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あなたに「ぬくもり」を届けたくてブログをつくっています

夜中の恐怖

2018-08-20 18:58:36 | 日記

 夜中(というよりは今日の3時半)に目が覚めた。そんなときは、無理して眠らず本を読んだりしている。1時間もすれば眠気が襲ってくるので、「眠れない」などと不安に思わないようにしている。でも、今日は違った。4時半、五時半、6時であきらめて起きた。それまでの時間、ぼんやりした頭で、不安になることをつぎつぎと考える。

ぼろマンションのオーナーが代わった。オーナーが60歳前の若さで心筋梗塞で亡くなり、息子さんはまだ大学生とかで、お母さまがオーナーになった。相続の問題かオーナーチェンジになったと聞いたのは1ヶ月前、仲介の親しくしている不動産屋さんからだ。いまだ、オーナーも管理会社もわからない。契約書もそのままだ。10年以上親しくしている不動産屋さんだから、安心して住んでいたのに。そんなことがあって、これから住まいの問題はどうしたらよいのかと不安が沸いてきた。とりとめなく不安が広がっていった。夜中に考えることはマイナスのことが多い。

そんな朝、NPO法人で出来上がった「岡野俊一郎氏」の追悼文集が完成したというメールを配信した。また、赤字をかかえるかと 頭が痛い。いくら天国に冨を積むとはいえ、厳しいものがある。そんな時、思いもよらない協力のメールが届いた。嬉しかった。9時半なると、不動産屋さんからも電話で親切にアドバイスがあった。

一人はつらいときがある。結婚とは保険だ と言った人がいたが、そうかもしれない。夜中に恐くなって手を伸ばせば、温かい手があるのは保険だ。でも、私は先ほど恐ろしいものを読んだ。自分の書いた文ではあるが。1年前のブログの最後に「私はいとしく思う人の胸は突けないが、最期までその手にわが身を委ねようと思う。それが「本懐」かな。」 どきっ!

 

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仏さまが教えてくれたこと

2018-08-19 19:55:06 | 日記

 上弦の月がきれいでした。空気が澄んでいるので富士山も見えました。虫も鳴いています。秋の夕暮れの感じです。左目は白内障の手術でレンズが入っているので、白とブルーが透明感があってきれいに見えます。でも、少し寂しい色。

 今日は3ヶ月ぶりにミサに出かけました。教会といっても「七味とうがらし」人の世の常で、権力争いもどきはあるようです。どちらの立場の人とも仲のよい私は疲れて、なんで、些細なことでもめなくてはならないのかと 教会を少しは離れました。

8月から仏様との前にいます。朝、イエス様に「これは人のためです」とお許しを得てから仏様に向かいます。そのうちに、やさしい瞳と口元の仏様は「そんなに甘いものではありませんよ」というかのように、まさに修行のように私の前にお立ちになりました。どんなことも道を求めていくことは厳しいのだと思いました。仏様に教えられて、教会に戻りました。「私は神の子だから、ミサに行かなくては」と。

 「日々是好日」も読み終わりました。お茶はやはり真剣勝負の世界のように思うのです。道を求めるということはいつも真剣勝負なのかもしれません。「道」の付く言葉はその道を歩むことの厳しさを教えているようです

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あきのけはい

2018-08-17 18:41:15 | 日記

朝干した洗濯物が2時間もしないで乾いた。太陽と爽やかな風の匂いがする。いつも90%くらしか乾いた気がしない洗濯物と大違いだ。百日紅の花が心地よさそうに揺れている。

昨日の朝日新聞の折々の言葉がおもしろい。「人生、七味とうがらし」(ある占師)ーうらみ、つらみ、ねたみ、そねみ、いやみ、ひがみ、やっかみ。この7つの性は、いずれも自他の比較に由来する、とある。うん~、いやみくらい残っているのかな・・・。そうは言っても、たま~に「そねみ」もどきが出てきて自分でも手を焼くことがある。まだ、心の底にはあったのかな?なんて思う。いずれにしても、結局は自分をいじめる辛味だ。

今日はうれしいことがあった。このぶろぐに読者登録してくださった方がいらした。その方のブログを拝見したらとても素敵だった。心が膨らんだ。ぶろぐはボケ防止に毎日日記代わりに書いている。まぁ「残日録」かもしれないし、向田邦子の「字のないはがき」のようなものかもしれない。「無事ですよ」と伝えている。

夕方、いつも散歩にでる。最後がショッピングパークなのは我ながら上手いコースだと思っている。年をとると毎日することが増える。脳トレの計算と漢字練習(笑わない)筋トレ(というほどでもない運動)とストレッチ、おしわ伸ばし等々。散歩は1日の終わりにいい時間だ。今日は萩が咲いていて、赤とんぼがたくさん飛んでいた。ちょっとさびしい

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おとこというものは

2018-08-16 17:55:41 | 日記

お盆も終わろうとしている。昔、「お迎え、お迎え」といって、お盆明けの朝に、お盆の飾り物を集めに来ていた記憶がある。そうだ、今日は五山の送り火だ。一度は行ってみたいと思っているが・・・。

藤沢周平の「本所しぐれ町物語」を読み終わる。連作なので読みやすい。でも、ボケが始まったのか、この女は?この男は?と、登場する男女の名前が混乱してくる。それくらい出てくる人物が同じような間違いを繰り返す。「しょうないもの」が男と女なのか。男というものは、女房には頭が上がらず、浮気がばれれば、おめおめと家に戻り、それでもまた、浮気した女が忘れられずこそこそと出かけるようになる。藤沢周平の描く江戸時代の男も今の男達もそう差はないようだ。人生50年の頃と80年のいまではいかがなものだろうか。男はやさしい分だけいい加減なのだろうか、などと思うが・・・。

女もおろかだ。ふと、岸恵子の「わりなき恋」を思い出した。「心をぞ わりなき物と 思ひぬる 見るものからや 恋しかるべき」これは岸恵子だから絵になるが、70歳のその辺のおばさんじゃ絵にはならないだろう。男と女のことは、早く卒業するのがいい。いつまで渡辺淳一をやっていてはいけない。男と女の関係は行き着けばあとはいくら淳一さんがすばらしいと言っても所詮同じだ、と私は思う。残り少ない人生をもう無駄には使えない。いや、無駄でないと思う人もいるのかもしれないが・・・。死ぬまでなんとやらか。

50歳の頃、親友と話していた。「電気消してください、じゃもう済まないわね。ここが限界かしら。」と。あれは倉本聡の小説だったろうか。妻の白髪をある部分に見つけたときから浮気をやめたという話があった。まぁ、この辺がまともかもしれない。

 

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ただそれだけのこと

2018-08-15 18:56:39 | 日記

今日も夕方から散歩に出る。空が一部秋の空のようだ。そこにうっすら眉月があった。湘南はやはり風が海風だ。夕方は心地がよい。午前中身体のメンテナンスに行ったので、どこも痛いところはない。「T先生がいなくなったら大変だわ」なんておばさんは図々しく言ってしまう。

1年前のグログの記事がメールで届く。やはり聖母の被昇天を書いていた。マリア様は身ごもったことを知ったとき、騒ぐことなくその事実を受け入れ、喜びに満ちた。この頃、人生はそれでいいのではないか と思う。

朝ドラの仙吉さんの台詞を聞いて、ちょっと涙が出た。鈴愛ちゃんが漫画家を途中でやめてしまったこと恥だと思うことについて、「それはそれだけのこと」と言った。

30年以上Yさんを引きずって生きたけど、それはそれだけ愛された(えっ!)というだけこと。夫に塾の経営者になってほしいとがんばったけど、それがうっとおしかったのか、若い彼女のほうを選んだ。仕事も家庭も失って大変だったけど、それはそれだけのこと。なんとか生き抜いて、今は、人と競争することもないし、みんなに大事にされているから、人の顔色をうかがうこともない。でも、若いころよりお金で解決できることが多いと思う。それはそれだけのことで、ぼろマンションで電気代を気にしながらクーラーを入れて暮らしている。三食食べられるのだから上出来。悲壮感はないなぁ。

精一杯生きてきたから、もうOKかな。できたことよりできなかったことのほうが多いのは当たり前のこと。だから、自己嫌悪になることなんてないんだよね。

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