際限なく続く異常寒波に倦みながら、1月が慌しく過ぎていく。久し振りの青空が二日続いた。晴れたら晴れたで、放射冷却が容赦なく夜気を氷点下に引き摺り下ろしていく。昨日は氷点下2.5度とこの冬二番目を記録し、今朝も氷点下1.4度まで下がり、蹲に逆さツララが立った。今夜から又寒波が襲来、月末3日間は雪の予報が出ている。これが、太宰府の冬…早春を呼ぶ天満宮の飛梅が、ようやく2輪の花を開いたのが、昨年から1週間遅れの昨日である。
束の間の貴重な日差しの中で、八朔を捥いだ。ここ数日ヒヨドリが八朔をつつき、開けられた穴にメジロが寄る微笑ましい姿が見られる。山に木の実が少ないのだろうか、例年にない現象である。庭のそこかしこに立って赤い実を着けていたマンリョウも、悉くその実を啄ばまれた。
朝夕食事に訪れる鳥達の姿を愛でる反面、放っておくと際限なく啄ばまれてしまうのも妬ましい。少し早いかな?と思いながら梯子を立て、木の枝に跨り、身体を捩りながら捥いで手提げに落とし、広縁に運んで転がしていく。昨年の豊作に比べ、紛れもなく少ない。そして、実も小ぶりである。植木職人も「今年は裏作」と告げていた。個人タクシーが通りかかり、馴染みの年配のドライバーが声を掛けていく。やっぱり、ヒヨドリの被害が多いという。昨夏の異常な暑さ、短い秋、そして打ち続くこの寒波が、山にも異常を齎しているのかもしれない。
斜めに差す冬日を浴び、少し汗ばみながら、小一時間でほぼ捥ぎ終わった。手の届かない2個と、小振り過ぎる実を3個、啄ばまれた実を2個…計7個を鳥達へのお裾分けに残して、76個を広縁に数えた。食べやすいように半分に割って柵や枝に突き刺したり、枝につけたまま包丁で切り目を入れたりして、硬い皮をつつかなくてもいいように、それなり気を使うのは、収穫の殆どを採ってしまう後ろめたさでもある。昨年のほぼ半分だが、我が家と孫達を潤すに不足はない。
梯子を片付けるのを待っていたように、姦しくヒヨドリが来た。そっと覗くと、メジロもチチッと鳴きながら慎ましくつついている。その白くくるまれた目の可愛さは例えようがない。寒さに倦んだ心がホッと和む瞬間だった。
ラカンマキに囲まれたカーポートから小さな木戸を開けると、陋屋・蟋蟀庵の庭である。東の塀際に、手前から花房をびっしり下げたキブシ、天満宮の裏山から実生で採って来て1メートルほどに育ったイロハカエデ、盆栽を地におろして、これも1メートルほどに育ちあがって、みっしり蕾をつけた枝垂れ紅梅、日差しに黄色を輝かせる満開の蝋梅、ほろほろと散る山茶花、そして八朔が2階に届く高さで茂る。その隣りに辛夷、コデマリ、山椒。
北に回りこむと、アメリカの娘が住んだアメリカ・ジョージア州のアトランタの市の花のアメリカハナミズキの白が高く立つ。物置を挟んで、沈丁花、芙蓉、楓、槙、そして沖縄のシーサーを両側に載せた門扉の横に、アメリカハナミズキの紅が高く枝を伸ばしている。
西側の隣家(かつて両親が住んでいた土地)との境界は、ラカンマキが連なる。
南面が和風庭園である。父が愛しんでいた庭石や蹲、灯籠などを移し、形見の庭を作った。松、紅椿、乙女椿、躑躅、コデマリ、ユキヤナギ、山吹、石楠花、紅馬酔木などが季節を彩り、蹲の傍らには侘助が白い花を落としている。
秋の夜、この陋屋はコオロギの声に包まれる。その切ない鳴き声に因んで、此処を蟋蟀庵と名付けた。ご隠居を名乗る所以である。
夕暮れの八朔の枝を覗いた。夕餉を終えた鳥達は、既に姿を消し、曇り始めた冬空から冷たい風が吹き下ろしていた。
(2011年1月:写真:八朔を啄ばむメジロ)