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あなたに「ぬくもり」を届けたくてブログをつくっています

散りゆく花がはなやかでした

2022-05-11 20:41:06 | 日記

ハラハラという音を聞いたような気がして目が覚めました。カーテンの隙間から朝日が漏れています。ああ、晴れなのかなと思って起きだしました。ソファーの前のテーブルの上にきれいな黄色の牡丹の花びらが散っていました。これが散った音ではないけれど、なんとみごとな散り方なのでしょう。「散る」という哀れさはなく、むしろ華やかさがありました。花びらを集めて、押し花の乾燥材の中に入れました。

TVのニュースでは相変わらずウクライナのずたずたになった街の様子が映し出されています。まさか21世紀に戦争のむごさをみることになるとは。でも、現地の様子はそれ以上に想像を絶するもののようです。基本的に人は人を殺すことはできないそうです。1対1で戦場で出会ったときは、知らんぷりをしてそっと通り過ぎるということです。

大河ドラマの「死」も最近の4回くらいは壮絶で残酷です。戦いに勝ち抜き頂点に立つために、誰が泣こうが喚こうが邪魔者は殺していくのです。殺さなくては自分のいのちも危ないのです。それに段々人が慣れていくということは恐ろしいことですね。三谷の脚本は、心をえぐり取っていきます。

ウクライナのマリウポリのアゾフ大隊の死を覚悟しての戦いは胸が痛みますが、止めることはむしろ彼らの意志を軽んじるのではないのではとも思うのです。人と人が争うこと、殺しあうことのむごさに「美しい死」という言葉を使っていいものなのか・・・。

今日は白い花がカメラに残りました。

パソコンの更新してシャットダウンをしたら、メールソフトが突然消えていました。(データは幸い残りましたが)ITの担当者も初めてとのこと。今日はそのパソコンのそばを離れてべつのPCで書いています。何が起こるかわかりませんね。

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だれかがなにか気が付いてくれればと 18年!

2022-05-10 19:09:50 | 日記

お天気もいいので、少し速足で歩きながら買い物に出かけました。食事の買い物のほかにお見舞いのカードが欲しかったのですが、用が足りずほかの店舗まで歩きました。暑かったのか(着すぎもあります)帰宅するとふらふらしました。なんともやはな体になったのでしょうか。暑さ負けしないようにと速足歩きを試みたのに・・・。

今日は昨日完成した冊子を郵送していました。最近は印刷してお送りするのはかなり少なくなりましたが、18年前は、メールでなくて全部印刷して郵送でした。今考えれば、メールの方がよかった方もおられただろうにと思います。母が封筒のあて名書きをしてくれたのでいいのですが、それでもポチキスで止めて紙を折って封筒に入れる作業は大変だったです。私の勝手な自己満足の冊子でいたので、費用も自己負担でした。かなり忙しく働いていた時期、まぁ、体力があったのでしょうね。

今日、その作業をしていて思いました。18年もこんなことやっているんだ!と。ばかだなぁと思うのです。ある高校生の男の子が「編集後記を楽しみにしているんですよ。あの止まない雨はないで僕は救われたんです」と話してくれたのがいけないのです。そうか、そういうこともあるんだと自己満足で、誰かが何かに気が付いてくれればと思い続けてきました。このぶろぐもそうかもしれません。

老後の貯えが必要なのにねとも思うこの頃です。でも、これでいいのだと思うのです。私のすることは報われることはないことなのだし、報いを求めてもいけないのだと。ずっと何事もそうだから。

サッカー仲間から現金書留が届きました。「がんちゃん」と友達になったという82歳の方からです。80歳以上の人たちのサッカーリーグができたという記事のタイトル「O-80からさらに輝くサッカー人生」に勇気が出たということでした。ドクターストップが出るまでやり通しますと。お手紙を読んでいて涙が出ました。

この涙が報いなのでしょうね。

 

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ストレスに負けない心身を作る!

2022-05-09 18:57:26 | 日記

冬に比べたら気温は高いのに、部屋にいると肌寒い。すぐに暖房を入れると、またすぐ暖かくなります。そんな繰り返しです。やっと冊子の編集が終わりました。気温の差とストレスで血圧が上がりました。薬を飲むと(解熱剤のようなもの)下がるのですが、やはり不安でした。連休が明けたらお医者さん行ってこようと思いました。自立神経失調症からくる血圧の上昇のようです。(つまり加齢)ちょうど、冊子の記事で「認知症の介護施設」などを調べていたのがいけなかったようです。入所費用+食事代やおむつ代などがかかると最低で月20万近くかかるようです。それは無理だからポッコリ死なないと・・・。などなど考えてのが悪いのとその前の日にかなりストレスのかかることがありました。内容は誰にも言わないでいました。話せば、またその時のやりきれなさや納得できないことが湧き上がってくるからです。

仕方なく今度はネットで自律神経失調症の治し方を読みました。もう、過去にも読んでいるのですが。病院に行けば、精神面での薬も出してくれますが、根本的なことは治りません。これは昔学んだハーブでまず対応してみようと思いました。時間はかかるけれども、心身ともに強くしていかないとならない気がしたのです。昨夜、ブログも書けず顔も洗えずに寝たのに、今朝は血圧は下がりました。自律神経失調症は検査をしても何も出てこないことがほとんどです。

音楽も騙されたと思って心が落ち着くという音楽でも聞いて、香りやハーブティで気持ちを落ち着けて、あとは、運動です。運動も出かけてみんなでしないと駄目なようですね。栄養はきちんと採っているので大丈夫。むしろ、食べたいものを上手に食べようと思いました。我慢をしてあとでお医者さんにかかるより日々の生活でできるだけ身体をいい状態に保つしかありません。

心身ともにストレスに負けない状態にしていく。これが大事なのだと思いました。そういう力を身体が持っていると信じたのです。あなたもそんな力を信じて、ストレスになることは今以上上塗りをしないようにしてくださいね。

今日は薔薇の写真が届きました。私にだけということなので公表できません。笑。

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母の日に思う

2022-05-07 17:46:50 | 日記

半袖で過ごせるくらいの午後、たけのこご飯が炊き上がりました。母の日には、何か作ろうと思いました。

先日、電話をいただいたサッカー仲間の方が、その後、メールで東北へ単身赴任中に、母親に電話すると気が付くと1時間も話していたことを思い出しましたとお話くださいました。65歳以上なのに、正直な方だなぁと思いました。「母親」というものはやはり特別なものなのでしょうね。

肉親くらい面倒なものもありませんね。お友達は中学時代に母親が父親と自分を捨てて出ていったと話しました。その母親とは関わりたくないと思っても、母親が救急車で病院に運ばれたときには電話がかかってきたと言います。「あの人」と彼女は言います。

たしかフロイドだと思いましたが、ほとんどの人が3歳までの記憶がないものだと言いました。(性の目覚めが子どもの頃の記憶を消してしまったという説)今は違う理論が出ています。ある人は「3歳まではどんな愛情をかけても、かけすぎるということはなく、その愛情を使っていきていく」と話しました。私が、6歳ぐらいの時に朝突然「私は橋の下で拾われてきた子供なんだ」と家族の前で言ったことを覚えています。おそらく、弟ばかりかまう母への不満だったのだと思うのです。それから、しばらくは「橋の下で拾われた子」と言っていました。

父の日は好きだったコーヒーを入れるくらいで何もしませんが、母の日はなにか作ります。でもそれは母がしてくれたことです。大家さんで頂いた牡丹が2輪、二人のお母さんのために咲きました。とてもきれいです。立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花。きっと二人のための花なのでしょう。

母はうつくしく、そして、かなしい。

写真は子供のころ一緒に買いものに行った谷中銀座、晩年の母

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Z世代に思う

2022-05-06 18:41:19 | 日記

これは日に焼けるわという日でした。5月の爽やかな日がありませんね。昨日は、ぶろぐを書けませんでした。大したことが起きたわけではないのですが、自分が情けないやら、歯がゆいやら、さらに文句を言わないで自分の中にしまわなくてはいけないこと等々で悲しくなりました。今日もスッキリしたわけではないのですが、マイナスの感情はいいことを呼ばないので、朝からシャワーを浴びてスッキリ!にして始めました。

今日は2004年の出来事を調べていました。歌はミスチルの時代で、せかちゅうでもありました。でも、あまり私は覚えていない時代です。忙しかったのでしょうね。まだ、スマホの時代でもなかったと思います。この15年にしてもスマホの時代はさまざまな変化をもたらしたと思います。先日、テレ朝のモーニングショーで「Z世代」の話をしていました。おばあさんはびっくり!!より多くの情報が欲しいので、映画は結末からみたり、もちろん、ドラマなどは退屈なところは早送りしてパスするところがあり。ともかくSNSに溢れる情報をできるだけたくさん早く取り入れたいのです。それはやはり友達との情報の共有が必要だからだそうです。おかしかったのは、最近のヒット曲はイントロがないことでした。これはカラオケでどうやって出るの?でした。

こひだってそうだと思うのですが、たくさんこひをすることもいいのかもしれませんが、飛ばさないでまずきちんと完結させたいと思うのですね。結果はどうであれ、飛ばしていい過程なんてないし・・・。本も終わりから読むことはたまにありますが、飛ばしていいところはない気がします。まして、映画やドラマは退屈なところにもそれなりの意味がある気がするのですが。とおばあさんは思うのです。

人生なんて無駄の集合ばかりなのに・・・。ひとをあいするなんて、むだなじかんの最たるものです。携帯電話について(がらけいのころ)「待つという情緒がなくなった」と言った人がいましたが、スマホは情緒どころか「待つ」ということがなくなりましたね。

今日は採りたてのタケノコを見つけました。えぐくなくておいしいです。いま、そんな時間が一番幸せです。

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