木漏れ日の下に紅紫色の小さな舟を吊り下げて、山の秋が揺れていた。吹く風に瑞々しいススキが青空を掃き、その足元にノコンギクとイヌタデが色を添える。菊池渓谷を駆けあがり、外輪山のスカイラインに届く少し手前の道端で、玄関の紹興酒の壺に飾るススキを採った。残暑が未練がましく振り向いた暑い日差しも、もう此処まで登れば山の秋風が吹き払ってくれる。群生するツリフネソウが一段と日差しに映えた。
モニター企画「1泊2食お一人様半額7000円」という抽選に当たり、熊本県・山鹿温泉で50余年の歴史を持つ老舗割烹旅館「寿三(すみ)」に泊まった。我が家を出て筑紫野ICから九州道をひた走って菊水ICで降りる1時間余り、80キロ弱の行程である。明治44年の杮(こけら)落しにさかのぼる古い芝居小屋・八千代座には度々訪れていたが、山鹿温泉に泊まるのは初めてだった。海鼠塀の風情の廊下の奥の一室、古くはあるが控えの6畳にすでに床をとってある8畳の純和室で寛ぎ、5階の展望大浴場で痛む肩を癒した。今日も先客一人というほぼ独り占めの浴場で、少しぬるめの湯に珍しく長湯した。(それでも、家内の入浴時間の半分ではあるのだが…。)
工夫を凝らした夕飯を完食し、下を向けないほどの満腹感がこの歳では少し苦しい。「料理の品数を少なくして質を上げたシニアコースが出来るといいね」と贅沢を囁き合う。それでも、「馬刺しのカルパッチョ風サラダ」や「馬筋のシチュウ」は珍しく、1合5勺の冷酒で舌を洗いながら「これで7000円は安いよね!」と、年金生活者夫婦の会話は至って現実的である。
やすむ前にもう一度、今度こそ独り占めの夜更けの温泉を楽しむのもいつものパターンだった。
翌朝、3度目の入浴後朝食を済ませ(我が家ではいつも食パン半分で済ませるのに、旅先の朝ご飯を必ずお代りをする家内の胃袋の不思議!)車を宿に預けて、足湯のある湯の端公園から八千代座まで、豊前街道の風情をひろい歩いた。千切れ雲が流れる真っ青な秋空に、八千代座の屋根が映える。自家焙煎の「タオ珈琲」で、汗まみれの身体を冷ましながらお好みの酸味の効いたモーニング・コーヒーとしゃれ込み、菊池経由阿蘇外輪山に向かった。
少し霞んだ阿蘇五岳を右に遠望しながらスカイラインを走り抜け、小国に降りた。蕎麦街道の「吾亦紅」が今日の昼食…何となくドライブのパターンが決まってきたようでおかしい。
この道を選んだのは、もう一つの訳がある。小国から左に折れて数キロ走った谷あいに「鍋ヶ滝」という、ちょっと見てみたい滝があった。滝壺の裏が洞窟になっており、そこを回遊する遊歩道が作られて、流れ落ちる水しぶきを裏側から見るという珍しい滝である。
整備された階段を120段あまり下った渓谷に、その滝があった。少し水の飛沫を浴びながら裏から激しい水しぶき越しに見る日差しは一見に値した。先日の「原尻の滝」と違って、此処は紛れもなく夏でも涼しいに違いない。今度は、孫たちをここに連れて来よう、と頷き合う。そういえば、深いトンネルを歩いてナイアガラ瀑布の壮絶な水しぶきを裏から見たのは、もう何年前だろう?
つづら折れの階段の傍らにも、いまツリフネソウが真っ盛りだった。秋を運ぶ小舟が、ゆっくりと風に揺れながら櫓をこいでいた。
(2012年9月:写真:秋風に揺れるツリフネソウ)