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喪失感のない永遠のいのちを

2020-10-16 23:34:15 | 日記

7時過ぎに自宅に戻った。お昼をまともに食べず、陶芸で桜の模様を彫り込み、そして2時間、悩める娘さんの話を聞いた。帰りに彼女が彼と一緒に作ったという野菜を持たせてくれた。それが重いのかそれとも彼女が「ああすっきりした」と話したことが重いのか。背中を棒でたたかれたように痛む。なんとか二人の食卓を済ませ、そのまま2階のソファーに倒れ込んだ。疲れたー!

ネットの記事に、ホリエモンと野村克也氏の対談が掲載されている。その中に、大事なものを失った打撃の大きさを語っていた。野村克也氏は、NHKでも特集したほど奥様を亡くされて、何もできなくなるほどの大きなショックを受けていた。死別だ。その二人の愛が語られていた。ホリエモンは?とも思われるだろう。彼は結婚をしていた時代があった。それは仕事がどんどん伸びていく時代でほとんど家庭を顧みることができなかったという。

その彼が離婚して、家庭の匂いのするものが無い家に帰ったときの大きな喪失感を語っている。それは意外な言葉だった。その後、ホリエモンは独身でいることを選んでいるという。大事なものを失うことの「喪失感」の大きさは男性のほうが大きいような気がした。もと夫が言った。「僕はもう絶対に結婚しない」と。結婚はこりごりだ ということではなかったようだ。

「永遠のいのち」という言葉がキリスト教にはある。それとは別の意味になるが、喪失感のない「永遠のいのち(あい)」というものがあるような気がする。肉体が滅びても、その魂に残るようなものではないだろうか。

 

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