一日が暮れていく。今日は夕日がすばらしい。明日が明るく楽しい日になるように思える。とは言え5時起きで日帰りの取材だ。おいしい鰻が食べられるらしいので、それを目の前にぶら下げることにした。
人が不安に思うことは、「生命危機」だけでなく「見捨てられ」というのがあると心理学で習った。カウンセリングをかけていくと、子供の頃の出来事で、「見捨てられた」と思うことがトラウマで不安として残っているらしい。例えば、迷子になるは、見捨てられたわけではないが、子供はそう感じてしまうこともあるらしい。この記憶は定かではないのだが、私は母と田舎の川ではぐれた「見捨てられ」体験がある。(カウンセリングで出てきたのだが)
その恐怖をずっと背負ってきた。ある時、フラッシュバックしたらしい。だから、私は1日中仕事でも家庭でももと夫と一緒でないと不安だったのかもしれない。もと夫もなんでも私と一緒にしたがった。その人がどこかへ行ってしまうのだはないか という不安は、なぜか抜けずにいた。相手の人は「どうして?何が不安なのだ?」と思ったのかもしれない。
この年になって、やっと冷静に考えるようになった。そして、相手を疑うことなく、おだやかになった。長いトラウマだった。やっと背負っていたさまざまな不安が消えていく。でも、不安は自分で作っていたのだが。
来月はほとんど取材もない。紅葉を見に行けるようになる。「いまはもう秋、でも幸せな秋」