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人は神にはなってはいけないこと

2018-07-06 21:42:33 | 日記

 各地で数十年来の豪雨で大きな被害が出そうだ。今年もまた水害。水は恐いと思う。10分間ほど七夕の写真を撮りに行くと大雨。道路に水が溢れ出し、服はびしょびしょで帰宅した。これが1日降り続いたらと思うと背筋が寒くなる。ただ、被害が大きくならないことを祈るしかない。

 オウム真理教の中心人物の死刑が執行された。調度、安岡章太郎と井上洋治(司祭)の共著「我等なぜキリスト教徒となりし乎」を読んでいた。その中に「オウム事件は宗教的欲求を社会がうまくリードできなかったからだ」という章があった。宗教的欲求は長い何万年もの歴史の中で、人類がその深層意識で培ってきたものだから、やめようといってやめられる種類のものではなく、この欲求を社会が上手くリードしていくことが大切だ と言っている。今回のオウム真理教のように、なにも解明されなければ、再び新興宗教といわれるようなものが登場してくるのではないだろうか。

何かの番組で、ロボット産業でヨーロッパ諸国が日本に遅れをとったのは、「キリスト教」の影響もある という話をしていた。「神」が「人間」を作ったと考える宗教では、人間に似た「ロボット」を作ることは「神」の領域にはいる という考えらしい。仏教とは大きな違いだろう。

 話は違うが、AIのW杯予想では優勝がブラジル、2位がドイツ、そして日本の予選通過は43%だった。すでにドイツと日本はデータからの分析とは違う結果だ。私は人間には、測ることのできない潜在的な能力があるような気がする。というか、「祈る」という行為そのものが人の潜在的な欲求から(自分では気がつかない)もののような気がする。そういうわからない領域は「神」の領域で、AIでは解明できない領域のように思う。

神も仏もない というような自然災害。難しいことではなく、私たちは生かされている、おかげさまで生きている ということを語ることが宗教のような気がする。

 

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