蟋蟀庵便り

山野草、旅、昆虫、日常のつれづれなどに関するミニエッセイ。

惑い、飛ぶ

2021年05月19日 | 季節の便り・花篇

 どこかに、ホッとしている自分がいた。刀折れ、矢尽きた感否めない日本列島、取り敢えず信じられるものは、最早ワクチンだけとなった。そのワクチンさえ、いずれはインフルエンザワクチンと同様、コロナの変異と鼬ごっこを繰り返すだろう。イギリス型変異にはそれなりに有効とはいうものの、爆発的拡大を展開し始めているインド型変異への結論は出ていない。
 日本が命運をかけようとしているファイザー社製に、近々モデルナ社製も認可されようとしている。認可前なのに、大規模接種会場を自衛隊に依存しながら東京・大阪で展開しようというのも、本来考えられないことであり、万策尽きて支持率を記録的に下げ続けている政府の足掻きの象徴にも見える。先ず、ワクチンの国内生産を可能にしないと、これからのコロナとのせめぎ合いは、日本人にとって非常に過酷なものになるだろう。

 高齢者へのワクチン接種の予約が、各地で大混乱。その多くが「情報弱者」と烙印を押されている高齢者対象に、専用電話かWEBかLINEでしか予約を受けつけないと言えば、回線がパンクするほど電話に集中するのは子供にでもわかる。多くの高齢者は、本質アナログ人間である。そこに気付かずに、大混乱を招いた政府の実態があからさまになる混乱だった。
 八十路の坂を上り始めている我が家も、パソコンやスマホのLINEでそこそこ遊んではいるが、所詮は昭和の人間、気持ちはアナログなのである。

 18日夕刻5時、郵便配達さんがポストに2通の封書を落としていった。市から「5月中旬から下旬に送付」と予告されていた「新型コロナウイルスワクチン接種のお知らせ」というクーポン券の到着だった。
 予告通りのタイミングは、まず誉めてやろう。しかし、掛かり付けの病院の医療従事者への2回目の接種が、ようやく今週終わるというタイミングのズレはいただけない。先月下旬にクーポンが配られた85歳以上の接種が、すでに始まっているタイミングである。
 小刻みになっていた。これも褒めていい。今回は80歳から84歳まで。75歳~79歳は5月下旬~6月下上旬、70歳~74歳は6月上旬~6月中旬、65歳~69歳は6月中旬~6月下旬に、それぞれクーポン券が送られる。
 確かにこの通り進めば、政府が根拠なく大見得を切った「7月中に全ての高齢者への接種を完了する」という図式に乗る。どうやら、脅迫にも似た手法で全自治体の答えを促したようだが、まあお手並み拝見としよう。「発送時期は変わることがあります」という但し書きに、ささやかな自治体の抵抗がうかがえる。
 会場までの移動手段として、まほろば号など地域路線のバス券が2往復分同封されていた。これも褒めるに値するだろう。我が家からは徒歩10分の距離に接種会場の一つがあるが、駐車場が限られた中での移動が厳しい高齢者も多い。身近な掛かり付け医での接種の道を閉ざしているのは、市の拙策である。
 そして、一番の難はクーポン券の文字の小ささである。券番号を読み取らなければならないのだが、10桁の、しかも頭に0が5つも並んだ券番号を、視力の弱った高齢者の目に突きつけるのは、あまりにも配慮に欠けている。。

 夕餉の支度に台所に立ったカミさんをよそ眼に、早速パソコンを開いた。初めから、電話は諦めていた。httpsで始まるWEBを開くと、即座に画面が出た。その指示に従ってスケジュールの空き日を探り、僅か10分で6月10日14時30分~15時の予約が取れた。すぐにカミさんを呼び、カミさんはカミさんのパソコンでWEB入力をする。同じ日の同じ時間帯に、まだ6席の空席があり、即座に予約を入れた。マイページで予約内容を確認し、念の為にコピーを取る。(ここが、アナログ人間たる所以である)
 呆気ない予約劇だった。横浜の長女にLINEで報告すると。「だから、あなた方は情報弱者じゃない!」とお𠮟りが来た。

 平成元年、長崎支店長時代に取引先の電気屋さんから一株いただいたオリヅルランが、32年の歳月を重ねて幾つもの鉢に分けられ、幾つかは友人知人宅に嫁入りし、今花時を迎えた。風呂場やトイレや玄関先に吊るした鉢から何本ものランナーが延び、その先端に地味な白い花をつける。体内時計が為せる技なのか、夕方になると花も萎む。
 緊急事態宣言下のコロナに疲れ、老いに追われる日々に惑い、気持ちだけはどこまでも飛びたいと思う。そんな逼塞間の中で、心癒される小さな折鶴の飛翔だった。
 花言葉は、≪守り抜く愛≫
                        (2021年5月:写真:折鶴蘭飛ぶ)

初夏を踊る

2021年05月13日 | 季節の便り・花篇

 父の代から50年以上の歳月を経た蹲を、みっしりと苔が覆い、その苔にユキノシタがしがみついていた。例年になく記録的な早さで訪れようとしている梅雨のはしりの雨が上がるのを待っていたように、葉陰から一斉に小さな踊り子が舞って出た。山野草に目覚めさせてくれた原点の花である。
 恥ずかしくなるほどしどけなく足を広げた人型の白い花は、立ったままの目線では可憐さは見えてこない。蹲り、目を近付けて初めて、はっとするように微妙な彩りに触れることが出来るのだ。マクロに接写レンズを噛ませてファインダーを覗き、例年のようにこの季節の踊り子たちの姿に見入っていた。

 昨日、西日本新聞の記事で、小林武彦さん(東大定量生命科学研究所教授)の新刊「生物はなぜ死ぬのか」の紹介記事が出ていた。記述者は平原奈央子さんと出ている。説得力のある記事だった。
 
 ……いつか誰にも訪れる死は、生命の進化の大きな流れの中では、一つの終着点であり、始まりでもある。

 「生物は進化のバトンの中で生きている。前の世代からバトンを受け取り、次世代に渡す生命の連続性の中で、死は終わりであると同時に始まりでもあります」

 生命の太古の姿は、実はコロナウイルスによく似ている。地球上に生物の種のように現れたウイルスは、自分の遺伝情報を複製して拡散し、他の細胞に入り込んで生き永らえた。安住先の細胞と共倒れしないよう本来はおとなしくしているが、何かのきっかけで猛威をふるう。コロナウイルスも古くから存在し、今回突如として感染力を強めた。普段はコウモリなど動物を「宿主」とするが、行き場を失い人に襲いかかった。

 「人間の地球への破壊行為が、しっぺ返しのようにパンデミック引き起こしたのでしょう。コロナは、太古からの使者のようにも思えます」

 生物は無数の細胞が集まって一つの個体になり、絶え間ない生死のリレーの中で種として生存する。ある生物が絶滅することで他の生物が栄える。そうした生の多様性を支える原動力こそ「死」であり、生き物も本質は「死ぬ物」なのだ。

 「生き物はすべて有限な命を持っているからこそ『生きる価値』を共有することができるのです」

 死があるからこそ、生は輝く。命の有限性である「死」は、長い進化の過程で生物が導き出した最善のプログラムでもある……

 日頃感じていることを裏付けてくれるようで、何度も読み返していた。残り少なくなるほど、命の重みは増していく。その尊さを、コロナごときで毒されたくはないが、どこかで「人間に絶滅の順番が巡ってきたのかもしれない」という思いもある。
 
 気になる一節があった。
 ……懸念するのは人工知能AIによる人の思考力の低下だ。決して死なずにバージョンアップし常に正解をくれるAIは、生物の摂理から大きく外れている……

 同感だった。車の自動運転化の機運が異常なほど高まっている。安全のためというが、それは人間の運転技能の劣化をもたらし、機器の不具合の際の瞬間的判断力や対応力を失わせることでもある。技術ばかりを信奉し、「人間」という大切な要素を見失って突っ走ることが正しいのだろうか?それは、わかってもいない政治家が、デジタル化を闇雲に急ぐ姿の滑稽さにも通じるものがある。

 小さな踊り子たちに癒されながら、初夏の一日が今日も何事もなく過ぎていった。コロナワクチンのクーポンは、まだ来ない。
                     (2021年5月::写真:踊るユキノシタ)

芽吹きの季節

2021年03月25日 | 季節の便り・花篇

 カサカサと落ち葉を踏みながら、山道を辿る。竹林から吹きおろす風が、耳元で囁く。勝手に「囁きの小径」と名付けた。野うさぎが遊ぶ姿を見たから、私の秘密基地の一つは「野うさぎの広場」と名付けた。訪れる人も少なく、マスク無用の自然の風をほしいままに出来るマイ散策路である。

 昨日、友人夫妻と満開の桜を満喫した。いつものようにコンビニお握りを買い込み、太宰府市図書館の駐車場で落ち合って、御笠川の川沿いの桜並木の散策路に出た。カメラのシャッターを落としながら、「あ、このアングル去年も撮ったな!」と何度も思い当たる。川面のさざ波と、赤い橋と、青空と……満開の桜の絢爛を、これでもかと煽り立ててとどまるところがない。三分咲きかと思ってるうちに、一気に満開となった。福岡でも、昨年より11日も早いという。コロナ禍の下、花よ、何を咲き急ぐ!

 川面をカルガモが滑り、中流の石の上で何と3匹のスッポンが日向ぼっこをしていた。大きな緋鯉真鯉が、底の砂に影を落として泳いでいく。シラサギが低く飛ぶ。
 ふと見やった枯れ葦の上に、カワセミがいた!たまに見かけることもあるが、久しぶりの出会いだった。しかも、いつも一瞬で飛び去るのに、じっと葦の上で魚影を探す姿を留めてくれていた。残念、今日は望遠レンズを噛ませていない。桜景色を撮る標準レンズと、足元の小さな花を狙う接写レンズだけである。さすがに、標準レンズでは最大に引いても、美しい翡翠色を撮ることは叶わなかった。

 朱雀大橋から右に折れ、都府楼政庁跡の広場に抜ける。手前の交差点横のコンビニに、缶ビールを買いに寄り道する友人のご主人。羨ましいが、私は運転しなければならないから、夕飯迄お預けである。
 政庁跡を通り抜けた向こう、令和発祥の地として一躍有名になった坂本八幡宮を見下ろすちょっとした高台の枝垂れ桜の下の四阿が、今日のお握りピクニックのテーブルだった。
 お握りを頬張りながらも、足元に散らばる様々な春の山野草の花が気になって仕方がない。四つん這いになり、這いずり回り、いつもの「ご隠居スタイル」でファインダーを覗き続けた。目の下には、菜の花とレンゲソウが一面に拡がっている。

 カミさんから「レンゲソウも忘れないで!」と声が飛んでくる。昔、学生の頃、背振山系の「鬼が鼻」という岩峰が好きで、足しげく登った。岸壁の上から脚を垂らしながら福岡方面を見やると、一面の菜の花と一面のレンゲソウが絨毯のように織り敷いていた。かつてのような絨毯は少なくなり、レンゲソウは一輪をクローズアップで撮ることが増えた。
 見上げても花、見下ろしても足元は花、花、花。つややかに黄色を跳ね返すウマノアシガタ(キンポウゲ)、紫のサギゴケとキランソウ、キジムシロ、オオイヌノフグリ、小さなスミレ、九重連山・黒岳の登山口にある男池(おいけ)でお馴染みのヤマルリソウそっくりの3ミリほどの小花がある。
 友人の奥様が、スマホで花の名前を同定できるアプリを教えてくれた。カメラマークを押すと、検索して花の名前が出てくる!これはビックリだった!ただし、限界はあるようだ。
 坂本八幡宮に参って、裏道を観世音寺に戻った。友人の畑に寄った後、観世音寺の裏で群れ咲く濃い紫色の大ぶりのスミレを見つけた。スミレは種類が多く、同定が難しい。早速アプリで尋ねてみたら、出た答えは「スミレ」だった。うん、間違いではない。(笑)

 そして今日、カミさんは別の友人と3人で、再びお花見に出掛けた。留守番の私は、一人でまたコンビニお握りを持って、「野うさぎの広場」にハルリンドウを探しに出ることにした。
 しかし、「囁きの小径」で一輪、「野うさぎの広場」で一輪……見かけたのは、たった2輪だけだった。もう咲き終わったのか、それともこれから咲くのか、山野草の花時は数日で様相を変える。週末の雨の後、もう一度来てみよう。
 ハルリンドウやスミレの花をカメラの納める一方、様々な芽吹きに目が吸い寄せられた。中でも、楓と羊歯類の芽生えの何と可愛いことだろう!
 ホオジロの囀りに浸りながら、広場の切り株をテーブル代わりに一人お握りランチを済ませ、風の囁きの中を帰途についた。帰り着いた自宅の近くの庭先から、アゲハチョウが舞って出た。今年の初見だった。

 初夏を思わせる強い日差しに、気温は21.3度まで上がった。
                      (2021年3月:写真:羊歯の芽生え)

アブラゼミはナッツ味

2021年03月23日 | 季節の便り・花篇

 草むらに腹ばいになって、両肘の三脚を立てた。ほんのりと昼下がりの温もりが伝わってくる。かすかに懐かしい土の匂いがした。紛れもなく、春の匂いだった。マクロに接写レンズを噛ませたカメラを、10センチほどに近づけた。ファインダーの向こうに、懐かしい春色がぱっと広がった。ハルリンドウ、毎年お馴染みになった春告げの花の一つである。

 1年前の昨日、ブログに観世音寺のハルリンドウの便りを書いていた。もうそんな時節なのだ!転寝の午後、友人が「天婦羅にどうぞ!」と、畑に伸びたタラの芽をどっさり届けてくれた。先日は、土筆も届けてくれた。茨城の方では「便所草」といって食べないそうだが、やはり春告げの品である。袴まで取って届けていただいた土筆を卵綴じにする。ほろ苦いフキノトウの天婦羅も食べた。食べたい春告げ食の一つが、タラの芽だった。
 「観世音寺のハルリンドウ、まだ見てませんか?去年は、昨日咲いてましたよ」と問う。「え?気が付きませんでした」
 実は去年のその日、散策の途中でハルリンドウを見付け、写真を撮りまくった。そして、カミさんがカメラケースを花のそばに置き忘れて帰ってきた。観世音のすぐ前に住むこの友人からメールがあり、「奥様のカメラケースじゃありませんか?」

 30分後、畑に向かう彼女から「ハルリンドウ、咲いてます!」というメールが届いた。ハルリンドウの写真が2枚添えられていた。さっそく、カメラを担いで車のキーを掴んだ。戻り寒波の冷たい風が吹き募る午後だった。
 ところが、確かにいつもの場所に蕾がいっぱい散らばっているが、何度目を凝らしても、どこにも花がない。畑の彼女に、「蕾しかないけど、どの辺りですか?」とLineした。「すぐ参ります!」
 駆け付けた彼女が言う、「これ、さっきまで咲いてましたよ!この蕾もです!!」まだ3時半、春の日差しは高く、日暮れには程遠い時間だった。不思議な体内時計があるのだろう、もうすべての花が蕾んで、夜に備えていた。

 温かさが戻った今日、午後早く観世音寺を訪れた。紛れもなく、日差しをいっぱい受けていくつものハルリンドウが優しさを繰り広げていた。コロナに怯えながら、いつの間にか季節は一巡し、花は忘れることなく春を告げにやってきてくれた。明日へ元気をもらって、日差しの中を走り戻った。

 1週間ほど前の新聞のコラムに「このまま環境破壊が続けば、2048年には海から食用魚が消えるとの研究もある」とあった。そうだろう、抵抗なく受け入れている自分がいた。「人類が豆にたよらなくてはならない時代が必ず来ます」という料理家の言葉もあった。いやいや、とんでもない、豆さえ食べられない時代も予想されているのだ。そして、そこに登場するのが「昆虫食」である。温暖化で畑が干上がり、穀物が消える。それを餌とする牧畜が壊滅する。肉や乳製品も手に入らなくなり、一時的には大豆が代替肉となる。ソイ(大豆)ミートや、ソイバーガーは、近未来小説では当たり前であり、すでにハンバーガーショップやスーパーで、大豆の代替肉が登場しているという。さらにその先を読んで、究極の蛋白源として存在感を増しているのが「昆虫食」である。それを研究する学者や、試食を重ねる団体もある。手元に「昆虫食入門」という本もある。

 終戦後、何もない時代の貴重な蛋白源はイナゴだった。一升瓶を抱えて田圃の中を這いずり回り、瓶いっぱいのイナゴを採った。乾煎りしたり、飴炊きにしたり、一日10匹食べたら、必要な蛋白質が取れると親に説得されて、弁当のおかずに10匹(それだけ!)が入っていたこともある。信州ではザザムシ(トビゲラの幼虫)や蚕の蛹を食べるし、蜂の子を食べる地方は多い。カンボジアではタガメ、タイではサソリを食べる。アリストテレスの「動物記」には、「羽化する前のセミの幼虫が一番おいしい」という記述もあるという。さらに「セミならまず雄で、交尾後がよく、ついで白い卵がいっぱいの雌がおいしい」と。

 「昆虫食入門」のキャッチコピーに、「アブラゼミはナッツ味」とあった。「本当においしいんですか?」「はい、カミキリムシはクリーミーでふんわり甘く、ハチの子はウナギの味そっくりで……」
 食料自給率は40%という日本、笑い事ではない時代が、もうそこまで来ているのかもしれない。

 「野うさぎの広場」にも、そろそろハルリンドウが開き始めるころである。
                 (2021年3月:写真:観世音寺のハルリンドウ)

眩しい復活

2021年03月13日 | 季節の便り・花篇

 季節の変わり目の年中行事、寒暖目まぐるしく変わる陽気に体が音を上げて、数日グダグダと臥せっていた。否応なしに、後期高齢者というか、末期高齢者というか、寄る年波への虚しい抵抗を続ける昨今である。
 漸く人心地が戻って、薄日差す庭に下り立った。春が奔っていた。雪柳が満開のしぶきを振りまき、キブシが黄色い花穂をぐんぐん伸ばし始めている。六光星のハナニラにも、蕾が着いた。既に、桜の開花宣言も出た。11日早いというニュースに、少し複雑な思いがある。
 もちろん、春が嬉しくないはずがない。しかし、季節には必要なリズムがある。長い間積み重ねてきた大自然の営みの波動がある。そのリズムが、年々崩れていく。
 暖冬という言葉の裏に「地球温暖化」という恐ろしい刃が潜んでいる。破壊し続けた地球環境は、すでに折り返し可能な地点を超えたという見方がある。今更「カーボンニュートラル」などと言葉で飾っても、まして制御しきれない原発にしがみつこうとする国に、未来などあるのだろうか?

 歳とともに、「人類の英知」を信じられなくなっている自分に気付く。哀しいことである。
 庁や大臣まで置いてデジタル化を叫び続けているが、人間が地球と共存する生物であろうとするなら、アナログへの回帰しかないのではないだろうか?……などと、殆ど可能性のない夢を語っても、所詮は老いた狼の遠吠えであろう。

 現代小説が浅薄になり、芥川賞の権威も喪われた。時代小説がもてはやされているのも、ある意味アナログへの回帰かもしれない。そんなことを思いながら、あさのあつこの「弥勒シリーズ」や、辻堂魁の「風の市兵衛シリーズ」を読み耽っている。。

 行き付けの薬局で、パルスオキシメーターが売られているのを見附けた。入院手術の後に、必ず人差し指に装着された。数値が低くなると、しばらく酸素吸入器が装着される。
 「検知器(プローブ)を指先や耳たぶなどに装着し、侵襲(外的要因によって生体内の恒常性を乱す事象)を伴わずに脈拍数と経皮的動脈血酸素飽和度 (SpO2)をリアルタイムでモニターするための医療機器である」と、難しく定義されているが、要するに、血中酸素濃度を監視するもので、96~98あれば正常である。コロナの自宅療養中に、95(?)を切ったら救急車を呼べと言われるらしい。
 半分冷やかしで買った。2000円余りである。持っていれば、何となく安心というおまじないである。

 昨年、横浜港でコロナの集団感染を起こしたダイヤモンドプリンス号。15年前、就航したばかりのこの11万6千トンの豪華客船で、10日間のアラスカクルーズを満喫した。船旅が、まだ最高の贅沢だった時代のことである。船内のカジノでスロットマシンを楽しみ、勝った80ドルで指輪を記念に求めた。それが今、私の右手薬指にある。 
 早朝のウォーキングには、同じく船内で買ったシャチの絵と「ALASKA」のロゴが入ったリバーシブルの防寒着を着ていく。暗い朝だから、車のヘッドライトに反射度の高い黄色を表に着る。いずれも、コロナ除けのゲン担ぎのつもりである。
 
 独りよがりのおまじないやゲン担ぎで武装し、用意周到の備えをしていても、やっぱりコロナ感染への憂いは消えない。

 ツマグロヒョウモンの幼虫に2度も丸裸にされたスミレが復活し、美しい紫色の花をいくつも開いた。眩しいほどの、命の復活である。その生命力に励まされながら、理屈抜きで春に飲まれてみよう。
                     (2021年3月:写真:復活したスミレ畑)

近付く足音(晩秋徒然)

2020年11月03日 | 季節の便り・花篇

 「ピチン!」と弾ける音が微かに聞こえそうなほど、ピンクが跳ねる、白が揺らぐ。直径7ミリほどの小さな花が輪状に開き、まるで秋の花火のようだった。

 たった今まで、眩しいほどに差し込んでいた日差しで、部屋の中は春のように温かい。ガスストーブ、ホットカーペット、加湿器……我が家の冬の「三種の神器」も、もう整えた。身体以外は、冬への準備万端である。後期高齢者講習修了証明書も手にした。

 スッと陰った日差しに、俄かに吹き始めた風が冷たくなる。今日の最高気温は午前中に出て、午後から次第に寒くなるとテレビが報じていた。「木枯らしのはしり」だと。霜月、もう木枯らしが悪戯小僧のように庭木立の影を奔り抜けてもおかしくない時節である。

 神無月師走の先週土曜日、8ヶ月半振りでJRに乗り、快速で15分の博多駅に出た。マスクで武装し、吊り革など車内のどこにも触れないように気を使いながら、空いていた席に座った。昼下がりのせいか、それほどの混雑ではない。しかし、博多駅構内は想像以上の混雑だった。稀に、マスクなしの非常識な若者の姿も見える。人混みに流されながら早々に横断歩道を渡り、目的の建物に入った。
 久し振りの人混みは、何となく緊張感に包まれ、すっかり疲れてしまった。コロナに倦み、コロナに疲れ、いつの間にかコロナに毒されてもいる。

 そんな中に、嫌いな冬がやって来る。コロナを伴い、インフルエンザを連れて。1兆数千億円を掛けたアメリカ大統領選挙が終わる。醜い罵詈雑言を交し合う選挙運動の中で感染に歯止めがかからず、ヨーロッパでも危機的状況が再来しつつある。
 そのアメリカの次女から「GoToキャンペーンなんて、日本は何てバカなことやってるの!」と呆れ果てたようなメールが届く。「アメリカに、何にも学んでないの?」
 確かに、今後爆発的感染拡大があるとすれば、その元凶はGoToキャンペーンということになるだろう。
厳戒地区のカリフォルニアに住み、さらに史上最悪の山火事の煙と灰に悩まされながら、ひたすら自粛している次女だが、PCR検査は近くの薬局でいつでも無料で受けられる環境にある。進化しない日本の検査体制も、彼女には「信じられない事態」なのだろう。
 先日、掛かり付けのホームドクターに、インフルエンザの予防接種を受けながら訊いた。「政府は、掛かり付けの医療機関でPCR検査が出来るようにすると言ってるけど、先生の所もOK?」
 答えは「NO!」だった。「院内感染を防ぐ為の万全の体制なんて、一般の病院で出来るわけないよ!」
 いつものことながら、政治家の目と実態には、これほどの大きな開きがある。総理が変わっても全く変わらない中途半端な政策に踊らされながら、厳しい冬がやってくる。

 娘たちにも、もう1年会ってない。アメリカの次女は勿論当分絶望的だが、横浜の長女に「そろそろ、老親の生存確認に来ないか?」と謎を掛けたら、こっ酷く拒否された。「ここまで用心して自粛してるいのに、関東から行って親に感染させたらどうするの!わたしは、親殺しにはなりたくない!!」
 そう啖呵を切った長女が、実は帰ってくることになった。完全武装で1時間半かけて横浜から八王子まで働きに通っている娘である。感染防止するすべは知り尽くしている。「十分用心して帰るから、大丈夫だよ!」と、やはり、老いた両親のことは気に掛かっていたのだろう……これが、娘心。
 会える時に会っておかないと、これ以上感染が拡大して再び緊急事態宣言が出るような事態になったら、もういつ会えるかわからない。こちらも、さらに用心しながら迎えることにした。
 河豚コースを食わせ、温泉にでも連れて行ってやろう……これは、親心。
 
 45年前に仕事を共にした沖縄の仲間から、思いがけないコメントが届いた。皆に羨まれながら娶った可愛い奥様も同じ仕事仲間だった。半世紀近い歳月が、一気に折り畳まれて懐かしかった。

 13年間、旅を共にした一眼レフが壊れた。「この年で新調して、あと何年使える?」と散々迷った挙句、回りからの勧めと励ましもあって「アベの10万円」を使って買い替えた。私の最後の道楽である。「アベの10万円」は、財源としてはもう使ってしまっているが、口実としてはまだ何度も使える(呵々)
 小型軽量を求めて、初めてミラーレスの一眼レフにした。標準レンズと200ミリの望遠レンズがセットされて、ほぼ「アべの10万円」で賄えた。しかも、1万円ほどのマウントを買い足すと、今まで使っていたカメラの標準ズーム、60ミリのマクロレンズ、300ミリの望遠レンズも使えるようになった。

 マクロレンズに接写レンズを噛ませて、初めてファインダーに捉えたのが、開き始めたイトラッキョウだった。白とピンクの花が、弾けるように輪状に開き、まるで花火のように鉢の中で輝いていた。
 3鉢に増やした1鉢を友人に贈り、「形見分けの先渡し!」とふざけながら、近づく冬の足音を遠くに聴いていた。
                         (2020年11月:写真:ピンクのイトラッキョウ)

暖衣飽食、無為徒食

2020年09月25日 | 季節の便り・花篇

 お騒がせの台風が北に走り去った後、炎熱に疲労困憊し、コロナ籠りに倦んだ身体を更に叩きのめすように、一日の温度差が10度以上の日々が続き、遂に身体が悲鳴をあげてダウンした。
 寒む気に苛まれ、熱がないのに熱っぽく、身体が怠い。もちろん、熱も咳も味覚・嗅覚異常もないからコロナではない。毎年季節の変わり目に、必ずこんな症状に悩まされる体質である。コロナに向かう緊張があったせいか、珍しく冬に痛めつけられた春バテがなかったから油断していたら、夏に叩かれた秋バテからは逃れられなかった。二日ほど、寝たり起きたりしながら、温度差に身体が慣れるのを待った。
 加齢のせいか例年になくしんどかった。しかし、少し痩せただろうなと案じながら体重計に乗ったら、何とコロナ前より3キロも増えていた。理想体重を1.3キロもオーバーしている。改めて思った、「ストレス太りって、本当にあるんだな!」
 自粛自粛で外出も控え、「食っちゃ寝、食っちゃ寝」の毎日である。考えれば、当然の結果だった。古人(いにしえびと)はいい言葉を残している。
 「暖衣飽食」
 「無為徒食」
 春先に「東風吹けど コロナ籠りの 爺と婆」というざれ句を詠んだ。今は、「秋風や コロナ太りの 爺と婆」とでも詠おうか。但し、この歳での体重増には切ない掟がある。腕や脚、その他の部分に均等ではなく、殆どが腹に来ることである。

 せめて、こんな心境でいられたらと、「晴雲秋月」という四字熟語を読んだ。「純真で汚れがなく、澄みきった美しい心。晴れ渡った空に浮かぶ白雲と、秋の空の澄んで凛とした月の姿」……もう、遠い日の憧れでしかない。

 日常生活圏内のショッピングセンターで買い物をし、マクドナルドのハンバーガーで昼を済ませて帰り、少し回り道をして田んぼの脇を走った。みっしりと実って頭を垂れる稲穂の脇に、今年も忘れずに真っ赤なヒガンバナが連なっていた。遥か前方に、登り慣れた宝満山(830メートル)が望まれる。この山が、最も美しい姿を見せるアングルである。
 かつての筑前国御笠郡の中央にあたり、太宰府市の北東部に存在感を持って聳え上がる。古くから、霊峰として崇められ修験の山であった。全山花崗岩で出来ており、山頂の巨岩には竈門神社の上宮が祀られている。太宰府駅から麓の竈門神社下宮まで徒歩40分。此処は、かつて夢想権之助が杖術の修業をしたところでもあり、宝満山登山の起点となる。
 岩塊をよじ登るような険しい石段の山道であり、「ここを歩き慣れたら、九州の山は全て大丈夫」と言われるほどに厳しい。一度登れば褒められ、三度も登れば馬鹿と言われるそんな山だが、特急を乗り継げば福岡市からも20分で太宰府駅に着くというアクセスの良さから、熱狂的ファンが多い。千回、3千回という記録を誇り、憑かれたように毎日登る人もいる。段差の大きい岩の階段で、足腰を痛める高齢者も多く、時折救急ヘリの出動もある。

 山頂の眺望は抜群で、西から脊振山地の山々、博多湾・玄界灘・三郡連山・英彦山・古処山・馬見山・津江山地・九重山の山々・福岡・筑後・佐賀の三平野・有明海の彼方に雲仙岳も遠望出来る。宝満山頂から、稜線沿いに仏頂山・頭巾山・三郡山・砥石山・若杉山へと至る道は、健脚向けの人気の高いハイキングコースである。
 この縦走コース12回を含めて、私も30回ほどこの山に登っている。

 宝満山を背景に、稲穂と彼岸花をスマホで捉えた一枚に、偶然上空を飛ぶクロアゲハが写っていた。思いがけない大自然からの贈り物、虫キチの冥利に尽きる一枚になった。

 月下美人に、おそらく今年最後となる蕾が10輪着いた。9月が過ぎる。秋が一段と深くなる。
                              (2020年9月:写真:宝満山と彼岸花)
  

彼岸花、立つ」

2020年09月14日 | 季節の便り・花篇

 庭木の奥に沈み込んだ夜の帳を、「チン、チン、チン♪」とカネタタキが叩く。アブラゼミやクマゼミの喧騒は途絶え、昼間のツクツクボウシの声も、朝夕のヒグラシの声も次第に遠くなっていく。

 台風一過、俄かに秋風が立った。つい先頃までの体温並みの日々が夢のように、早朝の散策が肌寒く感じられるほど、秋の走り込みは韋駄天だった。
 青空に漂う片雲を掠めるように、ウスバキトンボが秋風に戯れていた。子供の頃には、盆トンボと言っていた。お盆の頃から一気に群れが濃くなり、手が届く高さを飛び回る。中学生の頃、夏休みの校庭に群れるウスバキトンボを帽子で叩き落とし、翅と頭と尻尾を千切って、胸の部分を食べる友人がいた。曰く「今年のトンボは旨くない!」彼は後に医者なり、徳島で大学教授を全うした。卒業以来再会したのは、55年振りだったろうか?

 ちょっと雑学……爆発的に群れが濃くなる理由が、ネットに書かれていた。改めて、自然界の逞しさに唸る。
 ……ウスバキトンボのメスの成虫の蔵卵数約29,000は、ほぼ同体長のノシメトンボの蔵卵数約8,800の3倍以上である。また十分に摂食しているメス成虫が1日に生産できる成熟卵は約840個で、産卵数の多さが日本における数か月での個体数急増を可能にすると考えられている……
 雨あがりの水溜まりや、車の窓ガラスに水と錯覚してチョンチョンと尻尾を落として産卵する姿は、今も変わらない。

 来年1月18日で切れる自動車運転免許証更新のための、「後期高齢者認知機能検査」を無事終えた。57年目の更新、そして多分最後の更新である。私の運転歴は、85歳60年をもって閉じる……つもりである。
 福岡試験場で3人掛けのテーブルに一人ずつ、4教室に分かれておよそ30分の検査である。住所・氏名・生年月日の記載から始まる屈辱的というか、ちょっと切ないテストではあるが、すでに3度目で考え方も変わった。得点にこだわる「試験」ではない。あくまでも自分の記憶力・認知力の程度を正しく理解するための機会を、僅750円でやっていただけると思えば、むしろありがたい「検査」である。
 さすがに、前回の97点は出来過ぎだろう。初めての時は92点だった…かな?……それを忘れている程のこの3年間の自覚からすれば、それなりの覚悟はしていたが、何とか90点をいただいた。十分満足である。
 「100点取れる要領がある」という人もいるが(本当に彼は満点を取っている)、要領でいい点を取っても意味がない。自分を過信して事故を起こすのは、多分こういう人間だろう。
 幸い49点未満で「認知症専門医」の診断を求められることもなく、試験場の駐車場から過去2回世話になった自動車学校に電話し、後期高齢者講習2時間コースを予約した。幸い、最短で10月22日が取れた。(因みに、76点未満だと3時間講習となる)
 
 韋駄天走りの秋風の中で、庭のあちこちに白い彼岸花が立ち始めた。まだ蝋燭のような細い首を、庭木の間から20本ほどが伸ばし始めている。「未だ曽てない」ほど気象庁に脅された巨大台風10号も呆気なく過ぎ、ただ秋を呼び寄せてくれただけだった。念入りに準備した台風対策の一部は、シーズンが終わるまでこのままにとどめておこう。

 馬肥ゆる秋の深まりを待たず、コロナ籠りの無為徒食の日々が体重を増やし、気付いたら標準体重を2キロも超過していた。
 敢えて「ストレス太り」と言おう。アベ去って、スガ来たる!アベ臭芬々、何一つ変わらない!!ブログネタも尽きない!!!無駄に野合を繰り返す野党に期待することも出来ず、まだまだストレスの日々が続くことだろう。

 そうだ、高原に、秋を探しに行こう!
                         (2020年9月:写真:白い彼岸花立つ)
  

夏への宴~その1

2020年07月17日 | 季節の便り・花篇

 そろそろ梅雨明けの時期なのに、晴れるでもなく降るでもなく、どんよりと重い日々が続く。買い物や病院などで少し身体が軽くなった宵だった。昨夜の1輪に続き、8輪もの月下美人が一斉に花開いた。日本中、ほぼ同じ日に花を咲かせるクローンだが、我が家の2鉢は45年の歴史を重ねるうちに、株分けして差しあげたご近所さんでは、2~3日微妙なずれが生じている。もう1鉢は、カリフォルニアの次女の家から持ち帰った葉から育て、やはり数日のずれがある。
 次女がご近所に分けた株は、よほど環境がいいのか、身の丈迄育ち、二日間にわたり20輪近くが毎晩咲いたという。霜の心配がないカリフォルニアだから、地植えし大きく育てたらしい。我が家では、冬は広縁にあげ、春秋は日当たりのいい庭先、真夏は葉が日焼けしないように梅の木の陰に移動させる。抱え上げるのに苦労する重さだから、これ以上鉢を大きくはしたくない。

 とげとげの小さな蕾が次第に大きくなり、やがて徐々に頭をもたげて鋭角にそそり立つ。膨らみ始めて数日、漸く開花の夜を迎えた。8時頃からおちょぼ口を開き始め、9時半頃に半ば開いた辺りから、一気に香りを放ち始める。甘く濃厚な芳香は、一輪でも部屋を満たすほどなのに、今夜は8輪!あまりの濃厚さに、戸を開けて網戸にした。10時半過ぎから最高の見頃を迎える。重なる花びらの奥で雄蕊が伸び、下から包み込むようにたくさんの雄蕊が立つ。
 絢爛豪華でありながら、気品溢れる清楚さには、いつも言葉を失う。これから10月頃迄、幾度か花の宴を繰り広げてくれるだろう。我が家の、夏の宴の始まりだった。

 ひと夜限りの儚い花である。儚いが故に、明日か今宵かと、心をときめかせながら待つ日々は楽しい。一夜明ければ、すっかりうなだれて昨夜の絢爛さはない。しかし、そこからもう一つの楽しみがある。花をさっと湯通しして刻み、甘酢をかけて啜ると、とろみとシャキシャキ感が絶妙の食感なのだ。酒の肴に、箸休めに、花の宴の余韻を楽しませてくれる。
 そのまま冷凍して、冬場の鍋料理に入れると、これまた絶品!!

 45年前、赴任先の沖縄・豊見城の社宅の庭にあった月下美人の葉を2枚を父に送った。父が育てて咲かせ、ご近所を招いて花見の宴も重ねた。当時はまだ珍しく、テレビや新聞にニュースになるほど珍重される花だった。古くから日本に普及していた株は、メキシコの熱帯雨林地帯を原産地とするサボテン科クジャクサボテン属の常緑多肉植物である。原産地からそのまま導入された原種だが、絶滅の惧れのある野生動植物の種の国際取引に関する条約(通称: ワシントン条約)の附属書IIの適用対象となっている。
 原産地から導入され、台湾を経由して長崎に上陸して全国に株を増やしていった。たった1つの株から挿し木や株分けで増やされた同一クローンである。だから、全国ほぼ同じ夜に咲く。テレビで特集して実況した夜に、やはり我が家でも咲いていた。

 父が逝き、母が9年守り、やがて病で手が及ばなくなり、殆ど枯れかかっていた株から数枚の葉を捥ぎとって復活させ、私が引き継いだ。我が家から株分けされていった鉢は、もう5軒ほどになるだろうか?我が家の歴史とともに、45年間も夏の夜を飾ってきた花である。だから、この時期になると、いつも同じようなことを書いてしまう。

 咲き誇る姿に見惚れ、今年も何枚も写真を撮り、気が付いたら日付が変わっていた。満ち足りた深い眠りが待っていた。
                             (2020年7月:写真:月下美人)

梅雨、黄昏、花開く

2020年07月05日 | 季節の便り・花篇

  日没間近に降り始めた雨の中を、黄昏を呼び寄せるようにヒグラシが鳴き始めた。少し哀しげな声が、次第に雨音に紛れていく。

 7月2日に、クマゼミの初鳴きも聴いた。昨年より6日早い。我が家の八朔に空蝉が鈴なりになるのも、もう間もなくだろう。
 チビっ子のくせにウシガエルのように重い声で鳴くハルゼミ、姦しいまでに豪快なクマゼミ、油照りの暑熱を煽るアブラゼミ、少し苛立たしいようなニイニイゼミ、薄明や黄昏の中で哀愁を漂わせヒグラシ、秋風の気配を呼び寄せるツクツクボウシ……それぞれに季節の役割を担った蝉の声は、やはり日本の風物詩だろう。
 熊本で激しい豪雨が荒れ狂った。梅雨末期の水害の季節である。暴れ川・球磨川が、人吉から八代にかけて何か所も氾濫し、既に死者行方不明者が50人近い。何度も走ったあの道が、あの橋が濁流に流されていく。身近なだけに、その映像は衝撃的だった。
 現役時代、7月と12月に毎年訪れていた坂本村の電器屋さんには、天井に小舟が吊るされていた。川幅が狭くなる中流域は、上流で大雨が降れば溢れるしかない。それが生活の中に染み込んでいた。しかし、今年の雨は常識を超える。線状降水帯は、手の付けられない暴れん坊となった。温暖化が更に加速し、「かつてない」気象が「当たり前」になってきている。

 梅雨の末期の激しい雨を、博多辺りでは「ハゲ雨」という。語源を知りたくてネットで引いたら、唯一の情報として、昔カミさんが書いた「”ハゲ雨”って?間もなく梅雨明け。2014-07-19  日々の中で」というブログが出てきて笑ってしまった。やはりこの地方特有の言い回しで、ネット情報にさえ出てこない。向こう1週間のハゲ雨が、北部九州の梅雨の山場となる。
 来年に延期された博多祇園山笠、「山笠のあるけん、博多たい!」というキャッチフレーズを懐かしみながら、カミさんは今年唯一の飾り山を観に、友人の車で櫛田神社に出掛けていった。人形師・中村信喬父子が飾る山にも、コロナ撃退の願いが込められている。

 例のしたり顔で、アベが「対策本部設置」を謳い上げる。お前さん、その前に取るべき責任が幾つも幾つもあるんじゃないか?!「私の責任です」と口では殊勝なことを言いながら、ただの一度も責任を取ったことがない。その鉄面皮振りに呆れることにも、もう疲れ果てた。奴は、どこかで人間としての神経が切れているのだろう。これを「人でなし!」という。

 安全だった避難場所も、今年は新型コロナウイルスの不安が付きまとう。鹿児島でも夜の街に集団感染が爆発した。二次感染を思わせる首都圏の感染者増にも、いつまでも歯止めがかからない。夜の街……例えばホストクラブの検査が進んでも、客となった女性は多分名を伏せて巷に潜んでしまっているだろう。症状の出ない感染者がじわじわと広がり、やがて高齢者に感染させて重篤患者が増え始める……不気味な足音が、「怪談牡丹灯篭」のお露の下駄の音のように、「カラ~ンコロ~ン」と聞こえてくる。
 今日の都知事選を控えて、都知事の打つ手も中途半端だし、政府の動きも歯切れが悪い。経済優先=選挙対策=利権・金権という、いつもの絵が見えてくる。「人命は二の次」というのが、日本の政治家の価値観なのだ。その限りでは日本も、中国やロシア、アメリカと堂々と肩を並べて見劣りがしない害獣。
 夜8時、開票と同時に、現職の「当選確実!」が出た。1分と経たない瞬間である。毎度のことながら、「出口調査」で呆気なく結果が見えてしまうこの開票速報の仕組みは面白くないし、ハラハラドキドキのときめきすら感じる暇がないのは、妙に寂しい。
 さて、これで東京都の感染対策が強気に変わるのだろうか?早速新都知事が、「人に焦点を当てた都政」とぶち上げる。さあ、わざとらしい丁寧語は要らないから、その辣腕を見せていただこう。コロナ禍の中で、人の道を踏まえた政治を果たして為しうるか、お手並み拝見といこう!

 昨夜、黄昏を待って夕顔が見事に咲いた。蔓の伸びが悪く、ハズレかと思っていたのに、40センチほどしか伸びていないなかで、大輪の花を開いた。自然界は測り知れない。人間も大自然の一つの構成要素に過ぎない。そのことを理解する謙虚さがない限り、地球にとっては人類も絶滅すべき害獣として存在するに過ぎなくなるだろう。
 3つの鉢の月下美人に、14個のトゲトゲの蕾が着いた。2週間ほど後には、我が家は絢爛の花と芳香に包まれる。45年前の沖縄にルーツを持つ月下美人が、世代を重ねて今年も花の宴を催してくれる。
 自然は決して滅びない。
                                  (2020年7月:写真:夕顔)