蟋蟀庵便り

山野草、旅、昆虫、日常のつれづれなどに関するミニエッセイ。

宴(うたげ)の前に…

2012年04月17日 | 季節の便り・虫篇


 追っかけるのに息切れしそうな速い足取りで、季節が移ろっていく。ついこの前までガスストーブと電気カーペットの温もりを欠かせなかったというのに、桜吹雪を御笠川に散らして一気に葉桜に装いを変えた頃から、春が走り出した。4月半ばを過ぎた朝晩の風の冷たさに鋭さはなく、昼間降り注ぐ日差しはすで初夏の眩しさ。春霞が青空の透明感を失わせているものの、少し動けば身体が汗ばんでくる昨日今日である。

 日ごと庭の佇まいの変化がめまぐるしくなって来た。モンシロチョウやキチョウが庭を訪れるようになり、今朝は思いがけず一匹の鼬(イタチ)が我が物顔に庭を横切って行くのを見かけた。この団地で見たのは何十年ぶりだろう。年毎に遠ざかっていく大自然が、ときたまこんな形で振り向いてくれる。嬉しい出来事である。

 そろそろ虫たちの宴の食卓が気になる季節になった。プランターをスミレが埋め尽くすように繁り咲いた。庭のあちこちや他の鉢に弾け飛んだ種から芽生えたスミレの株は、いずれもうひとつのプランターに移し換える……これは言うまでもなく、毎年育てて大空に帰すツマグロヒョウモンの食卓である。昨秋植えたパセリが珍しく冬を越し、しっかりと葉を繁らせている……これはキアゲハの為に整えた食卓。早春、実を捥いだあとに「お礼肥え」をたっぷり施した八朔は、今年も沢山のアゲハチョウを育てることだろう。

 野から移し替え鉢植えにしたギシギシは、残念ながらもう何年も来客を迎えていない。先日、天神山を歩きに出掛ける途中、道端で今年初めてのベニシジミを見つけた。ちろちろと小さな炎が燃えるように舞うこのシジミチョウは、春型の今が一番美しく、私の最も好きな蝶である。夏型になると翅が黒ずみ、少し重たい色に変わる。

 初めてこの蝶の神秘に触れたのは中学生の頃だった。既に他界した親友と3人、国語の教師に連れられて都府楼政庁跡を歩いた。早春の肌寒い曇り空から、時折薄日が漏れる午後だった。60年近い昔、西鉄大牟田線の都府楼前駅から太宰府天満宮に向かう県道は舗装もなく、時折砂埃を立てて走りすぎる車も僅かで、道端に座って遅めの昼飯にお握りを食べることが出来るほど鄙びた長閑さがあった。

 まだ冬枯れの侘しい草むらの中で僅かな緑を見せるギシギシの葉裏に、淡い緑にうっすらとピンクを掃いた数匹の1センチあまりの幼虫を見つけた。たまたま先頃、購読していた昆虫の専門誌で見たばかりのベニシジミの幼虫の姿に胸がざわついた。
 その写真の中のベニシジミの幼虫は、半ば残雪に覆われていた。秋に生まれ、ギシギシの根方で雪に埋もれ、半ば凍結状態で冬を越す。身体をシャーベット状に凍結させながら生き延びて、早春の日差しの中で葉を食べて蛹となり、やがて見事な紅色に染まって羽化するという命の神秘は、多感な中学生にとって衝撃的なまでに強烈な印象だった。以来、幾たびも食餌のギシギシごと飼育箱に移し、蛹化し羽化する過程をワクワクしながら見守り、傷ひとつない姿のままで大空に帰すのが私の楽しみとなった。昆虫採集に熱中し、ひたすら捕虫網を振り回していた昆虫少年を卒業して虫の殺生をやめ、飼育・観察と昆虫写真にのめり込み始めたのもこの頃である。
 
 ホウチャクソウが八朔の木陰に次第に伸び、やがて花を提げる。玄関脇のハナミズキの下では黄花ホウチャクソウが開き始めた。葉が伸び始めたロウバイの下では斑入りアマドコロが小さなランタンを吊るしている。シャクナゲが6輪、間もなく満開となる。
 爛漫の春から初夏に歩むこの時節は、逞しく蔓延り始める雑草への宣戦布告の時期でもある。しかし、それは又、無心になってストレスを解消出来る楽しみでもあるのだ。
                  (2012年4月:写真:ベニシジミ・春型)

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