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あなたに「ぬくもり」を届けたくてブログをつくっています

二人の食卓(9)

2020-10-26 18:05:31 | 日記

夕暮れが本当に早い。もたもた仕事をしていると、もう夜のとばりが降りている。ものごとが流れるように動いた。というよりは、流れに乗ったというのだろうか。親友に相談すると、「そういう流れなのよ、次に行きましょう!」の意見。いつも、彼女が決断を助けてくれる。迷うことなく進むことにした。

昨夜はなにか寝付かれず(夜の7時半まで夕寝をしていたから)頭を使わない「母から娘へ伝える 昭和の食卓」を読んで(見て)いた。懐かしい料理や食器がある!とても興味を持った。そうだ、来月からは時間ができる、この本に挑戦してみよう! と思った。祖母や母の作ってくれた料理ばかりだ。少しずつ作っていこうと。

我が家の二人の食卓はまだ続いている。ここのところ食事が作れないことも多いので、相棒に「すみません、今日はこれで我慢してください。」と夕方に作り置いてあったグラタンなどを出すこともある。それでもこの二人の食卓は私を支えてくれる。ごく当たり前のこととなり、2枚のランチマットをひいて、食器を並べる。一人分ずつに上手に分けるたり、大皿に盛ったりしている。それがわたしの「ゆたかさ」となっている。ありがとう、相棒くん と言っている。

母の手を通して心が盛り込まれる と筆者が書いていた。丁寧に野菜を刻み、科学でない料理(砂糖何グラムにこだわらない)を作って、パートナーと楽しもうと思った。

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あたらしい「希望」へ

2020-10-25 22:43:33 | 日記

おだやかな秋の一日だった。名古屋で行われた「だれでもでサッカー広場」という企画に取材に出かけた。聴覚に障害のある人たちや精神障害がある人たちが名古屋の女子チームやシニアチームと試合をしていた。そのほかに、ウオーキングサッカー(走らないサッカー)や聴覚障害の体験をしたりしていた。子供たちも多く、にぎやかだった。

この長浜に移り住み一つのきっかけは、電動車いすサッカーという重度の障害のある人たちのサッカーに接してからだった。生まれてから自分の足で歩いたことのない人、自力では食事ができなくなり胃ろうにしてもサッカーをすることを選択した人など、その生き方に触れ、「いきる」ということを改めて考えさせられた。残り少ない人生を、どう生きようかと。せめて悔いのないように生き抜こうと。

今日で今年度の予定の取材は終了し(おそらく)10年来お世話になっている名古屋の方に、今後のNPOの話をした。よくご理解いただけた。一つ区切りがついたというよりは、これで先に進める という気持ちになった。これで一番大事なもののために生きられる。

お昼から蕎麦屋で一杯 というのが粋な酒の飲み方と聞いたことがあるが、おちょこ一杯だけごちそうになった。東海道線に心地よく揺られて、帰宅後夕方まで熟睡した。(夕方というより夜だった)頭の中が空っぽで何もない。

静かな秋の夜。2年前、湖北に来た時に見た琵琶湖に沈む真っ赤な夕日は、人生の最期を意味するのではなく、「希望」だったように思えた。大きな「希望」だと。

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まあいいか から もういいわ へ

2020-10-24 16:34:52 | 日記

お昼ごろ買い物へ出ると、空がきれいだ。空気もさわやかだ、と感じられた。とても気持ちがいい。これなら琵琶湖へ行けるように買い物先を変えようと思った。なにかわからないがサバサバした気持ちになった。

今日はメールの返事も、出さなくてはいけない郵便物も、「まぁ いいか」。能力もない人間がそんなに必至こえてしなくてもいいと思えた。誰も期待などしていないんだ。その辺のおばさんが頑張らなくてもいいんだ。自分できついノルマをかけていただけに思えた。

「もういい」と自分にハンコを押せた。一人でなんとか食べてきたし、それなりに責任は果たしてきた。もう、これ以上は頑張りたくない。静かにときを過ごしたい。これで食べられなくなれば、それはそれまで。あとはかみさまが導いて下さる。

琵琶湖畔は人がいない。静かな湖面がキラキラしている。紅葉にはまだ早い。陽ざしがあたたかく心地よい。この長浜で、自分を癒していこう と思う。我慢して生き抜いた時をいやしていこう。

今日はゆっくり料理でもしてみよう。そういう時間を大事にしていきたい。

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女性ファンと男性ファン

2020-10-23 18:25:26 | 日記

福島、東京から戻った。まず、メダカに餌をやった。数は数えないが全部元気なようだ。気圧のせいか疲れか新幹線酔いか頭が痛む。しかし、よく新幹線に乗った。

NPOの仕事の打合わせを、福島から東京に戻る間、千葉に回ってしていた。理事二人とで、二人ともフリーでサッカーや地域の交流に貢献している。いろいろ内輪話になった。NPOの仕事の疲れの原因に、つまらない男性の嫉妬がある話をした。これが結構ストレスになる。ひとりの理事のお嬢さんは演劇をしている役者さんだ。とてもかわいい!彼女のファンの話と女子サッカー選手のファンの話になった。

ファンをむげにできないが、やはり迷惑なことも出てくるという。周りがかなり気を使うという。その時に「女性のファンは団体で一人の男性を応援できるけど、男性のファンは1対1 という感覚で自分と相手になるんだよ」ということを聞いた。たしかにおばさんの団体ファンはあるけど、男性は一緒でも団体ではなく個人のファンの集まりだ。自分だけの「〇〇ちゃん」でないといやらしい。

このおばあさんにそんなにファンがいるわけはないが、自分だけ特別 意識は強い。それがいやで仕方なかった。何度も「私には大事な人がいるんです!」と言いたかった。それも言えないNPOの仕事がいやだった。

二人の理事が言ってくれた。「しばらく休んで、それから自分のやりたいことをすればいいよ。もちろん応援するから」と。うれしかった。

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なにになりたかったの?

2020-10-22 17:43:15 | 日記

福島へ向かい、翌日海浜幕張で打ち合わせ後、東京へでて、長浜へ戻る。何を着ていけばいいのか?調整がきくものにするしかない。昨日、藤枝で夕方から飲みに行く予定のK氏と少し時間つぶしをしていた。何ともレトロで隠れ家のような喫茶店だ。裏に駐車場があるので、みつからないように仕事がさぼれるとか。自分の部屋のように、読者などして過ごせそうだ。

K氏は通信社でスポーツ専門の(特にサッカー)記事を書かれていた。K大学の経済学部卒だからエリートだ。彼の趣味に蝶々を研究することがある。昆虫採集の網を持って歩きたいと話している。「この年になって、ほかの国立大学の理学部(生物学)を学べばよかったと思うんですよ。蝶々の研究をしていたかった。戦後の競争社会で生物学よりお金の取れそうな分野にいったのは間違いだったと思うんです。やりたいことを続けられる人が一番幸せだと思うようになりましたね」と。

そんな話をしてくれた。確かに、この年になると自分のやりたいと思うことを仕事としてできる人は幸せだと思う。もちろん、その努力もたくさんされたと思うが。高校1年の時は、外科医になりたかった。そんな優秀でなかったが、人を助ける仕事をしたかった。

高校の1年も終わりのころ、家庭環境が変わってしまった。(家の事業の失敗)それでも、あきらめずに思い続ければよかったのだろうな。文系に逃げてしまった。なんでも自分には甘い。

「何になりたかったの?」「Yくんのおよめさん!」なんて言えた時代があればよかった。そういう女性でもありたかったなぁ

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