明日未明に繰り広げられる男の祭り「博多祇園山笠」のフィナーレ「追い山」は、激しい雨とのせめぎ合いになるのかもしれない。
 勢い水(きおいみず)を湯気となって撒き散らしながら、博多の街に夏がやって来る。
        (2010年7月;写真;ラカンマキとカラスウリのせめぎ合い)