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あなたに「ぬくもり」を届けたくてブログをつくっています

ふたつがいい

2018-08-14 19:38:05 | 日記

朝からだらだらと仕事をしている。気合が入らない。最低限のメールに返事を出すにも「それ!」と掛け声が必要だ。友達からぐーたらしていますとメールが来ると安心している。こういうときは、何かやりたいことをみつけるとほかのことも動き出すので、久しぶりに本を買いに出かけた。目が見えるようになったので、少し本が読みたくなった。お茶の先生が話していた『日日是好日』と藤沢周平の本を何冊か求めた。これを読む前に、仕事を終わらせよう。

家の玄関に、先日江ノ島龍口寺の竹の灯籠が二つ飾ってある。涼しいそうで花を活けてはいないがいい感じだ。一つが太くて一回り大きい。いいなぁ、二つは、と思う。先週、九谷の大事にしていたお皿が割れた。元夫の両親は金沢出身の人で、いい九谷の食器を頂いた。別居するときに、いいものは夫にと分けたので、我が家にはこの2枚ともう一組の九谷の皿が残った。1組は無事だが、この中皿は割れて1枚しかない。それも縁がかけている。いいものとはいえ、なんとなく貧乏くさい。思い切って捨てることにした。二人暮らしでも、かけてもいいようにやはり食器は最低3枚必要だ。よく母が「後家さんはいけないから、捨てましょうね」と言っていた。そうね、ふちかけの皿はわが身を見ているようでつらいわ。

いつの間にか自分好みの食器がそろっている。高いものはないが、二つずつあるのはいいものだ。これは一人暮らしの極意かもしれない。その余分な一つに豊かさがあるような気がする。

 

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お盆雑感

2018-08-13 18:41:33 | 日記

 朝、出かけようとすると、親友から荷物が届いた。差入れで送った料理を入れたタッパーが返っていた。彼女から、今治タオルのメーカのガーゼマフラーが入っていた。肌触りもいいし、35gと軽いので首に巻いている感じがしない。彼女が選んでくれた淡いパープル色がきれいので、母の形見の皇后様が被るようだと笑っていた帽子を被って出かけた。首から上は顔以外は高貴だ。

東京駅経由で信濃町の慶應病院へ。東京駅は、混雑がひどい。キャリーバックが人より多いように動いている。途中で四谷のイグナチオ教会に知人の手術の成功を祈りに立ち寄った。今日はミサがあるのかしらと思うくらい人が出入りしている。「平和のための祈り2018」だろうか。「戦争がもたらすもの」とジョセフ・ロジャー・オダネル氏の原爆後に撮影した亡くなった弟を背負い、焼き場で順番を待つ少年の写真が置かれていた。何度見てもこの写真はやりきれない悲しみがある。

病院も空いていたが、今日手術の人もいれば、入院の人もいる。幸い私の目は経過が良好で視力が主治医が驚くほどよくなったていた。待つ間に、藤沢周平の本を読み終えた。左目の視力が落ちていて、一時は本は1ページ読むのも大変だった。

読み終えた藤沢周平の作品に主人公がよく通う料理屋のおかみが故郷へ帰る挨拶をする部分がある。二人で話したかったと、身の上話をして故郷に帰るわけを話す。主人公の胸で静かに泣くシーンのあと「察するに、わしは、そなたの死んだ父親によく似ているらしいな。図星だろう」という台詞がある。そうか、私の感性は正しかったのかもしれない。例のファザコンか はこのおかみの感性か。

 

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露のように消えて

2018-08-12 18:32:54 | 日記

今日はどんよりとして蒸し暑い。家にこもりきりでもと、散歩方々近くのショッピングパークへ。よく歩いてみてみると、産直のお店やお豆腐専門店があったりで、おもしろかった。この豆腐専門店が意外に若い人が多いのにびっくり。家族連れでにぎわっていた。涼しいし、のんびりウインドショッピングを楽しむにはよさそうだ。でも、財布の紐を締めないと珍しいといろいろ買ってしましそうだ。

部屋の整理も暑いので朝のうちが勝負になる。かなり片付いてきているので、あとは写真や手紙の整理。案外これは一気に棄てられそうだ。実家の整理はほとんど進んでいないが、衣服などは案外早くできそうだ。でも、つまらないものが捨てられない。母が小規模多機能サービスの「馬渡さん家」に毎回持っていた袋がそうだ。母の手作りの布の袋だ。連絡帳や歯磨きの道具やらを持って元気に出かけていっていた。私と病院へ行くときも、それを持って行こうとする。汚れていたので洗ってから捨てようと思ったのだが、捨てられない。それを見ると元気な母を思い出すからだろう。

自分の遺品は極力、残したくない。たとえ、業者の方がどんどんごみ袋に入れるにしても、もう自分がこの世にいなくても、なにか自分の姿を残したくはない。でも、露のように消えてなくなることはできそうない。施設で亡くなるにしても裸で寝ているわけにはいかないだろう。動けるうちに整理したいと思うが、生活が味気なくなるのもどうか とも思う。

親友が「あの世に持っていけるのは、思い出くらいよ、だから、思い出をたくさん作りましょう」などと昔は言っていたが、もう年をとると記憶が曖昧になって、そのうち博さんも明さんもごちゃごちゃになるだろうな。最後の大切な人くらいは覚えていられればいいが・・・。

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ファザコンか?

2018-08-11 18:49:05 | 日記

夕方、散歩に出ようとすると5分ほど夕立があった。もう少し降ってくれれば涼しいのに。そう思いながら、再び散歩に出た。木の少ない平塚でも、せみ時雨がすごい。季節は暑くても秋に向っているのだろうか。

今、藤沢周平の作品を読んでいる。お友達が書いた文章に藤沢周平の作品の話があったので久しぶりに読み出した。そう、一番好きな作品は「せみ時雨」だ。でも、これはドラマを見てから、作品を読んだので、どうしてもその印象が強い。藤沢周平の作品は、辛口のものはチクリと胸に刺さるものがあり、少し寂しいつらい思いになる。ただ打ちのめされるようなものではない。初老の男の娘や嫁に対する思いが、この頃なんとなく胸にしみる。遠くから見守るようなまなざしがやさしい。初めてここに父を感じた。

父は言葉の少ない人だった。それでも、進学の問題などは、母よりも父のほうが理解を示してくれた。母によれば、父は私が小さいときはそれこそ可愛がっていたという。自分は肋膜のために、軍隊から返され、弟はその軍隊で自死した。それを今思うと、ずっと重いものを背負い、冒険もせずに静かに家族を守ったのではないだろうか。娘には、寛容だったのもわかるし、母以上に心配もしていたのではないかと今は思う。

もしかしたら、私はファザコンではないだろうか?と初めて思った。藤沢周平の描く初老の男の中に、温かみを感じ、こんな父親なら と思うのは。なにを考えているのかはあまりわからなかったが、まじめに仕事をして、引退すると野菜作りなどをして私に届けてくれた。様子を見に来ていたのかもしれない。だから、そういうやさしく遠くから包み込んでくれえるような人が好きなのかもしれない

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黒木華 と原田知世

2018-08-10 18:11:59 | 日記

 街に出ると、大きな荷物を持った家族が多い。帰省か海外旅行なのだろう。8日ごろから休みに入っているらしい。何処にも行くところがないなぁ と少し寂しくなる。家で電気代を気にしながら冷房をつけて仕事をしている。それでも、飽きないようにと窓ガラス掃除や網戸の掃除やらお掃除おばさんをやっている。

「せごどん」に黒木華が戻ってきた。私は彼女の雰囲気が好きだ。(役上の彼女ではあるが)いわゆる美形の美人ではないが、やさしい顔立ちが好きだ。「小さいおうち」の役も好きだった。一歩引いた芯の強い女というのか。その芯の強さを感じさせないおっとりした感じがいい。美人の女優は多いが、彼女のような女優はいない気がする。

原田知世もあさドラで人気らしい。50歳で少女のよう という評価らしい。これも役柄かもしれないが、工藤工とのドラマでも同じような味を出していた。主婦を演じても、爽やかな色気がある。黒木華とはまた少し違う魅力で好きな女優だ。

そうだなぁ、私自身が彼女たちみたいに「やさしくて爽やかな」感じでいたいからだろうか。昔言われた「わきまえた女性」の雰囲気があるからだろうか。そんな言葉が今頃出てくるなんて。

のんびり家にいられることはいいなぁ と思う。まぁ、今は冊子の編集をしていて、なんとなく無理せずに楽しいからかもしれない。人生の転機はあのめまい騒動だったのかな。病気も時には人生の転機になるのでしょうね。

 

 

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