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ものの本質は(だいじなことは)かんじることから

2020-11-03 16:38:54 | 日記

文化の日。この日はいつもお天気がいい。静かに仏さまのお顔を拝顔したくて、湖北のお寺へ出かけようと思った。ただ、コロナウイルス禍で、参拝できるお寺が少ない。紅葉のうつくしいお寺はほとんど閉門している。十一面観音のある向源寺へ出かけた。人は少なく門前で子供が落ち葉の掃除をしていた。全国にある7つある国宝の十一面観音立像で最もうつくしいと言われている。

空気が深まりゆく秋を感じさせた。ここは予約なしで拝顔することが出来、村人が守っているという感じはない。先に5名の方たちが入られていると、受付でお聞きしていた。仏様を彫るというグループだった。大きな声で解説をする男性が先生らしい。ああ、今日の目的は達せられないなぁ と思った。

仏さまを彫る方なら、もう少し仏さまを静かにご覧になればいいのに・・・。その彫り方などでなく、そのお姿から漂う仏のご慈悲を感じればいいのに・・・。

ものを観るのに情報が先になるのだろう。そのものの(対象の)全体像や本質から語りかけてくるなにかを感じようとしないのが残念だ。情報化時代はそういうことがどこかへ消えていくような気がする。

向源寺の十一面観音像のやわらかなからだつきには、どこからでもおすがりできるようなあたたかさがある。最も弱いものへのやさしいまなざしと一歩が(半歩)がそこにあった。

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