久しぶりに朝から時間で動く日になった。今日は東京へ行かなくては。出かける前に済まさなくてはならないことがあって、気ぜわしく出かけた。半年ぶりの眼科の検診。病院は(眼科は)検査があるので、半日ががりで神経も疲れる という思いがあった。でも、今日は「病院」「病気」という「マイナス」のイメージではなく、「生きることを助けてくれる所」と思えた。「マイナス」なイメージの所ではない、それは生きることが大変なことだと思う年齢になったからでしょうか。
たとえ1歳のいのちでも、90歳のいのちでも、それは多くの人の(おもに医療関係者でしょうが)守られていると思えたのです。自分では、治せない病があると。それを助けてくれるのが「病院」ではないかと。そして「医師」ではないかと。そう思うと、なにか前向きな想いが出てきた。エネルギーを奪われる所のように感じていたからだろう。
わがままなくらいに自分を治療してくださる医師を選んできた。それはある意味で私の生命力かもしれない。いくつまで生きるかよりも「どう生きるか」という質の問題も含めて。
網膜剥離の手術後の後発的白内障だった。レーザー治療で、視界が明るくなった。人生にはそんな時があるのかもしれいない。急に曇りがなくなるようなときが。みえなかったものが見えてくることは幸せだと思う。