どこかに、ホッとしている自分がいた。刀折れ、矢尽きた感否めない日本列島、取り敢えず信じられるものは、最早ワクチンだけとなった。そのワクチンさえ、いずれはインフルエンザワクチンと同様、コロナの変異と鼬ごっこを繰り返すだろう。イギリス型変異にはそれなりに有効とはいうものの、爆発的拡大を展開し始めているインド型変異への結論は出ていない。
日本が命運をかけようとしているファイザー社製に、近々モデルナ社製も認可されようとしている。認可前なのに、大規模接種会場を自衛隊に依存しながら東京・大阪で展開しようというのも、本来考えられないことであり、万策尽きて支持率を記録的に下げ続けている政府の足掻きの象徴にも見える。先ず、ワクチンの国内生産を可能にしないと、これからのコロナとのせめぎ合いは、日本人にとって非常に過酷なものになるだろう。
高齢者へのワクチン接種の予約が、各地で大混乱。その多くが「情報弱者」と烙印を押されている高齢者対象に、専用電話かWEBかLINEでしか予約を受けつけないと言えば、回線がパンクするほど電話に集中するのは子供にでもわかる。多くの高齢者は、本質アナログ人間である。そこに気付かずに、大混乱を招いた政府の実態があからさまになる混乱だった。
八十路の坂を上り始めている我が家も、パソコンやスマホのLINEでそこそこ遊んではいるが、所詮は昭和の人間、気持ちはアナログなのである。
18日夕刻5時、郵便配達さんがポストに2通の封書を落としていった。市から「5月中旬から下旬に送付」と予告されていた「新型コロナウイルスワクチン接種のお知らせ」というクーポン券の到着だった。
予告通りのタイミングは、まず誉めてやろう。しかし、掛かり付けの病院の医療従事者への2回目の接種が、ようやく今週終わるというタイミングのズレはいただけない。先月下旬にクーポンが配られた85歳以上の接種が、すでに始まっているタイミングである。
小刻みになっていた。これも褒めていい。今回は80歳から84歳まで。75歳~79歳は5月下旬~6月下上旬、70歳~74歳は6月上旬~6月中旬、65歳~69歳は6月中旬~6月下旬に、それぞれクーポン券が送られる。
確かにこの通り進めば、政府が根拠なく大見得を切った「7月中に全ての高齢者への接種を完了する」という図式に乗る。どうやら、脅迫にも似た手法で全自治体の答えを促したようだが、まあお手並み拝見としよう。「発送時期は変わることがあります」という但し書きに、ささやかな自治体の抵抗がうかがえる。
会場までの移動手段として、まほろば号など地域路線のバス券が2往復分同封されていた。これも褒めるに値するだろう。我が家からは徒歩10分の距離に接種会場の一つがあるが、駐車場が限られた中での移動が厳しい高齢者も多い。身近な掛かり付け医での接種の道を閉ざしているのは、市の拙策である。
そして、一番の難はクーポン券の文字の小ささである。券番号を読み取らなければならないのだが、10桁の、しかも頭に0が5つも並んだ券番号を、視力の弱った高齢者の目に突きつけるのは、あまりにも配慮に欠けている。。
夕餉の支度に台所に立ったカミさんをよそ眼に、早速パソコンを開いた。初めから、電話は諦めていた。httpsで始まるWEBを開くと、即座に画面が出た。その指示に従ってスケジュールの空き日を探り、僅か10分で6月10日14時30分~15時の予約が取れた。すぐにカミさんを呼び、カミさんはカミさんのパソコンでWEB入力をする。同じ日の同じ時間帯に、まだ6席の空席があり、即座に予約を入れた。マイページで予約内容を確認し、念の為にコピーを取る。(ここが、アナログ人間たる所以である)
呆気ない予約劇だった。横浜の長女にLINEで報告すると。「だから、あなた方は情報弱者じゃない!」とお𠮟りが来た。
平成元年、長崎支店長時代に取引先の電気屋さんから一株いただいたオリヅルランが、32年の歳月を重ねて幾つもの鉢に分けられ、幾つかは友人知人宅に嫁入りし、今花時を迎えた。風呂場やトイレや玄関先に吊るした鉢から何本ものランナーが延び、その先端に地味な白い花をつける。体内時計が為せる技なのか、夕方になると花も萎む。
緊急事態宣言下のコロナに疲れ、老いに追われる日々に惑い、気持ちだけはどこまでも飛びたいと思う。そんな逼塞間の中で、心癒される小さな折鶴の飛翔だった。
花言葉は、≪守り抜く愛≫
(2021年5月:写真:折鶴蘭飛ぶ)