gooブログはじめました!

あなたに「ぬくもり」を届けたくてブログをつくっています

サルビアのゆめ

2019-03-26 18:09:52 | 日記

夕方、郵便物を出しに出かけた。風邪がよくならないので、しっかり着込んで出かけた。郵便局で最後に「お金は大丈夫ですよね?」というようなことを聞かれた。騙されることはあっても、お金はないので大丈夫!でも、ああ、そういう年になったのか と半分がっかり、半分不機嫌で郵便局を出た。スーパーで買い物して外に出ると地面が濡れている。夕立だ。長浜は天気雨が多い。月か太陽かわからないものが出ている。幸い、風邪支度で、ダウンコートにマフラー。マフラーを真知子巻き(古すぎる!)でやや重たく走った。止まない雨はないよ、と最近は考える。時はくるのだと。

4日くらい前に、夢で祖母がたくさんのサルビアの鉢植えをプレゼントしてくれる夢をみた。プレゼントというのか?庭に真っ赤な鉢植えのサルビアが十鉢以上並んでいた!みとごとな風景だった。長浜に来てからは面白い夢を見る。今回のサルビアは何を意味するのだろうか?当たってもはずれてもなんとやらで、夢占いを見てみた。

花を贈られる夢はいいそうだ。そして、赤い花は安定した生活だそうだ。サルビアの花言葉は「良い家庭」 「家族愛」 「家庭の徳」 「エネルギー」で赤はもちろん情熱。でも、なんで祖母から・・・。そうか!ここの暮らしは祖母が子供のころ私にしてくれたことを意味しているのだろう。じじばば子は三文安いというが、私は三文どころではない。

長い間、間抜けな生活をしてきた。騙されえることはあっても(最近、騙されていたと、気がついたのだが)人を騙したりすることはなく、自信がないためにずいぶん大きな魚?も逃がしたが、でもいまは何かを跳ね返す力ができた。特にこの長浜で。雨が降っても月か太陽が出ているから大丈夫。そんな情熱と力がサルビアなのかもしれない。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

おもてなし

2019-03-25 18:48:38 | 日記

今日は、なんとか起きられたので、新快速電車に乗って高槻まで取材に出かけた。田園風景からビルがだんだん見えるようになる。山科を通過する頃は、「ああ、京都の山だ」と思う。新幹線で2時間半で京都に着いたのと、在来線で1時間半弱で着くのとはやはり気持ちが違う。見える景色の違いだろうか。

長浜で約1ヶ月。どこへ行っても親切だ。丁寧というのか。今日、関西のサッカーの大会へ取材に入って感じたのは、関西の人のほうが「おもてなし」を知っていると言うのか、人への対応がやさしいと言うのか、「よう、きてくれはりました」と招いてくれる。それは今日のように風邪を押して行ったときは、とくにうれしい。

「おもてなし」という言葉が流行った。お茶で利休さんのおもてなしの心のようなものがある。

一則 茶は服のよきように点て
二則 炭は湯の沸くように置き
三則 夏は涼しく冬暖かに
四則 花は野にあるように活け
五則 刻限は早めに
六則 降らずとも雨の用意
七則 相客に心せよ

当たり前のことを心がけなさい ということのようだ。特別のことではなく、今日は一杯のコーヒーだった。仙台や福島もさりげなく「おもてなし」がある。首都圏では、あまり人を招くということが少ないからだろうか。そんなおもてなしも、どちらかというと家庭で習うことも多い。先日訊ねしたお茶の先生は、テーブルに庭の色とりどりの椿をさりげなく飾ってくださってあった。

忙しくて落ち着かず長浜でお茶の先生を探すどころではなく過ごしている。一段落したら、またお茶を始めようと思った。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

愛していたから耐えられた?

2019-03-24 20:33:35 | 日記

風邪が本格的になってしまったようだ。身体もだるいし、鼻が止まらない。取材をやめて、午前中はあたたかくして寝ていることにした。こんなときは、睡眠と栄養だと思っている。おそらく、夕方になって寒いのに2階で仕事をしていたからだろう。昼間は温室のようにあたたかい部屋だ。寒いときはエアコンは広い部屋なので、効かないような気がしていれていない。夏は夏になった考えようとおもっていた。

この家に来てから、わたしはけちになった。いままでの生活は、どちらかというと、いいわ、いいわで無駄なことが多かった。そこまで考えるのが面倒だった。この家にはできるだけ長く住めればと思う。お金には限度がある。だから、私らしくない節約が始まった。衣食住の我慢が始まった。暖房もまめに切ったり、着るものを温かいものにした。それがつらいとは思わず楽しんでいる。

「愛してれば、耐えられることがある」なんでもそうだろう。イチローの言うように、野球を愛していたから、耐えてこられたのだろう。それが原動力になることが多い。それには自分が本当に納得して選んだものであることが必要だろう。そこに無理があると、人は無意識に逃げ出す。無駄使いもそうだろうし、ものを見ない、考えないようになる。それはそれで生き方なのかもしれないが。納得のいくものを見つけられたことは幸せなのではないだろうか。生き方でも、品物でも、人でも。これなら、この人なら、この生き方ならと思えれば、耐えていける気がする。

でも、人は納得できなくても生きていかなくてはならないことのほうが多い。「もう、別れたいのだけど・・・」それでも別れられないことのほうが多い。それでいいのだろうと思うし、それが普通の生き方なのだろう。初めは納得して選んだのだから。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

イチロー インタビュー

2019-03-23 17:42:31 | 日記

夜中にのどがいがいがした。眠いほうが勝っていたのでそのまま休んだ。今朝は冷え込んでいた。部屋があたたまらない。そのうちくちゃん、くしゃんして鼻もでてきた。この寒気はどうも風邪らしい。のども頭も痛い。昨日、寒い中で仕事をしていたからだろうか。TVはサッカーの試合とフィギアスケート、どちらも目が離せないスポーツだ。そんなことで仕事も進まない。

イチローの引退会見を見ていた。ひとつひとつ噛み締めるように言葉を発していた。その言葉の重さを痛感した。アメリカでは決して順調なスタートではなく「外国人」として、苦労が始まったこと。ニューヨークの高級マンションでトレーニングに励むイチローの姿しかイメージになかった。そして、苦労した末に、シアトルではどんなにかファンに愛されていたか!言葉で表現できない「偉業」だ。そして、それを支えていた弓子さんの姿が思い出された。ニューヨークでは、イチローがランチに食べるカレーをたくさん作って冷凍してあった。一人で車を運転して試合に出かけるイチロー。留守番の多い弓子さん。犬の名前が「イッキュウ(一弓)」だった。

そんな話を思い出していた。なにかの勇気にとインタビューの全文を保存した。悲しいことに、私は何も残さなかった。夫も子供も仕事も財産も。何かを残す生きた方をしなかった。今、せめて最後のチャレンジで長浜に移住したことが私の残した軌跡だろうか。でも、それもむなしく終わるような気もする。流れ着く所はないようだ。どこへ行けばいいのだろう。それでも今日は、長浜に来て初めて琵琶湖を見に行った。春らしく煙っていた。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

たばこのかおり

2019-03-22 18:46:01 | 日記

都会?へ出かけた。帰りにバケットを抱えて帰ってきた。やはり長浜には似合わないようだ。銀行やらの用事で、草津まで出かけた。長浜か「姫路」行きに乗る。草津まで45分くらい、ビルがあるとやはり都会だ。KINTETSUもある。草津までの電車のなかで、ふと煙草が吸いたくなった。もう20年以上煙草は吸っていないが、そんな気分になった。

昔は煙草は吸ってはいけない所なんてほとんどなかった気がする。駅のホームでも煙草を吸っていて、すいがらをポイと線路に投げていた。もくもくと煙が上がる場所がほとんどだった。受動喫煙なんてどこでもあった。父がヘビースモーカーだったし、祖父も吸っていた。それも「ピース」とか「ハイライト」とかだと思う。両切りのピースの缶を開けるといい香りがした。煙草臭かったのだろうが、特に意識してことはない。

「ベットで煙草を吸わないで」なんていう歌もあった。闇の中で小さな煙草の火が見えるのは大人の世界だった。今のTVドラマで煙草を吸うシーンも少ないし、取ってつけたような吸い方だ。昔は煙草が似合う人がいた。煙草を吸うのはひとつの区切りだった気がする。火を消すのもそうかもしれない。「さぁ、行こう」なんて煙草の火を消した。

都会の香りは、たまにはいい気がした。デパートにはさまざまなものがある。「煙草の香り」もそんな都会のイメージなのだろうか。吸いたいとは思わないが、仕事の一区切りをしたかったのかもしれない。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする