夢も見ずに、何時ものように5時半に目覚めた。風呂を入れ直す間に、30分の下半身ストレッチで身体を覚醒させる。ゆっくり温まった身体を冷ましに、30分ほど宿の周辺を歩いてみた。矢部川のせせらぎに沿って遡行すると、因縁の矢部中学校があった。ドームの屋根を持った立派な校舎が改装中である。後で訊いたら、文科省がン十億掛けて小中一貫校に造り替えているという。文科省も、金遣いだけは巧い。一見素朴な寒村だが、豊かな底力があるのだろう。
朝焼けが残る空を、白鷺の群れが川に沿って飛び渡っていった。
フロント棟の個室で朝食を摂った。私は洋食、カミさんは和食。旅に出ると食欲倍増するカミさんは、今朝も健啖である。
さて、帰路に迷った。太宰府に帰るには、3つのルートがある。昨日の羊腸のクネクネ道は、「胸がモヤモヤしてくるから、イヤだ!と」カミさんが言う。星野村に北上する第2のルートも同じような山道で、しかも先年の水害復旧工事の為、迂回路が設定してあるという。結局、第3のルート、東に向かって大分県の県境を山越えし、中津江から日田に下ることにした。距離も所要時間も伸びるが、舗装された広い道を幾つものトンネルで結んで走り易いという。途中、大山の「木の花ガルテンに」寄ることにして、「道幅優先」でナビを入れた。
中津江村、2002年サッカーワールドカップ・カメルーンのキャンプ地に選ばれて名を広めた。ネットによると、こんな嬉しい裏話がある。
「中津江村」という村名は実は消滅の危機にあった。2005年に実施された日田市との合併の際に、まったく別の地名になる予定だったのである。ただ、あのカメルーン代表を受け入れたという事実の重さと、それによる「中津江村」のネームバリューが認められ、独立した地名としてその名を残すこととなる。
宿から徒歩1分の物産館「杣のさと」でお土産を買い、帰路に着いた。早朝の雨も上がり、抜けるような秋空に、盛りを過ぎたススキが風に揺れていた。山道ではあるものの、昨日とは打って変わった快適な走りだった。時折、バイカーが追い上げてくる。ハザードを点けて脇に寄ると、片手を上げて挨拶しながら追い越していく。お互いに気持ちがいいマナーである。
松原ダムで小休止して、お互いに遺影(?)を撮った。
梅干しで有名な大山町、「木の花ガルテン」で買い物をした。田舎料理のバイキングを楽しめる場所だが、まだ11時前で、たっぷり摂った朝食で空腹感など程遠い。
カミさんにハプニングを用意しようと、こっそりナビを入れた。心地よい揺れに舟を漕ぎ始めたカミさんを眠らせたまま日田に下り、筑後川沿いに西に向かい、この旅3つ目の夜明けダムを過ぎて、杷木ICで大分道に乗った。甘木ICで降りて向かった先は、キリンビール福岡工場のコスモス畑だった。
背丈を超えるほどの1000万本のコスモスが圧巻だった。一面のコスモスの後ろに、メタセコイアの並木が鋭い三角錐を秋空に突き上げる。このコントラストがいい。
出店で久し振りの佐世保バーガーにかぶりつき、ノンアルコールビールで喉を潤した。ビール工場に付随する畑なのに、飲酒運転撲滅の時勢に合わせ、ビールは売っていない。
午後2時過ぎに帰り着いた。久々のドライブ197キロ、「80代高齢者」は、一度もヒヤッとすることもなく、無事安全運転の二日間だった。
帰り着いたニュースは、またまた閣僚二人の謝罪と発言撤回。第2次安倍内閣は、既に9人の大臣辞任を重ねている。その度に「任命責任は、全て私にあります」と庇いながら、一度も責任を取ったことがない安倍シンゾウの強シンゾウ!
こんな嫌な娑婆を離れて、また旅に出ようと思った。
久住高原に、紅葉が降りてきている。10月が終わろうとしていた。
(2019年10月:写真:満開のコスモス)