弥生三月は冷たい雨の日で始まりました。「やよい」という響きがすきです。春という感じがするのです。昨日、電気代の請求金額で愕然としたものの、寒くては戦ができないと数字を忘れて部屋を暖めています。
今日は1日、ボランティアで出している冊子の編集でした。毎日、全然進まないのですが、桃の節句の記事があるので今日中には仕上げないとなりません。「やる気になればこのようなものよ!」と間に合うのがいけないようです。
「あかりをつけましょ ぼんぼりに お花をあげましょ もものはな ・・・」でしたでしょうか。我が家も年を取ってしまったお雛さまが飾ってあります。お互いに年を取りましたねと眺めるのですが、顔の美しさはしわもシミもなくとてもきれいです。こうしてこのお雛様を飾れるときは平和なときです。実家に預けておいた時期もありました。母が毎年箱から出して飾ってくれていました。そして、うちの伝統のちらし寿司を作っていました。「早くお嫁に行けるように」ととんでもないことを祈って、樟脳をたくさん入れてまた箱へ戻してくれるのでした。
父は長男で母も長女なので、私は親戚中から可愛がられて育ちました。お雛様だけでなくほかの人形も(藤娘など)たくさんありました。その人形のなかの内裏雛とコンパクトな雛飾りだけしか16歳の悲しい引っ越しの時に持って行くことはできませんでした。でも、その2つだけは大事に生き続けていたんですね。
大変なときでも実家に帰ってお雛様を見て、ちらし寿司を食べていました。そんなことが私を支えていたのかもしれません。一番おいしいのが祖母のちらし寿司、次が母はで、私はそのかなり下のなりそうです。冊子の記事を書いていて、改めて桃の花が邪気を払い、女の子の末永い幸を祈る行事が桃の節句と思うと、家族や親せきの人たちの想いを感じました。
今年も、谷川俊太郎の「雛祭りの日に」の詩を思い出しながら、しあわせを感じるのでした。
娘よ
いつかおまえの
たったひとつのほほえみが
ひとりの男を
生かすことも
あるだろう・・・