どこの世界にも、慌て者がいる。6月26日、観測史上最も遅い梅雨入りとなった北部九州、その二日前に今年初めてのヒグラシが鳴いた。石穴稲荷の杜から届いたのは、たった一匹の鳴声……蝉時雨にはほど遠く、やがて三日ほどで途絶えた。連れ合いを見付けることも出来なかったのだろうか、慌て者に貰いは少ないのだろう。
鉛色の梅雨空が覆い、一気に湿度が上がった。雨は確かに降ったが、熊本以南の激しい降りに比べて、ダムを潤すほどの雨ではない。
降らねば困るし、降り過ぎても難儀だし、ほどほどにというのは難しい。天候ばかりは、文字通り天任せである。
時によりすぐれば民の嘆きなり 八大龍王雨やめたまへ 源 実朝
そんな古歌を思い出すことが多くなった。
朝、ならしておいた八朔の根方に、見慣れた穴が一つ穿たれていた。慌てるなよ、梅雨はまだこれからだよ……そんな思いで毎朝誕生の地面を見守っていたのだが、昨夜は確かめることもなく、時折軒を叩く微かな雨音を聞くともなしに聞きながら眠りについたのだった。
抜け殻を探して八朔の枝を確かめている眼に、いきなり飛び込んで来たのはゴマダラカミキリだった。黒地に白い斑点を散らして、長い黒白縞模様の触角をしきりに動かしている。胡麻斑髪切と書く。その姿は美しく、好きな虫のひとつなのだが、生憎柑橘類にとっては甚だ厄介な害虫なのだ。庭いじりが好きだった父は、これを見付けると日頃の温厚な姿とは一変して容赦なかった。
幹を顎で傷付けて産卵する。やがて孵化した幼虫は幹の中にトンネルを穿って、根の方に下りて行きながらながら内部を食べて育つ。直径2センチにも及ぶトンネルを穿たれた樹は弱り、最悪の場合は枯れてしまうこともある。それは困る、一番好きな柑橘類だから植えた八朔である。
しかし、害虫と知っても殺せないのが昆虫老人の弱み、掴み取って近くの空き家の庭にこっそり放つのが常なのだ。また舞い戻るかもしれないと分かっているのに、毎年こんなことを繰り返している。トンネルが樹皮に届くと、そこから木屑が地面に散るようになる。さすがにそこまで来ると、その穴に殺虫剤を噴き込むしかないのだが……。
小雨の中を放ち終わって、更に八朔の枝葉を覗きこむ。あったあった、台所の出窓に近い葉裏にセミの抜け殻が一つ、風に吹かれながら揺れていた。当然飛び去ってその姿はないが、昨夜生まれた我が家のヒグラシ1号である。昨年は7月9日、一気に6匹が誕生した。十日も早い誕生は嬉しくもあり、仲間が少ないことが哀しくもあり、複雑な思いでカメラを向けた。
ファインダーの向こうに、2センチほどに育った丸い八朔の実が4つ。不作の今年は、殆ど花も咲かなかった。所謂「裏作」なのか、それとも根方の地中で育っている数百匹の蝉の幼虫が養分を吸い取っているせいなのか、あるいはゴマダラカミキリの悪さが原因なのか……深く追及するのはよそう。
博多祇園山笠が始まった。
「山笠があるけん、博多たい!」
水法被に締め込み姿の「のぼせもん」が博多の街をそうつきまわっていることだろう。男の尻と太ももが眩しく輝く季節である。胡瓜を食べることと、女人に触れることが禁じられる男の祭。人形師が腕を振るい、舁き山(かきやま)が街を駆ける。重要無形民俗文化財であり、掛け声「おっしょい」は日本の音風景100選に選ばれたこともある。また、博多祇園山笠を含めた日本全国33件の祭は、「山・鉾・屋台行事」としてユネスコ無形文化遺産に登録された。
勇壮極まる夏祭に、多くの説明は無用だろう。
遅れた梅雨を追うように、博多の夏がもうすぐそこまでやってきていた。
(2019年7月:写真:ヒグラシ1号の抜け殻)
何事も中庸というか、ほどほどが肝心なのでしょうね。
関東は、大雨にはなってませんが、毎日梅雨空が続き、洗濯物が乾かず、喜ぶのはコインランドリーの経営者さんだけかな・・・
慌て者の私
しょっちゅう失敗ばかりです。
時々、二重投稿したり名前入れ忘れたりで、御隠居様も良く解っていらっしゃると思っております。
博多祇園山笠、まさに夏の到来と言った感じなのでしょうね。
今年の夏も暑いのでしょうか?
極暑・猛暑も困りますが冷夏も嫌ですから。
暑さもほどほどにしてほしいものです。
暑がりの私と寒がりの夫、体感温度、下手すると10度くらいあるのかもしれません。
先程、庭のホウセンカの葉に、小さい小さいカマキリさんがいました。それにしても、ホウセンカって水が一杯必要なんですね。
大雨の御裾分けが九州北部にきて、熊本以南の洪水が少しでも緩和されると良いのでしょうか。
祇園山笠終わってから。
沖縄の代表的な民謡に、「てぃんさぐぬ花」という大好きな歌があります。
てぃんさぐぬ花や
爪先(ちみさち)に染(す)みてぃ
親(うや)ぬゆしぐとぅや
肝(ちむ)に染みり
(ホウセンカの花は
爪先に染めて
親の教えは
心に染み渡る)
沖縄では古くから、ホウセンカの汁を爪に塗って染めると、マジムン(悪霊)除けの効果があると信じられています。親や年長者を大切にしなさいという教訓歌ですが、wackyさんのコメントを読んで、ふと思い出しました。
こんな心があれば、最近の事件もずいぶん減ることでしょう。歌詞の10番は、こう閉じています。
朝夕寄せ言や
他所(よそ)の上も見ちょてぃ
老いのい言葉(くとぅば)の
余りと思(うむ)ぅな
(老人の朝夕の言には
真摯に耳を傾けなさい
老い先短い者の与太話などと
侮るべきではない))
ふと、幼いころの自分に戻ったような気がいたしました。そばには、今は亡き母がいました。
母は教員でしたので、普段はおらず夏休みの夕方だった、そんな夏休みのワンシーンを思い出しました。
つい、気になると何でも調べてしまう癖があります。
良いことなのか、悪いことなのか・・・
昔から知りたがりだったのかもしれません。
ある日、親に「知りたければこれで調べなさい」と、広辞苑と漢和中辞典を与えられました。
今では、スマホで何でも調べてます。