蟋蟀庵便り

山野草、旅、昆虫、日常のつれづれなどに関するミニエッセイ。

食べつくす春

2017年03月31日 | 季節の便り・旅篇

 花盛りの春を置いて、孫たちが帰って行った。
 
 霞の空を掃くように、キブシがたくさんの花房を下げて満開を迎え、沈丁花が甘い香りを拡げている。ユキヤナギが溢れるように枝垂れ、六弁の薄紫のハナニラが庭のそこここに群れ咲いた。
 山野草の鉢に、少しいじけた……ここで、ふとキータッチの手が止まる。「あれ?何て名前だったろう?」のめり込んでいた山野草の花の名前が、咄嗟に出てこない。「あ、ショウジョウバカマだった!」
 「寝たきりになったり、一人になったときに、この家はどうするの?」と、まだ終末の心準備をしてない私たちを本気で心配して帰った娘の声が、心に棘のように突き刺さる。今が一番穏やかで、満ち足りた日々を過ごしているのに、厳しい終末を考えなければならない切なさはあるが、娘のいう事は正しい。もう、何があってもおかしくないところまで歳を取ってしまったのだから。

 何か月も待ちわびていた孫たちの帰省だった。多摩美大でテキスタイルを学び成人式を迎えた上の孫娘と、来年大学受験を控えた下の孫と……長女が仕事を休んで、春休みの孫娘2人を連れて帰って来てくれた。
 滅多にない揃っての帰省である。九州の美味しい物を食べ歩いたり、買い物を楽しむだけではジジババとしては気が済まない。1泊2日で、別府温泉の部屋付き露天風呂の離れ二部屋を奮発した。
 娘に運転を任せ、社会問題の渦中にある後期高齢ドライバーは助手席のナビゲーターに徹して九州道に乗った。一気に走れば、別府温泉まで2時間、折角だから春の高原ドライブを組み込むことにした。
 大分道に移って日田IHで降り、曲折する山道を走って梅干しの名産地・大山の「木の花ガルテン」で田舎料理盛りだくさんのバイキングでランチ。さらに北上して、久し振りに南小国の「鍋ヶ滝」に寄った。鄙びた小さな滝だが、滝の裏に回り込めるのが珍しく、「裏見の滝」ともいう。暫く来ないうちにすっかり整備され、土産物屋まで出来て、春休みの日曜日、自撮りするアジア人の姿まで散見される。日本人が静かに楽しむ観光地が、また一つ喪われた。
 野焼きで黒く染まった阿蘇外輪山に駆け上がり、阿蘇五岳の釈迦涅槃像を右に遠望しながら、ミルクウエーからやまなみハイウエーに乗り継いで、一気に別府に向かった。山はまだ冬の名残濃く、九重連山の牧の戸峠は路肩に雪が残り、久住山、星生山、三俣山の尾根は雪を頂いていた。

 翡翠色の部屋付き露天風呂に浸ったあと、豪華な「関アジの姿造り」で始まる料理の数々に、孫たちの歓声が弾けた。私たちにとっては、健やかに育った孫娘たちの姿が何よりのご馳走だった。
 鬼石坊主地獄、海地獄、竜巻地獄、血の池地獄、鬼山地獄……別府名物の「地獄めぐり」を楽しんで大分道に上がり、別府湾SAで大分名物の鶏天・鶏のから揚げ尽くしのランチを摂って走り戻り、400キロを越えるドライブを終えた。

 最後の日の朝、下の孫娘と二人で早朝の散歩を楽しんだ。市役所の職員駐車場に車を置き、時折降り掛かる小雨を傘で払いながら、御笠川沿いの桜並木の散策路を辿った。開花宣言が遅れ、桜はまだ数輪。川面に遊ぶシラサギ、カルガモ、セキレイ、ツグミ。朱雀大橋から右に折れ、大宰府政庁跡を抜けて裏道を辿り、いつも野菜をいただく友人の畑を見せて、観世音寺に参って……ジ~ジと孫娘の、ほのぼのと楽しい6000歩の散歩だった。

 1週間、悔いなく九州を食べ尽くし、ジ~ジの手料理を「美味しい!」と褒め、オバアチャンの手料理を習って、代わりばんこに台所に立ち、孝行も尽くして3人は帰って行った。宴の後の寂しさが、春の霞を一段と深くした。
 大学での会議を控えて一日早く帰って行った上の孫も、空港に送った娘も、九州グルメ旅の締めは……やはり、朝ラーメンだった。タイミングを逸して食べそこなった下の孫は、今頃きっと悔しがっていることだろう。
 「受験が終わったら、またラーメンを食べにおいで!」

 3月が逝く。
                 (2017年3月:写真:南小国・鍋ヶ滝)

春を探して

2017年03月03日 | 季節の便り・花篇

 気が付いたら、2月が足早に逃げ去っていた。3月3日、ひな祭りの午後である。

 すっかり遅れてしまった初詣。慌ただしく緊張感に満ちた新年に、何となくタイミングを逸し、やがて梅の季節を迎えた。アジア系観光客のけたたましい雑踏と化してしまった太宰府天満宮に、かつてのような初詣のときめきもない。……そんな諦めと苛立たしさが、ずるずるとお参りの時期を遅らせてきた。
 しかし、気持ちのけじめだけは、つけておかないと悔いが残る。暖かい日差しに気持ちを奮い立たせながら、カミさんと歩き始めた
 光明禅寺の角を曲がり、天満宮にはいると、早速けばけばしいファッションにミラーサングラスをかけた姦しい集団の渦に巻き込まれる。覚悟していたものの、この日本語の聞こえない雑踏の落ち着かなさはどうだろう!そそくさと参拝を済ませ、裏に抜けてコンビニでお握りとお茶を買って梅園を抜け、「お石茶屋」の手前から苔むした急な石段を上がった。
 天神山の枝尾根の取り付きである。此処までくれば、もう人影はない。木漏れ日を浴び、シジュウカラの声を聴きながら、ゆっくりと山道を辿れば、そこは天開稲荷。二つ目のお参りを済ませて、陽だまりのベンチでひと息入れた。

 春探しの散策……天神山の尾根筋を辿れば、必ず「小さな春」が待っていてくれる。今年になってまだ会ってない「青空のかけら」のようなオオイヌノフグリが、眩しさを増した春の日差しの中に群れ咲いていた。人が来ない天満宮裏山の小さな梅林、一番美しい枝垂れ紅梅も此処にある。
 花びらを舞わせ始めた白梅の下で、散りばめられた「青空のかけら」の間に、一段と鮮やかなホトケノザが咲いていた。薄紫の唇をつぼめ、花びらの下唇に濃い紅色がそそるように散る。すぐそばに、いつものように咲くスミレが数輪、いずれも早春のお馴染みの使者たちである。梅の花の下を潜るように、キチョウが飛んだ。

 寒暖温度差の激しい冬だった。元来冬が苦手な私にとって、年々冬の寒さが厳しく身を苛む。用心し過ぎるほど用心して、今年もインフルエンザに罹ることなく乗り越えたようだ。
 思い返せば、最後のインフルエンザは21年前!平成8年6月。カナディアンロッキーを旅し、Icefields Parkwayを駆け下る途中で寄ったコロンビア大氷原の雪上車で、やはりアジア系団体に囲まれて感染して以来、罹ったことがない。
 それは激烈なインフルエンザだった。帰りに寄ったジョージア州アトランタの次女の家で3人とも発症し、交互に頭を冷やし合いながら数日を耐え、高熱が下がらないままに朦朧と15時間のフライトを乗り越えて帰国した。眼下に広がる壮大なロッキー山脈の氷河が、辛うじて正気を保ってくれたことを思い出す。

 天神山周回コースを外れ、九州国立博物館への導入路に移り、「野うさぎの広場」への入り口を横目に見ながら、曲折する階段を博物館に下った。湿地の散策路の傍らにネコヤナギがキラキラ輝き、イノシシが荒らした湿地にセリも芽吹いて、木道の下にはツクシが立っていた。
 四阿でお握りを頬張った。日溜まりは暖かいが、四阿を吹き抜ける風には、まだ冷たい冬の名残が濃く、食べるうちに身体が冷えてくる。そそくさと食べ終えて、博物館の喫茶コーナーに逃げ込んだ。

 太郎左近社で三つ目の初詣を済ませ、帰り着いた9400歩の春探しの散策。見付けた春は小さかったけれども、明後日に迫った啓蟄への期待を大きく膨らませてくれた
 天開稲荷と太宰府天満宮で引いたお御籤は、カミさんも私も「吉」……それでいい、「おらが春」は中ぐらいの目出度さが相応しい。今年は、きっといい年になるだろ。
                    (2017年3月:写真:ホトケノザ)