蟋蟀庵便り

山野草、旅、昆虫、日常のつれづれなどに関するミニエッセイ。

寒を忘れた立冬

2015年11月08日 | つれづれに
    
 花咲く音がききたいと
     あなたは窓に耳を寄せる  (南海子)

 ご近所の友人から届いたオキナワスズメウリを、玄関の衝立に提げた掛け軸に飾った。
 ずいぶん昔、関東に住む共通の同級生から贈られた、夫妻合作の小さな掛け軸である。彼女が書を画き、彼が表装した、二つとない作品である。その柔らかな筆致が気に入って、何年も掛けっぱなしにしている。緑と赤のオキナワスズメウリの実が、可憐に季節を演出してくれた。

 小雨交じりの生暖かい風が、重い湿気を含んで吹いてくる。11月初旬に、この暖かさは何だろう?夏日に近い暖かさ……というより、暑さが続き、滲み出る汗に耐えかねて、いったん仕舞い込んでいた夏物の下着を引っ張り出す羽目になった。寒さに弱い私としては、この暖かさは一方ではありがたいものの、この後で間違いなくやってくる突然の寒さに少し怯えている。ようやく冬に向けて心と身体の覚悟と慣らし運転を始めたところに、いきなり暑さの出戻りはひどく疲れる。

 そして、冬が立った。

 夏の日照不足で例年になく小振りな八朔が、それでも健気に色付き始めた。悪戯して「ニコチャン・マーク」をサインペンで描いた1個が少しずつ重みを増し、垂れ下がって庭を掃く額にコツンと当たる。
 毎朝起き抜けのストレッチを済ませて、道路と庭に散る落ち葉を掃く日課も、もうキブシの枯葉と、白地にピンクを刷いたハート形の山茶花の花びらに代わった。
 みっしりと実を着けたマンリョウが赤く染まり始め、やがて来る雪の日の彩りを待ち遠しくさせる。
 慌て者の寒椿が数輪、真っ赤な花が一段と鮮やかに咲いた。
 3本のイロハカエデも紅葉が始まった。紅葉は少し遠目がいい。美しい紅葉も、近くで見ると一枚一枚の葉には疲れた滅びの色が見える。秋の季節が侘しさを感じさせるのは、そんな滅びの匂いがあるからだろう。

 アメリカに住む次女からメールが届いた。
 「荷物届いたよ〜!すごい、色々はいってた!しかも、箱半分位お味噌汁でビックリした!大事に飲むね〜!いっぱい有難う!さんきゅ!そして、いつもパンフレット有難うね〜!貴重なものがいっぱいで嬉しい〜!
 仔ニャンコズ(注:今年から新しく家族になった仔猫、海沙:ミサと咲蘭:サラ)が寝てる隙をついて、雑誌もスクラップしなきゃ!
 そしてそして、蘭丸(注:以前飼ってた黒猫)似のバッグ有難う〜!めっちゃ可愛いよ〜!メッシュになってるのね〜。何処に持ってこうかな〜
 ミサンガ(注:生駒高原で演奏していた、エクアドルの音楽家が売ってた品物)かな?アレも私にでいいのかな? 咲蘭が狙ってたけど(笑)
 レンジでチンのオカズも、今日早速食べようかと思ったけど、なんか勿体なくて… お米のパスタとか、錦糸卵とか… 日本って本当に色々あるね〜
 いっぱい有難うね」

 こんな喜びに舞い上がったメールが来ると、親馬鹿は張り切らざるを得ない。
 2ヶ月に1度ほど、ダビングしたテレビ番組のブルーレイ・ディスク(もう、360枚ほどになる)に、文庫本やコミック、ちょっとしたレトルト食品、博多ラーメン、目に付いた雑誌やチラシ、お菓子などで隙間を埋めて、国際宅急便でカリフォルニアに送ると、僅か5日後には娘のコンドミニアムに届く。娘が学生時代、留学先のフィリピンに送るのに、1ヶ月掛かった。世界は狭くなったものである。お蔭で、包装技術はプロ並みになった。
 毎年のように訪れ、2ヶ月近く滞在して、走り、歩き、食べ、登り、潜るといった非日常を楽しんでいたが、そろそろ10時間余の空の長旅がつらくなった。もう十分行き尽くした感もあって、非日常は身近に探すようになった。
 しかし、やっぱり少し淋しい。

……異常に暖かい立冬の朝の、とりとめないつれづれである。
          (2015年11月:写真:掛け軸に添えたオキナワスズメウリ)



近づく足音……霜月

2015年11月01日 | つれづれに

 ハロウインの夜が明けて、薄墨色の曇り空から時折日差しを漏れこぼして11月が来た。

 カレンダーを1枚めくり、残り少ない今年に、2か月半ほどに迫った喜寿を思う。
 草書体の七十七、世の中を真正面から見詰める青春が楷書だとすれば、紆余曲折の経験を積んで世の中を少し斜に見るようになった行書体の熟年を経て、何事も素直には読めない草書体の世代真っ只中にはいったという事だろう。

 今年も町内の子供たちが思い思いの紛争を凝らし、「Trick or Treat!」と可愛く叫びながら夕闇の玄関先にやって来た。付き添うお父さんは「ダースベーダ―」、お母さんは「魔女のキキ」、迎える私は「宇宙人」。
 昨年は、鼠色の顔に大きく裂けた目と2本の角を生やした宇宙人の仮面を怖がって泣きだした子供もいた。ちょっとためらっていたら、子供会のお母さんが「今年も、思いっ切り怖がらせてください!」とお許しが出て、遠く公民館から近付いてくる子供たちの歓声を待っていた。
 掌の中には、アメリカで買って来た「怖がらせグッヅ」……「イーヒッヒッヒッヒ!」と叫ぶ小さなジャック、オー・ランタンと「ミャ-ミャー!」と鳴きながら鋭い光を放つ黒猫を隠し持っている。
 今年も大騒ぎの玄関口となった。大成功!

 お菓子を配った後、公民館のハロウイン・パーティーに招かれ、24人の子供たちとお弁当をいただいた。玄関先で逃げて行ったキキに扮した女の子と、宇宙人のマスクで人差し指を触れ合わせる挨拶を交わす。サヨナラする頃には、宇宙人の正体を知った子供たちが、思い思いにハイタッチして送り出してくれた。(クリスマス会には、白い髭を生やしたサンタクロースに変身する。)

 子供会が崩壊しつつある町も増えているというのに、この地区は100%の加入率を誇る。働くお母さんが増えて、役員の人たちにはそれなりの苦労もあるようだが、こうして子供たちの想い出づくりが重ねられているのは嬉しい。
 自治会長をやっていた頃「大人の都合で、子供たちの想い出づくりの邪魔をしないでほしい」と訴えてきた。主旨を汲んでくれたお母さんやお父さんの協力で「夏休み平成おもしろ塾」を12年続けた。大正琴、生け花、お点前、お習字、飯盒炊爨、西瓜割……盛りだくさんの遊びを盛り込んだ熟だった。社会人となった塾生たちが、今も顔を見たら声を掛けてくれる。私の宝物である。

 親子そろって扮装を楽しみ、地域の仲間たちと騒ぎ合う姿は微笑ましくていい。しかし、頭の軽そうな若者たちが扮装して街中で騒ぎまわり、ゴミを捨て散らす姿には些か違和感がある。古代ケルト人の秋の収穫祭、悪霊などを追い出す宗教的な行事を起源とされるハロウインが、いつから仮想大会みたいになってしまったのだろう?それはそれでいい。しかし、最低限のルールやけじめはあって然るべきだろう。
 頭の軽さだけが鬱陶しく感じられたニュースの中で、夜更けに散らかったゴミを回収するボランティアの姿を見て、少し気持ちが和んだ。

 霜月…かぐらづき(神楽月)、かみきづき(神帰月)、けんしげつ(建子月)、こげつ(辜月)、しもふりづき(霜降月)、しもみづき(霜見月)、てんしょうげつ(天正月)、ゆきまちづき(雪待月)、ようふく(陽復)、りゅうせんげつ(竜潜月)…さまざまな異名を持つ月である。
 気持ちの奥に、師走の慌ただしさを予感するざわつきがある。2016年の手帳を買い、年賀状を注文し、暖房カーペットを敷いてガスストーブを出し……半袖から長袖に肌着を替えて、数日前から吹き始めた晩秋とも初冬とも取れる風に備えた。

 今年は例年になく、たくさんの藪柑子が実を着けた。地面すれすれに5ミリほどの実を庭中に散りばめ、マクロレンズを嚙ませたカメラを近付けると、精一杯真っ赤な輝きで主張する。小さいが故の眩しさ、こんな発見があるから、カメラ片手に這いつくばる楽しみは尽きない。
 今夜は雨になる。耳を澄ませば、そろそろ冬将軍の先触れの足音が聞こえる季節である。
                     (2015年11月:写真:ヤブコウジ)