暖かく、穏やかなお正月だった。帰ってくる者もなく、訪れる人もない三が日を、カミさんと二人でささやかに祝った。お節も出来合いの二人用でお茶を濁し、お屠蘇と数の子だけを用意して、あとは関東風のお雑煮――関東育ちの父の代から、我が家では切り餅が恒例だったが、友人が暮れに丸餅を山ほど届けてくれたから、今年はその厚意に甘えることにした。
夕飯は、わが家恒例の「おでん」がしっかり煮込んである。
綺麗に晴れた二日の昼、太宰府天満宮に初詣でに出かけた。実は、暮れになって気付いたことがある。亥年の筈なのに、何故か玄関の棚に飾られていた干支の置物は「戌」だった。慌てて「亥」に置き換えたのが師走間近の夕方である。多事多難、波乱含みの1年は、これが原因だったのかもしれない。「亥」の置物は、わずか数日で「子」に席を譲った。
相変わらずの雑踏を掻き分け、脇から潜り込んで、二礼二拍手一礼で恙ない1年を願った。「福重ね」と「福結び」を奮発し、神籤を引いた。カミさんが中吉、私が小吉、よしよしこのくらいがいい。政治以外は、何事も中庸がいい。「めでたさも、中ぐらいなり、おらが春」もう多くを欲張る年でもない。納得して、帰りに太郎左近社と石穴稲荷に詣でて、これで三社参りとした。
そして、パソコンに別れを告げる日が来た。Windows7のサポートが、13日で終わる。放っておくと、ウイルスなどのリスクが高まるから、ネットを切断するよう娘から指示が来た。
「でも、お母さんと一緒に使ったら?普通の家は、一軒に1台だよ」と娘が言う。しかし、我が家は「普通の家」ではない。それぞれに、パソコンへの依存は半端ないのだ。
待っていたようにバッテリーの寿命が尽きた。Windows7の初期のパソコンである。慌てて近場の電器店に走った。しかし、同じ立場の人が沢山いるらしく、暮れから注文が殺到して、納期は2週間掛かるという。やむなく、12日の夕方に、取り敢えずネットを遮断してもらうことにした。
18日が来た。私の81歳の誕生日である。
よくぞ、ここまで生きてきたと思う。父が逝った74歳は既に超えた。あとは、母が逝った83歳を超えるのが最後の親孝行と思っていたが、どうやらその壁も超えそうな勢いである。カミさんも、1月5日に八十路を迎えた。
お互いに、傘寿の祝いをお預けにしている。最後に、「飛鳥Ⅱで、1週間ほどの国内クルーズをしよう」と、旅行会社の案内を待っている。
今日だけは奮発しよう!行きつけのスーパーの肉屋から、誕生月2割引きのハガキが来た。グラム2000円の佐賀牛のフィレステーキを300グラム買った。フランスの赤ワインと生ハムのサラダを添えて、我が家なりの豪華なバースデー・ディナーで祝った。とろけるように柔らかな食感に、心地よく酔った。珍しく高い買い物だったが、ステーキハウスに出掛ければ、とてもこんな値段では済まない。
昨日は、買い物のついでにマクドナルドのハンバーガーを貪った。八十路の後期高齢者が、こんなものを食べていいのだろうか?カリフォルニアの次女のもとを訪ねても、ファースト・フードばかり食べ歩き、「ご馳走のし甲斐がない!」と次女を嘆かせていた。しかし、いいではないか。好きな時に、好きなことをやり、好きなものを食べる……あれこれ制約してストレスを溜めるより、そのほうがよほど寿命が延びる……そう信じて疑わない。
翌19日に、新しいパソコンが届いた。Windows10を搭載したニューモデルである。「情報弱者」(上から目線の、いやな言葉である)のために、電器店のプロが4時間かけてすべてインストールしてくれた。
「パソコン事初め」に、今年初めてのブログを書くことにした。「ブログ初め」……1月は、いろいろと「初め」が続く。何をやっても新鮮な「事初め」の月は、なんとも心浮き立つ毎日である。
半月ブログを放置していると、身体の具合でも悪いのかと、読んでく下さる皆さんに要らぬ心配を掛けてしまう。ブログまでが、「生存確認」の手段になってしまったようで、妙に可笑しい。
そう、八十路とは、そんな年齢なのだ。
こうして、無事に新しい年が歩き始めた。さぁ、今年も元気で生きていこう!
(2020年1月:佐賀牛フィレ・ステーキディナー)