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わたしが・棄てた・おんな 森田ミツ

2018-07-14 19:29:47 | 日記

 岐阜や京都では40度近くになっとという。被災地のボランティアも熱中症が心配だ。夕方、買い物に出ると夕焼けがきれいだった。あまりこの時間に外にでないせいか、久しぶりにみた夕焼けのような気がする。そうだ、熊本で見た夕焼けはきれいだった。そのとき、バスの運転手さんもこんなきれいな夕焼けは初めて見たといっていた。家に戻ると部屋が暗かった。

足腰の痛みがよくならない。夕方のネットのニュースで安倍首相が股関節周囲炎とあった。不思議に今日はやたら眠れるブタであった。午前も午後も眠った。歩くとよくないので、身体の自衛本能なのだろうか。ごろごろしながら、遠藤周作の「わたしが・棄てた・おんな」を再読していた。主人公の森田ミツの生き方を振り返っていた。ある男性を好きになり、彼には遊びにすぎなかったのに、捨てられてあちこちを転々とする。この転々としていく様子を覚えていなかった。ただ、流れるように、人のために身を落としていく。それでも明るく生きている。ハンセン病で隔離入院するが、誤診とわかる。それでも彼女はそこに残り患者たちに献身的に奉仕する。そんなある日、交通事故でいのちを落とす。

その彼女が最後に口にした言葉が「さいなら、吉岡さん」だった。吉岡は彼女を捨てた男性の名前だ。以前読んだときよりも、このミツの生き方が心に突き刺さる。右の頬打たれたら、左の頬も打たせなさい、では人の孤独は満たされないのではないだろうか。「エロス」は自分を幸せにしてくれるものにむかって燃える愛 と森一弘司教はいっている。そして、人間の孤独の解決には「エロス」的な出会いと発展が必要だといっている。

暗い部屋に明かりをともした。私は最期にだれに「さいなら」と言うのだろうか

コメント
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