早朝の爽やかな秋風に吹かれながら、羽化したばかりのアカタテハが、瑞々しい羽を日差しで温めていた。そっと指で触れても飛び立つこともなく、木陰では斑らな木漏れ日の影に紛れてしまいそうに地味な裏羽をゆっくりと開いて、鮮やかな紅の表を見せてくれた。
二百十日を暦に重ねながら、ようやく日差しに苛烈さが衰え、姦しい蝉時雨もツクツクボウシだけになった。庭の木立の下生えを、セミの亡骸が蟻に引かれていく。残り少ない時間に追われるように、2頭のアゲハチョウが縺れ飛びながら命の営みを交わしている。今年もたくさんの命が、この庭から巣立って行った。クロアゲハ、キアゲハ、ツマグロヒョウモン……庭草の葉先では、オンブバッタの子供が一丁前の姿で鼻先を突き上げている。3センチにも満たないトカゲの赤ちゃんが、庭石の上を得意気に走り回っている。庭石の間を、蟻の群れが小さなトンネルを連ねながら移動していく。日暮れとともに、陋屋・蟋蟀(こおろぎ)庵は沸きあがるコオロギの声に包まれる。……小さな営みを重ねながら、確かな足取りで秋が歩き始めていた。
俄かに、庭先でセミが騒ぐ。雄を巡る恋の鞘当には程遠い切羽詰った鳴き声に庭先に下りた。盛りを過ぎた百日紅の幹で、今まさしくハラビロカマキリがツクツクボウシをがっちりと鎌に捕らえたところだった。一瞬の捕食……残酷ではあるけれども、大自然の食物連鎖の顎がひとつ、こうして秋風の中で閉じられた。
日毎に頭を擡げ始めていた月下美人が、ふた夜にかけて7輪の花を開いた。9時過ぎる頃、七分咲きの一瞬、部屋は濃密な香りに満たされる。少し窓を開けて風に逃がさないと酔ってしまいそうに濃厚な香りである。
ふた鉢をリビングに持ち込んで一夜の絢爛を愛でることにした。あの小さなとげとげの蕾が次第に育ち、槍穂のように地面に下がり続けていたのが、開花が近付くと徐々に頭を擡げていく。やがて、待つこと数日で花時の夜を迎える。ほぼ、全国同じ時期に咲くこの花の不思議。かつて南米原産のこの花が台湾経由で日本に持ち込まれ、数株が全国に広がった。先祖を同じにするクローンのような現象が、全国の花時をシンクロさせると、以前テレビで放映されていた。東京のスタジオに咲く豪華な月下美人の花の中継に、大阪でも咲き、同じく我が家でもその夜、濃密な香りを広げていて、その不思議に感動したことがある。咲き終わった花を湯通しし、酢の物や鍋に入れると美味しいこともその時に知った。20年以上知らずに捨てていたことを悔しがったのはいつのことだったろう。しゃきしゃきした歯ごたえに絶妙なとろみが加わって、勿体ないような食感だった。
軒先で、夕顔が闇の中で夜風に揺れる。月下美人ほどの絢爛はないが、夕闇の底でひっそりと咲き、開き始めて暫くの間だけ、優しく甘い香りを風に乗せて窓辺に運んでくれる。高校生の頃、「源氏物語」の儚い夕顔に魅せられて以来忘れられない花となり、数年前から毎年軒先にネットを立てて咲かせるようになった。花もよし、朝日を浴びて窓の障子に影を揺らす風情も捨て難い。
ウインド・チャイムが風に鳴く。アカテテハが一陣の風に乗った。……またひとつ、小さな命が大空に羽ばたいて行った。
(2008年9月:写真:アカタテハ)
昭和36、7年、中学校の職員室に一鉢の月下美人、
「今晩、開くよ」と先生に誘われ、夜に職員室に行ったことが・・・
昼の学校の雰囲気と違い、とても不思議な感動を覚えたことが・・・思い出されます。
当時は宿直の先生が居た時代です。
月下美人の酢の物、一度食したような?
とろんとして美味でした。
中学生の頃、よく宿直室に泊りに行ってました。「おくの細道」など、夜を徹して古典を学んだことを思い出します。朝食は、前の日の職員会議のすき焼きの残りにご飯をぶち込んで火鉢にかけ、古い答案用紙を燃やして暖めたりして(笑)パチンと音を立ててヒビがはいったあの火鉢は、その後どうなったのでしょうね?いい先生方がたくさんいた時代です。(夜中の校舎巡回は怖かった!)