カーテン越しに朝日が漏れてきます!今日は晴れ、曳山祭りがみられそうです。あの人やシニアサッカーの仲間にその様子を伝えたく、早めに町に出ました。
パンフレットとは予定が変更されていますので、現地にいないと場所さえわかりません。前から3列目に陣取りました。この山車には、町内が一緒の男の子が初舞台の狂言に出ます。狂言は「信州川中島 一幕 輝虎配膳」です。長尾輝虎(上杉謙信)の館を、山本勘助の母と妻お勝が訪れる場面です。
輝虎は武田信玄の軍師である山本勘助を味方に誘い込む策略で二人を饗応しますが、母の越路が見抜き饗応の膳をひっくり返すという場面。輝虎は我慢できずに越路に切りかかります。これを言葉不自由なお勝が琴を取り出して歌にのせて詫びます。母の身代わりに自分を切ってほしいと言われ、お勝を哀れに思い許すのです。
この輝虎とお勝と越路の絡みの部分が山でした。お勝と越路を演じるのが実は兄弟でその息の合い方はさすがでした。初舞台のお勝役の弟はなんとも女らしく、兄の母役の越路の演技は堂々として貫禄でした。命拾いをして舞台を去るとき、二人共肩の力が抜けてほっとした表情になります。それはまさに演技のなかの真でした。(自分たちの舞台の終わりにもほっとした感じが子供らしくかわいいのです)
話は飛びますが、昨夜NHKで『シン・仮面ライダー」の制作現場の番組が流れていました。庵野秀明監督の「野望」という感じでした。一気に引き込まれて見ていました。昔の仮面ライダーを知っている人も知らない人にも、あたらしい仮面ライダーを作り出すのはすべての部門で大変な苦労でした。
シン・仮面ライダーの最後の場面、仮面ライダーと仮面ライダー2号の戦いのシーンです。ここですべての嘘の芝居の部分が真になると庵野監督は言います。そして、ぶっけ本番で二人の俳優がとっ組み合います。
演技は「偽」であるけれども、『真』でなければ、人のこころは動きません。
そう、人生も時には『真』のつもりが「偽」であったり、「偽」が『真』に変わることもありますね。