油照りの夏を演出するクマゼミを、ひたすら待ち続けた。夏真っ盛りの沖縄から真っ黒に日焼けして帰って数日、例年になく早い梅雨明けを迎えた。34度、35度がもうニュースにならないほど、いきなりの夏本番だった。1週間ほど過ぎたとき、異変に気がついた。梅雨明けと共に湧き上がるように大気を満たす蝉の大合唱がないのだ。この日差しに静寂は似つかわしくない。なんとも落ち着かないままに耳を澄まし続けた。そういえば、昨年聴いたハルゼミの声を、今年は一度も聴かなかった。
新聞の投書欄にも「蝉が鳴かない」という指摘があった。7月13日未明、薄明の中にようやく近くの石穴神社の杜で鳴くヒグラシの声を聴いた。今年の初鳴きだった。5時過ぎに起きて新聞を取りに出たとき、勝手口の塀にとまるヒグラシの雄を見つけた。傍らに、抜け殻がある。今朝羽化したばかりの夏の使者だった。
おかしいな、遅いな?と、ふと思う。6月のハルゼミのあと、7月にはいってニイニイゼミ、アブラゼミ、クマゼミ、ミンミンゼミ、ヒグラシ、そして秋の訪れを告げるツクツクボウシ……記憶の中にそんな曖昧な序列がある。数日後、ニイニイゼミとアブラゼミが加わった。よしよし……だが待て待て、クマゼミはまだか?
この3日の間に我が家の庭で、羽化し切れずに死んでいる蝉の幼虫が立て続けに4匹も見つかった。いったい何が起きてるのだろう?
7月19日の西日本新聞夕刊に「天神セミ異変」(聞こえぬ「夏の風物詩」)という記事が出た。「街路樹にクマゼミが好む常緑高木のクロガネモチが並ぶ福岡市・天神地区は、都心にあるクマゼミの繁殖地として知られる。」この夏、その鳴き声がまだ殆ど聞こえないという。「例年よりも、初鳴きが10日から2週間遅れている」という九大農学研究院の紙谷准教授の分析談話もある。6月の気温に左右されるというクマゼミの羽化、今年は平均気温が1度低かった。箱崎の定点観測でも、初鳴きは7月9日であり、過去5年で最も遅かったという。クマゼミの個体数もこの10年で5分の1に減ったが、その原因は6割近く減ったクロガネモチを中心とする街路樹の数らしいともいう。
なるほどと思いながら、どこか納得していない自分がいる。
その夜、小学校の同窓会総会で、昆虫に造詣深い後輩に尋ねてみた。「我が家の辺りでは鳴いてますよ。確かに、数は少ないみたいだけど……」という答えが返ってきた。翌朝6時過ぎ、うつつの目覚めの耳に、ようやくクマゼミの鳴き声が飛び込んできた。7月20日、初鳴きである。すぐに我が家の庭でも、1匹が誇らしげに声を上げた。しかし、やがて鳴き止んで既に3時間、耳を澄ませても「ワシワシワシワシ!」と鳴くクマゼミの声は聞こえてこない。子供の頃から、その鳴き声に因んだ「わしわし」という愛称で馴染んだ蝉である。油照りの夏を演出する姦しく豪快な大合唱には、まだまだ時間がかかるのだろうか?
新聞記事の解説だけでは納得できない思いが、しきりに心をよぎる。移植された樹木と共に移動した卵が原因で関東地区のクマゼミの個体数が激増し、光通信のケーブルに産卵管を差し入れて通信障害を起こす被害が増えているという報道は昨年だっただろうか?これも人為的生態系の異変である。クマゼミの幼虫は、地下で7年間木の根の導管液を吸って育つ。7年前の親の時代から、何か異変の原因があったのだろうか?毎朝羽化出来ずに死に続ける幼虫に、いったい何が起きているのだろうか?
消えやらぬ疑問を頭の中で転がしながら、今もじっと耳を澄ませて、遠くのセミの声を探り続けている。
(2008年7月:写真:羽化したばかりのヒグラシの雄)