除夜の鐘を撞かなくなって久しい。嘗ては、紅白歌合戦の終わりを待って太宰府天満宮脇の光明寺に駆けつけ、篝火に温められながら並んで、午前零時を待って鐘を撞いて天満宮に初詣でをした。住職が交代してから、その風物詩は一方的に打ち切られ、山門が開くことはなくなった。
108つの煩悩を払う……余韻に身を預けながら手を合わせる瞬間の引き締まった緊張感と安心感は、年越しの我が家にとっての貴重な一瞬だった。
118もの虚偽の答弁が発覚しても、全て秘書のせいにして議員辞職しない政治屋(政治家とは、恥ずかしくて言えない!)が蔓延る日本は、医療崩壊の前に既に政治崩壊を起こしている。昨日の新聞に「アベノホオカムリ」、「スガモホオカムリ」という諷刺漫画が出ていた。その滑稽さに笑うより、情けなさが先に立った。ブログに転載しようと思ったが、あまりもの醜さに折角のエッセイが汚れそうだからやめにした。
「国内感染者最多!」の文字が紙面に踊る。「新規入国全面禁止!」のトップ見出しが危機感を煽る。感染力を増した変異ウイルスが、すでにイギリスから流入を開始している。専門家は、「水際作戦が、いつも1週間遅い!」と指摘する。政策・対策は全て後手後手、ホオカムリする政治屋に、この災禍をとどめる能力はない。
この人口7万2千あまりの小さな太宰府市でも連日感染者が増え、82人を数える。これ以上、どう用心すればいいのだろう?28名ものクラスターを出した掛かりつけ医の病院は、幸い対策を終えて診療を再開した。ホットひと安心である。
数年に一度の寒波が、年越しの日本列島を覆う。直前に穏やかな日差しを浴びながら、カミさんと初の「幸先(さいさき)詣で」に出掛けた。今年、コロナ対策として初詣での三密を避けるために神社が提唱し始めた新しいお参りのスタイルである。
広島護国神社によれば、「幸先よく新年を迎えられますように」という願いをこめて、「年内に神様へ今年1年間の神恩を感謝し、新たな年のご加護を願う」というもので、新年の『幸(さち)』を『先(さき)』に戴きましょう」という意味だという。辞書によると、「幸先(さいさき)」とは、よいことが起こる前兆、吉兆。事を始めるときに当たって何かを感じさせる物事。前兆。縁起。「幸先がいい」「幸先がわるい」とある。
太宰府天満宮でも、12月1日から縁起物の取り扱いを始めている。
考えることは皆同じなのだろう。歳末の平日にしては、結構な人出だった。馴染みの店で梅が枝餅を買って、心字池の畔の日溜りで食べた。過去・現在・未来の赤い太鼓橋を渡り、1年間我が家の息災を守ってくれた「子年」の「福かさね」を返納し、手を清めて山門を潜り本殿に立った。受験生の合格祈願の先取りだろうか、昇殿して祝詞(のりと)を受けている人たちもいる。縦に数本の列が並び、それぞれ間隔を開けて順番を待っている。此処にも、コロナ除けの秩序があった。
二礼二拍手一礼に、欲張りすぎるほどの願いをこめて頭を垂れた。「丑年」の「福かさね」を求め、御神籤を引いた。私は「吉」、カミさんは「小吉」と出た。よしよし、おらが春は中ぐらいがいい。
既に年末休館に入っている九州国立博物館への長いエスカレーターに乗り、家路についた。「幸先詣で」と共に、今年の「歩き納め」でもあった。
東の空に、面白い雲を見付けてカメラを向けた。眩しいほど青い冬晴れの空をバックに、髪をなびかせて走る少女の横顔とも、見ようによっては、「コロナよ鎮まれ!」と叫ぶアマビエに見えないこともない。アップにすると、幸四郎が眉根を寄せて叫んでいるようにも見える。
「詣で納め」、「歩き納め」、そして、これをもって今年の「ブログ納め」としよう。
今朝、今年最後の散髪をした。スッキリと新年が来ますように!!!
(2020年12月:写真:師走の空に)