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あなたに「ぬくもり」を届けたくてブログをつくっています

40年以上つらぬいたあい

2020-02-23 19:59:11 | 日記

東京での用事のために今日から2泊で出かけた。米原から小田原までは新幹線ひかりの自由席で行く。指定席がガラガラで、自由席もいつもの半分以下だ。連休の中日なのに、やはり人が少ない。名古屋で満員になるのにさらに空いた。小田原の駅も人がいない。今なら、梅林などに出かける人が多いのに・・・。タクシーがたくさん客待ちをしている。

産業の空洞化の話はもう20年まえから出ている。改めて、海外依存のこの国を考えさせられた。空洞化している(中身が抜けている)のは、産業だけではない気がする。私たちはもう先が長くないからいいが、今の若者たちはたいへんだろう。そんなことを恵まれていた時代を過ごした親友と語り合った。今日は彼女のお誕生日祝いの食事会だった。こじんまりとしたレストランも空いていた。貸し切りのように食事を楽しんだ。

彼女は40年以上ひとつのあいを貫いている。ある意味ではとても恵まれた人生を送っている。そんな彼女に聞いてみた。「いままでで一番とはいわなくても、思い出に残っていることはな~に?」「そうね、若い時に二人で休みを合わせて1週間くらいとって旅行に行ったことかなぁ。山陰がいちばんよかったかなぁ」と答えてくれた。1年前のぶろぐが思いで作りだったが、まさに非日常が思い出になるのだろう。日常のことは、あまり覚えていない。どんな料理を作っていかかなんて。日常はそれはそれで、積み重ねが長い夫婦の歴史になるのだろう。

なつかしそうに彼女は語ってくれた。今なら、彼女の話は袋たたきにあうだろう。でも、40年以上貫いた男と女の関係を軽々しく倫理だけでは罰せられない気がした。

 

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家族というやまい

2020-02-22 17:23:34 | 日記

どんよりとした空から雨粒が落ちてきた。部屋の中が暖かくならない。なんとなく気分が落ち込む。明日から神奈川・東京へ出かける。新幹線と東京駅が不安だ。昨夜、怖い夢を見て目が覚めた。画像でコロナウイルスを見すぎているのか、増えていく細胞を必死で壊している夢だ。それが四角い細胞だった。よく、胸に手を当てていると悪い夢を見るというが、まさにそうだった。3時に近かった。それから1時間半ぐらい眠れずにいた。そんな時は様々なことを思う。

教会のお友達がポルトガルの旅から帰ってきたが、足をねんざして帰国したという。娘さんとそのお孫さんと暮らしているが、娘さんが迎えに行かないというところからもめだしたらしい。お友達が海外へ行くのも、現在の生活から少しでも逃れたいからだとは聞いていた。離婚して戻ってきた娘と母親の確執だ。お嬢さんは発達障害で働けないという。40代なのだろう、好きな人ができて結婚したいという。お友達はうまくいくわけがないということを、相手の男性もいるところで話した という。

話を聞く限りでは、どうもお互いに依存しているようだ。(共依存)肉親であるがゆえに、いちばん難しいケースだ。母親は、愛情をもって育てたつもりでも、娘のほうはそうは思わない。その不満がさまざまな形で出てくるようだ。一時的にでも、距離を置く(離れて暮らす)のがいいのだろうが・・・。

親というものとは(特に母親は)どんなに出来が悪く世間から悪く言われようが、子供のことを保護するほうがいいと思う。たとえ、親ばか と言われても。「結婚はうまくいかない」なんて言わずに、がんばってごらん と言えばいいのだが。

娘と母親、父親(特に優秀ば場合)と息子、姉妹、兄弟と「血」のつながりがあるゆえの難しさがある。期待が大きすぎても、あきらめが良すぎても、子供は迷惑?なものらしい。でも、家族は家族。家族がある人がうらやましい。

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1年の歳月

2020-02-21 18:12:22 | 日記

コートなしで歩けるくらいに暖かかった。ミサがないので、陶芸教室にだけ出かけた。新しい作品は春を感じさせる若竹色にするつもりだ。

長浜に越してきてから今日で1年が過ぎた!段ボールの山に囲まれながら、これから始まるという生活に夢と不安を両手に抱えていた。

1年間で撮った四季折々の写真をみると、本当に充実した1年であったと思う。もちろん、不安もさびしさもあった。それでも、私は失われていたものを取り戻してきた。それはお金では買えない豊かな時間だった。最期まで失うことのない絆のように思う。

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キリスト者が菩薩を写す

2020-02-20 18:10:50 | 日記

毎日ニュースを聞くたびに、自分が健康である(と思われる)ことをありがたいと思う。コロナウイルスに感染された方たちがお気の毒でならない。船旅を楽しんでいたしたのに・・・。仕事として任務について感染された方も。私の周りにも医療関係の方がいらっしゃるので心配だ。

昔から疫病が流行ることがある。それこそそれが流行るのを防ぐなどということはできず、神や仏にすがるようになった気がする。ここのところずっと写仏をしている。ともかく写していことに集中しているだけだ。約1時間くらいの作業だが、終わると気持ちがすっきりする。今は主に菩薩様を描いている。菩薩は、悟りを求めて修行するものという意味で、出家前のお釈迦様がモデルになっているため、装飾品などを身に付けていると言う。(キリスト者が語るのもおかしいが)

ただひたすら写す。如意輪観音菩薩を描いているときに、あら?手が多いのでは?と気が付いた。千手観音菩薩があるように、それぞれの手が救いの力を示すのだろう。手がふっくらとしていて大きい。足もやはりふっくらとして大きい。立像だと、足が半歩くらい先に出ていて、今にも歩き出しますよ という感じだ。

国がわからないウイルスに襲われていると思えば、どうしたらいいか を考えてくことだけが大事なのではないか。明らかに安全でないと思われたら、すぐに改善すればいいことで、知恵を出し合って感染を防いで、体制を作り上げていけばいいことではないだろうか。

私の描いている千手観音菩薩は手が左右に20本。1本が25の世界の人々を救うそうです。早く平和な日常がきますように。

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雑草のように

2020-02-19 17:17:06 | 日記

伊吹山のすそ野まで雪が積もっている。昨夜は冷えたのだろう。今日は暖かい。やはり春は近い。昨日、アマゾンから「湘南の身近な草との語らい」という本が届いた。はて、頼んではいないが、どなたからだろうか??画集の著者の略歴の出身高校からすると、どうもお友達のYさんらしいが・・・。私の住んでいた平塚から馬入川の辺りまで歩いてスケッチしたいわゆる雑草の楚々とした姿がある本だ。その自然の色遣いが何とも言えない。明日になれば、送り主から連絡が来るだろう と思った。思いもよらない贈り物に心が温まった。

その本の中に「植物は、自ら花を咲かせ、実を作ることにぶれない。この目的を果たすために、どのように芽を出すのかを土の中であらゆることを虎視眈々と狙っているともいえる」とあった。確かに、なにでその季節を察知するのかわからないが、植物はぶれずに芽を出してくる。

ぶれずに生きるには、誘惑やらが人間の世界には多いのだろうか。ヒト以外の動物もそうだ。子孫を残すためにぶれることはない。

270の楚々とした雑草の絵がある。華やかな色はない。でも、ゆっくり見ていると穴の開いた葉っぱにも「いのち」のちからを感じる。バラにはなれないけれど、残りの人生もそんな雑草のように生きられればいいなぁ。

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