蟋蟀庵便り

山野草、旅、昆虫、日常のつれづれなどに関するミニエッセイ。

夏、不遜!

2009年08月21日 | つれづれに

 暦の上の秋が立ち、8日間の孫台風もあれよあれよという間に横浜に吹き去って、お盆の帰省ラッシュの喧騒も過ぎた頃、ようやく遅ればせの夏がやって来た。8月も下旬になってからの連日のぎらつく34度……「今さら何だ!」というやり場のない苛立ちが燻っている。楽しみにしていた孫達の九州の夏は、雨交じりの山と重く冷たい海で終わり、お互いに思いの残る夏休みとなった。

 長い梅雨空のあと、不順な天候は繰り返し全国に豪雨の爪痕を残し、折から国宝・阿修羅展で人波が切れない九州国立博物館も、周辺数箇所の土砂崩れで一日の閉館を余儀なくされた。その日、環境ボランティアの定例会の最中だった。朝来る時には異常なかったいつもの階段が土砂で埋まり、雨水が滝のように流れ下る道を迂回して戻った町内でも、公民館横ののり面が崩れ泥水が流れ下っていた。博物館周辺の土砂崩れの現場は、1ヶ月近く経った今もブルーシートで覆われたままである。こんな異常な夏は記憶にない。夏には自信があった筈なのに、切れ目ない高温多湿の不順な日々に体調を崩す日々を繰り返している。白内障で両目の手術を受けた家内も、術後のまだ定まらない視力に苛立ちながら、過酷な夏を耐えに耐えている。

 8月10日にツクツクボウシが鳴き始めた。相前後して庭の片隅からカネタタキが涼やかな夜の調べを送って来た。遅れていたクロアゲハやツマグロヒョウモンの訪れが、このところ頻りである。庭のあちこちに、白く土を掘り上げた小さな塚が目立ち始めた。穴の奥から「ジガジガ…!」とせわしない音が聞こえてくる。苛烈な日差しの下で、ジガバチは巣作りに余念がない。ようやく豪快な夏空がやって来たというのに、既に生き物たちは秋へのエールを送るのに躊躇いがない。くたびれ果てて秋風を待っているのは、やわになった人間だけなのだろう。今年も、夏空のサソリ座を定かに見ることなく終わった。夜空の濁りなのか、それとも薄くなった視力のせいなのかと、ふと70という歳の衰えを噛み締めたりする。
 
 不遜な夏……その底で、新型インフルエンザが不気味に蔓延し始めた。アメリカや冬期にあるオーストラリアなど、世界各地で大変な事になっている。ひところの騒動が何だったのかというくらい、熱し易く醒め易いマスコミがずっと鳴りを潜めていたのに、ここ数日俄かに喧しくなって来た。高温期のこの時期の流行、甲子園の高校野球も、プロ野球も、大相撲も洗礼を受け、公示されて終盤期にある衆議院選挙も、さてどうなるのだろう。やがて新学期、後手に回っているワクチン不足の中で迎える今年の冬、何か大変な事になりそうな慄きがある。11月に計画しているメキシコでのダイビングも、今年は見送った方がいいのかもしれない。何しろ、新型インフルエンザ発祥の地である。「そんな所で入院なんかしたくない!」と家内は言う。前回、夢のような水中シーンを体験させてもらっているし、今回は諦めて、せめてアメリカの娘の家で、静かなクリスマスと水入らずのお正月を過ごしたいと家内と話しながら、不遜な夏の名残と、最後の戦いを繰り広げているいる。残念ながら、劣勢は否みようがない。

 「父の日」に横浜の上の娘が、珍しいデラウェアの鉢植えを送ってくれた。「日に3回水遣りをして下さい」という注意書きに従いながら、10本ほどの青い房を提げた鉢を守り続けた。ようやく甘く熟れたデラウェアを摘みながら、孫達との慌しかった夏を想った。
         (2009年8月;写真;甘く熟れたデラウェア)