蟋蟀庵便り

山野草、旅、昆虫、日常のつれづれなどに関するミニエッセイ。

生と死の分岐点

2018年07月14日 | 季節の便り・虫篇

 圧巻の誕生劇だった。1本の八朔の下枝や葉先で、11匹のクマゼミが一斉に集団羽化。羽化のあらゆるステージを、同時進行で見せてくれた。
 いつもは、1匹に狙いを定めて、三脚代わりの両足の位置を決めて、2時間余りカメラを向け続ける。何故か、あれほど汗の匂いに敏感にすり寄ってくる藪蚊が、その間は鳴りを潜めるのが不思議だった。

 1匹が誕生位置を定めてしっかり6本の足で足場を固め、やがて背中が割れて、ゆっくりと頭からせり出してくる。大きく仰け反りながら尻尾だけを殻の中に残して、しばらく静止する。螺旋状に畳まれていた緑色の翅が少し巻き戻されたころ、ゆっくりと頭を持ち上げて前足で殻を探る。前足でしっかり殻を掴むと、一気に尻尾を殻から抜き出す……曲芸のようなハラハラする動きに、息を止めて見詰めてしまう。シャッターを落とすことさえ忘れがちだった。
 ここで足場が固まっていないと、地面に落ち、羽が伸びないままに、やがて蟻に引かれる過酷な運命が待っている。セミの羽化で、最もリスクが高い一瞬である。生と死の岐れ路が、この一瞬にある。
 此処から一気に加速する。みるみる螺旋状の翅がほどかれて伸びていく。そして、半透明な初々しい緑の翅を持った蝉の姿が完成する。此処まで、およそ2時間の誕生劇である。
 集団羽化が見せてくれたさまざまなステージをカメラにおさめ、この夜の観察は10分で終えた。

 遠くの杜で、アオバズクがホウホウと鳴いた。

 今朝、朝日が昇る頃、すっかり翅脈に体液が行き届き、褐色に色づいて固くなった翅で、11匹が1匹も欠けることなく、元気に青空に飛び立っていった。クマゼミ……その殆どが声なく飛び去る。昨夜はメスが多い誕生だった。

 昼間、八朔の下を潜ると、何匹ものメスが慌てて飛んでいく。初鳴きから4日、早くも伴侶に巡り合って交尾を済ませ、産卵に訪れているのだろう。短い命である。『ワ~シワシワシワシ…♪』とひたむきに鳴くオスは、油照りの暑熱を一層掻き立てる。
 この卵が産まれ、地に墜ちて6~7年の幼虫期を地中で過ごし、再び地上に誕生する姿を、多分もう私は見ることが出来ないだろう。
 
 子孫を残すことだけに短い命を燃やす。生殖本能だけに生きる小さな命……だからこそ愛しい。発情期という自然のリズムを失って、年中発情している人間。生殖以外の目的で性の快楽に身を委ねる動物は、間違いなく人間だけだろう。それが人口を爆発させ、文明を推し進める原動力にはなっているのだが、純粋さという意味では、明らかにほか生き物に劣る。だから、小さな命の営みを尊いと慈しむ心だけは、人間として喪いたくないと思う。

 暫く遊びに出ていたハンミョウが庭に帰ってきた。どこかで翅を傷めたのだろうか、飛ぶことが出来ず、すばしこく走り回るだけで庭の縄張りを守っている。身の回りの小さな自然の中で、気付かないままに日夜繰り返されている生と死の岐れ……。

 洗濯物を干した。まだ8時過ぎというのに、頭頂を斧のような日差しが叩きつけた。アブラゼミとクマゼミが、競うように熱い大気を振るわせ続けて、36度と報じられた三連休が始まった。
           (2018年7月:写真:クマゼミの羽化・生と死の岐れ路の瞬間)

命に思うこと

2018年07月12日 | つれづれに

 壮麗に東の空が焼けた。午前4時、この時間なら、都会でもこれほどに美しい黎明の空を見ることが出来る。21時という早い消灯と苦手なパイプ枕で眠りも浅く、早々とベッドから出て、病室の窓から明け初めた空を見上げていた。

 「貯血」……初めて聞いた言葉だった。手術に先立ち、予め自分の血液を輸血用に採っておく。出血が多い手術だから、400ccから800cc貯血するところ、私は血が濃い(ヘモグロビンの数値が高い)から、400ccでいい。しかし、貯血の場合はひと晩入院するのが決まりになっていると言われ、一人でリュックを担いで二日市駅からJRに乗った。快速で4駅、博多駅の次の吉塚駅から徒歩3分の近場だった。
 カミさんは沖縄での緊急手術で輸血を受け、C型血清肝炎で40年苦しんだ。当時の沖縄は血清肝炎の罹患率が非常に高く、勿論「貯血」という仕組みも、自己血で賄う余裕もなかった。ここまで命を繋いできたカミさんの生命力を凄いと思う。私だったら、とてもここまで頑張れていないだろう。

 京城から引き揚げて小学校1年から3年間、箱崎神社の側に住んだ。吉塚駅は箱崎駅の隣りの何もない所で、線路に忍び込んで五寸釘を列車に轢かせて潰し、やすりで研いで陣取りゲームや蛙刺しで遊んだ辺りである。勿論、当時の面影は気配もなく、マンションとビルが林立する近代的な街に生まれ変わっていた。
 6階の個室を取ることが出来た。6年前の左肩腱板断裂の手術の際は6人部屋だった。同室の仲間たちの豪快な鼾に10日間悩まされ、しかも見舞い客が持ち込んだ風邪で、全員が咳と発熱に悩まされながら、それぞれのリハビリ病院に散って行った。だから、もし次に入院することがあれば、何が何でも個室にしようと決めていた。
 窓から東公園に立つ日蓮上人の銅像の後姿が斜めに見える。あの辺りは、カミさんの子供の頃の遊び場でもある。偶然なのか運命的なのか、気付かないままの昔々の小さな接点である。ビルの隙間に、僅かに遠い山の稜線が切り取られていた。

 腕のいい看護婦さんが一発で血管を探り当て、10分で400ccを抜き、1時間で200ccの点滴を受けたら、ふらつくこともなく、あとは夕飯と眠るだけ……退屈で寝苦しいひと晩が待っていた。美しい朝焼けが、寝不足の目に生々しく沁みた。
 主治医のI先生が、忙しい仕事の合間を縫って4回も様子見と説明に来てくれた。患者の目をしっかり見ながら話してくれる、近頃少なくなったタイプの先生で、何時の間にかしっかり信頼関係が醸成されていた。パソコンとカルテばかり見て患者を見ない医者が増えた中で、こんな先生は貴重である。医者は病気を治すだけが仕事ではないことを、改めて思った。
 退院して昼前には帰宅、この日、太宰府は36.2度。入院時の体温と同じ暑さに、ぐったりとソファーにへたり込んだ午後だった。クマゼミの初鳴きが待っていた。追いかけるようにアブラゼミも初鳴きを聴かせた。

 翌日、八朔の木の下辺りを掃除していたら、セミの抜け殻が幾つも転がっていた。羽化の途中で落ちて蟻に引かれた幼虫も1匹、梅雨末期の台風と豪雨の中で、いつの間にか羽化が始まっていた。数えたら11個、延べ百数十匹のセミ(ヒグラシ、アブラゼミ、クマゼミ、ツクツクボウシ)が、この八朔の辺りで誕生する。
 カメラを抱えて、藪蚊に苛まれながら闇の中に立ち尽くす……私の夏が始まった。

 この夜、悲しい出来事が一つ……縁石の上に4センチと3センチくらいの黒い落ち葉のようなものが貼り付いていた。目を凝らすと、軒下に数年前から棲みついているアブラコウモリ(イエコウモリ)の仔が2匹、まだ巣立ちには及ばない小さな子供である。誤って巣から落ちたのだろう。残念ながら、どうしてやりことも出来ない。間違いなく助からないだろう。
 1匹だけで棲みついていたら可哀想だなと思っていたが、伴侶もいて子供が生まれていた。そのことが嬉しいだけに、弱々しく首を振る小さな蝙蝠の姿を見るのはつらかった。
 自然は時として非情、生存していくことは、決して楽なことではない。人も同じ……だからこそ、今ここにある命を大切にしたいと思う。

 2匹のクマゼミは、翌朝抜け殻を残し、既に飛び立っていた。新しい命の始まりである。
                  (2018年7月:写真:病室の朝焼け)

嵐の夜に

2018年07月03日 | 季節の便り・花篇

 轟轟と風が吠える。石穴稲荷の杜の木々が波濤のように揺れ騒ぐ。台風7号が長崎の西から対馬海峡に駆け抜けつつあり、暴風圏から逸れたものの、激しい暴風雨が吹き荒れている。
 雨戸を締め切った広縁で、昨夜の2輪に続き3輪目の月下美人が咲こうとしていた。一昨日嫁入りしたひと鉢も、多分今夜開いて、馥郁とした香りで部屋を満たすことだろう。
 締め切っているのに、居間と台所の間のガラス戸がガタガタと鳴る。家が揺れているのだろうか。

 朝8時、カミさんを助手席に乗せて、近付く台風を背にしながら都市高を走り、F市民病院に駆け付けた。通勤時間帯の渋滞で、40分ほどの走りになった。この悪天候だから、却って患者が少ないだろうという読みが当たって、初診の書類手続きが済んで、さほど待つこともなく呼ばれた。
 I医師は、明るく明快だった。だから、初めて身体に大きくメスを入れるのに、何の不安もない。何度も手術を経験しているカミさんから「内臓じゃないし、命に係わる手術じゃないから」と言われると、返す言葉がない。
 優れた技術で評判も高く、手術にも待ちがはいる。先日会って方向は話し合っているし、既に手術を決断しての受診だから、全てが順調に進んだ。
 「8月1日が空きましたネ。どうします?」「出来るだけ早い方がいいです。ぜひその日にお願いします」「じゃぁ、1か月前ですから、今日のうちに術前検査をやってしまいましょう」……とんとんと事が進む。
 
 血液検査から始まった。「いろいろ検査しますから、5本ほど採りますネ」「わかりました、少しだけ残しておいてください」「ハイ、どのくらい残しましょう?」……戯言を交わしながら始まった検査は、その後、尿検査、肺活量、心電図、胸部レントゲン、股関節レントゲン、胸部CT,股関節CTと検査室を回り、再びI医師の診断を受けた。
 「問題ありません。7月31日に入院して、8月1日の午後手術します。かなり出血量が多い手術なので、輸血用に、予めご自分の血を採血しておきます。採血は1日入院するルールになっているので、来週月曜日の午後来て下さい。通常、400ccから800cc採りますが、あなたの血は濃いので、400ccで十分です」
 血の気は多くて、テレビを見ては政治のニュースに腹を立ててばかりだが、血が濃いという指摘は初めてだった。
 
 股関節部品交換とは、こんな手術である。――大腿部左の関節部分を15センチほど切開し、金属製のカップを骨盤にビス止めし、大腿骨骨頭を切り取って、代わりの骨頭ボールと、それをを支えるステム(支柱)を大腿骨に打ち込む。カップの内側には軟骨の代わりになるライナーが嵌まる。これで滑らかな股関節の動きが再現出来る。寿命は15年以上――本体が、そんなにはもたないから、終身大丈夫である。こうして私は、サイボーグ(改造人間)になる。
 F市民病院で1週間乃至10日間入院リハビリ、その後、家の近くの掛かりつけのK整形に転院する。延べ入院は3~4週間程度、その後通院リハビリを重ね、定期的にF市民病医院で経過観察を受ける……長い長い復活への助走である。
 よし、秋には「野うさぎの広場」の木漏れ日を浴びながら、野性の雄叫びをあげよう。

 入院手続きを全て完了したら12時半、3時間半の術前手順を済ませて、レストランでランチを摂って帰途に就いた。一段と強くなった風が、都市高を走る車を横殴りに揺する。横揺れが激しく、肩が凝るほどハンドルを握り締めて走り帰った。通行止めになるのは、もう時間の問題だろう。
 帰り着くなり、休む間もなく台風対策に取り掛かる。飛びそうなものを全て物置に納め、天津簾7枚を外し、カーポートの屋根を3ヶ所ロープで庭石に縛り付ける頃、雨が一段と激しくなってきた。

 間もなく月下美人が香りを放ち始める時間である。

 嵐の夜の、眩しいほどに美しい花の舞い……一夜限りの、儚い妖艶。
                 (2018年7月3日:写真:嫁入り先の月下美人:Yさん撮影)