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あなたに「ぬくもり」を届けたくてブログをつくっています

 植物の知恵

2017-12-25 20:38:46 | 日記
 昨夜の雨で空気が潤ったようだ。あたたかい春の日のようだった。日当たりの良いベランダの植木も気持ちよさそうだ。先日、サッカーの関係で知り合いになった植物博士とお話をした。84歳になるが今も現役で、公園の植物の管理などを指導している。私が、剪定などがよくわらないので、植物がかわいそうな気がすると話すと、「それは植物は怒っていますよ。何でこんな変に切ったのだ」と。でも、植物は賢くて何年かかけてそれを修正していくそうだ。そういえば、うちはベランダなので植物は背が高くならない。横に枝を広げていく。面白いのは、隣に植物があると、そちらにはあまり伸びないのだ。隣に障害物があるのがわかるらしい。だから、一番背が高くのびのびしているのが、端にあるローズマリーだ。上にも伸びていく。前にもブログに書いたが、植物に知恵はあるようだ。

 そのとき、植物は一つ置かないで二つとか置くほうがお話(?)するのでいいと聞いた。そうだなぁ、一人じゃ植物もさびしいのだ、とガジュマルの木とコーヒーの木を並べてあげた。室内の一番日当たりがいいところなので、液肥だけでどんどん伸びた。ガジュマルはいい鉢に入っているので、植え替えることができない。逞しく根を伸ばして、テーブルにしがみついている。

 お友達からお誕生日のプレゼントにポインセチアを頂いた。特等席においてある。(見るのに)でも、午後に日がかげるので、テーブルに午後は移動してあげた。赤いポインセチアはガジュマルとコーヒーの木の間できれいだ、と思っていたら、3日目にガジュマルとコーヒーの木の葉が3枚くらい枯れだした。水もやっているし、いままでこんなことはないので???うーん、そうかポインセチアがいけないのか と少し離して唐辛子の実のところに移動した。それから3日間、葉は枯れなくなった。そういうことなのね、二人仲良いところに、ポインセチアは邪魔なのね と思った。おおーこわい、植物の三角関係か・・・。

 などと平和な我が家である。

 
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 クリスマスイブに

2017-12-24 22:18:38 | 日記
 ホワイトクリスマスになるか雨のクリスマスイブでしたが、比較的あたたかいイブでした。教会の夜半のミサはたくさんの方がみえていました。うつくしい賛美歌が流れます。

 新しく生まれ変わったようです。私の中に違う私が生まれました。あなたといる私が生まれました。

 
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 クリスマスに

2017-12-23 20:24:38 | 日記
 今朝は暖かかった。家の中もいろいろ取り揃えたいものがある。今年は寒いので余計そう思う。まずは掃除と、明るい陽射しで汚れが目立つガラス掃除から始めた。掃除が一段落したら、隣町の大磯町へ出かけよう と思った。今朝の新聞の神奈川版に「澤田美喜の石ころコレクション」として大磯町の澤田美喜記念館の記事があった。

 暮れの買い物もしたいがそうそう予算があるわけではない。というか予算はないのだ。母に軽い布団を、厚めのカーテンを など思う。我が家もダイニングの床が寒い。そんなときに思う。「お金で大半のこと(98%以上)解決できる」と。自分のことよりも母のことはお金があれば いい施設に入れて安心して生活できるようになるのに と思う。今の若い人たちのことを思うと、愛情さえもお金で買える気がする。お金で買えないものがあると生きてきた価値観が揺らぐ。

 澤田美喜さんは三菱財閥の岩崎久弥氏の長女で、外交官の澤田廉三氏と結婚し、隠れキリスタンの遺物を集めた。もちろん、彼女には財力があった。そして、戦後は米兵と日本人女性の間に生まれた孤児のためにサンダース・ホームを大磯で始めた。英国で見た孤児院と日本の違いに驚き、「お金では買えない幸せがある」と気づいたと言う。日本で孤児を守り育てるには、失望と悲嘆と涙と怒りがあった という。そんな時、キリシタンの遺品が支えだったそうだ。

 記念館へ入り、隠れキリシタンの遺品を見たとたん、涙があふれてきた。なぜかわからない。そこにある魂が私を泣かせたのだろう。踏み絵の実物の横には遠藤周作の「沈黙」の一節がある。キリストを隠して巧妙に彫られて菩薩像。そして、記念館の隣に建てられて聖ステバノ学園。私はこの隣のマンションに5年前住んでいた。子供たちの明るい声がいつも聞こえていた。「お金では買えない幸せ」を思い起こさせてくれた。ここで神はお金では買えないものを見せてくれた。それも今日、こういう形で。

 

 
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 ちょっとうれしくて

2017-12-21 20:02:01 | 日記
 晴れてはいますが、やはり寒い日です。午後14時半ごろまでに、クリスマスカードをNPOを支援してくださる方でメールの無い人に出さなくてはなりません。はがきといえ、全部手書きはきついものがあります。でも、最近は集中力が出てきたのか、13時ごろ完了!あとは個人的なお礼などと郵便局へ行けば、今日の予定は完璧です。でも、なんでこんなに用が多いのだろう と思います。お付き合いも減らしているというのに・・・・。

 全部終わると、腕が痛くて上がりません。これで明日、整骨院へ行ったら、なんとおまぬけなのでしょう。私はのんびりすると決めたのに、忙しくてそのために治療に行くなんて。ああ、一寝入りしたい とソファーに横になっていると、電話です。また、夕方近くなのでびっくり!

 「ふるやさんですかー?」の声で誰かすぐわかりました。80歳を超えるシニアサッカーのおじいちゃんです。今日は最後の練習会で、帰ってきて洗濯をして郵便箱を見たら、クリスマスカードが届いていたと言うのです。年長者から出していたので、一足先に着いたようです。うれしくて涙が出た というのですが、ややオーバーでしょう。でも、奥様をなくされて、一人で広い家で何でも自分でしているその方にはうれしかったのかもしれません。小さなろうそくになれたようでちょっとうれしかったです。特に、80歳を過ぎてお一人暮らしの方には、そんな小さなものでも明かりになるようです。

 もうすぐイエス様のお生まれになった日です。家畜小屋の飼い葉桶でお生まれになりました。その「飼い葉桶」で生まれたと言う意味をよく考えてください と神父様は言われました。そして、一番最初にこの知らせに気が付いたのは、羊飼いだと言うことです。当時、羊飼いは身分の低い人たちでした。もっとも粗末なところで生まれ、身分の低い人たちに初めに祝福された神の姿を忘れてはなりません ということでした。そこから私たちは出発して(上から目線ではなく)いかなくてはならない というお話のように、生きられればと思います。

 
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 クリぼっち

2017-12-20 22:37:09 | 日記
 『クリぼっち』という言葉を聞いた。クリスマスを一人で過ごすことを意味するという。若者の間で広まった言葉らしい。そういえば、昔若いころはクリスマスは恋人のいる人は2人で過ごしていた。それがイベントだったかもしれない。いまは、一人で過ごす若者も多いという。一人で過ごすことを別にさびしいことと思わないらしい。LINEなどでつながっているからかもしれない。

 毎年、クリスマスは仕事だった。あと1ヶ月くらいしかない中学受験生の追い込み時期。一番つらい時期だった。お母さまが用意してくださったケーキを頂くことが多かった。授業を終わると9時近く。(時には過ぎていた)あたたかい家庭を出て、きれいなクリスマスの飾りがある住宅街を駅に向って歩いていた。「ひとりぼっち」とか「さびしい」とかではなく、今日出来なかった問題をどうしていくかのほうで頭にいっぱいだった。受験生から解放され、今年は、教会でクリスマスを過ごすことができる。なんと平和なことだろう。

 寂しさが消えたのはいつごろからだろうか。夕暮れ時にふと襲ってくるさびしさはあるが、昔のような不安定なさびしさはない。どこにもつかまるところがないようなさびしさだったのだろうか。二人でいても、さびしいことはある。二人だから余計なのかもしれない。

 今日、ホームセンターで断熱材を見てきた。パソコンをしていると足元から隙間風が入ってくるようだ。いつの間にか心の断熱材が隙間風を防いでくれたのだろうか。しっかりと。

 
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