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あなたに「ぬくもり」を届けたくてブログをつくっています

取り残されていた記憶

2024-04-09 20:20:41 | 日記

朝は冷たい強風と雨が降っていました。新一年生の初登校なのに、残酷な日です。傘をささずレインコートで行くので大変です。新しいレーンコートが大きくて、お引きずりの子もいます。でも、みんな遅刻もしないできちんと集まれるようになりました。しっかりしてきました!

昨夜、やっと長年作っている道楽の冊子ができました。その記事の中に「記憶」の話があります。私もブログに書いた花を抱えて歩く時の気持ちのことです。私自身には誰かに花束を抱えて届けた記憶はないのです。花を抱えた時のうれしい気持ちはどこから?という話です。「記憶」に関する原稿を書いてくださったかたが、三才までの記憶は、消えてしまうのですが、たまたま消えずに残ってしまった記憶が、どこかで依存症(というまで行かなくても)のように自分の中で生きているのではないか?ということを教えてださいました。意識しなくても(記憶になくても)好きな傾向にあることというのか。

三歳のころ、私が花を摘んで、母や家の人たちに持って帰って喜んでもらえたのではないか?その後も、我が家の庭は祖父が素敵な花園のようにしていたので、それを切ってみんなに持っていったのではないか?そう思うと、私は仕事場に入っては、踊りや歌を歌ったりしておどけて見せていたとか。(母から聞いたことですが)これもいい気になってどこかに残っていて、役者になりたいなんて思ったのかもしえません。笑。自分では記憶なないことが将来の何かに残っているのでは。

花の写真をお送りくださる方は、おかあさまがお花が好きだったとか。生まれ故郷の食べ物が好きな方もどこかに味の記憶が残っていたのでは?雲や空からの写真が好きな方は子どものころ飛行機に乗るのが好きだったとか・・・。

3歳までの余分な記憶は刈り込みと言って、切り取られていくのですが、刈り込み残りがあるのですね。そう思うとなにか妙に納得いくことが多いような気がします。ただ一つ、記憶になくてもたくさんの人が大事大事に育ててくださったということです。感謝あるばかりです。

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お見送りの時

2024-04-08 19:22:26 | 日記

くらないの二尺伸びたる薔薇の芽の針やはらかに春雨の降る 正岡子規

そんな歌を思い出す朝でした。大家さんの庭の薔薇の芽がちょうど雨に濡れていました。やさしい雨です。ああ、これが春雨だわと思うのです。桜にもやさしく降っています。もう少し花がもちそうです。

今日から学校が始まりました。子供たちのスクールガードも始まります。荷物をたくさん持って子供たちが集まっています。3月にした集まりがよかったのか、みんな仲良くまとまっていました。よかった!

昨日、近江八幡からお花見に来たお友達をみて感じたのですが、皆さん、駅を利用することはなくほとんど車で自宅から目的地まで行くので、駅での待ち合わせやお別れがよくわからないようです。(私が思うところとは)ああ、そんなことがあるのだなぁと思いました。都会にいれば、うちまで遊びに来られるとなると最寄り駅から歩いてこられます。始めてならお迎えに行きますし、帰りも駅までお送りします。とくに、お送りするときは、改札口でお友達が見えなくなるまで見送りますし、お友達も最後に振り返ります。約束でもなく、何かそんなものでした。もし、車で来られても、玄関から外に出て車を見送るものでした。お客さまもクラクションを鳴らしたりして挨拶したものでした。久しぶりにしか会えないお友達とかならなおさら別れを惜しみました。お送りした後の帰り道、ふとさびしくなる・・・あの感じ・・・。あの人もさびしいかしらと。そこにある情緒というのか、そういうものを大事にしてきました。こんなことを書いているといろいろな「さよなら」の場面が浮かんできます。さびしいのは(お忙しい時だったのか)急いで車を発車されたときとか・・・。でも、わざわざ車から手を振ってくれるのはうれしいものでした。

共に過ごした時間のお礼がお見送りのようにも思うのです。だから、いつまでもあなたにさよならを!

 

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夜空の星を切り抜いたら

2024-04-07 16:42:14 | 日記

面白い夢を見た日がありました。調度、学童クラブが忙しく、ぶろぐにも書かずにいました。

きれいな星空。あの星がほしいといわれました。さて、どうやって手に入れようかと想い、なぜかおばあさんはハサミで空からきれいな星々を切り抜いて旗のようにして、みんなに分けたのでした。大きな旗や小さな旗がありましたがが、星がキラキラきれいでした。

夜空の星の夢は、幸せなことが起こるという夢らしいです。(基本的にいい夢とか)新しいいいことが起こるというので、なんとなくうれしかったです。4月に入ると、なにかお誘いの連絡が増えました。残念ながら疲れていて、お断りすることも出てきましたが、久しぶりに親友と長電話ができたり、彼女の次男が長浜に遊びに来たいとか思いもよらぬことが起こりだしました。単純なおばあさんは、ああ、星を切り抜いて分けた夢がよかったのだわと思うのです。

今日は80歳と90歳の先輩おばあさんが元気に長浜へお花見にきました。正直、昨日の山科疎水散策でもうお花見はいいわでしたが、私に来年という保証はないし、お二人にも・・・と思い、出かけました。桜は満開で本当にきれいでした。桜の時期に海外から来られた方たちが、さくらはうつくしい!!といわれるのがよくわかりました。

ワンちゃん5匹もお花見です。琵琶湖もおだやかです。

二人の先輩おばあちゃんも大満足で帰宅されました。昨日のNHK新プロフェッショナルでスカイツリーの建築の裏舞台を放送していました。さすがNHKの番組でした。高校1年で中退して、とび職になった教え子を思い出しました。もしかしたら、自画自賛ですが、私がかかわった子供たちが星になってくれたのかななんて思いました。

さくらに酔い、90歳のおばちゃんがオーダーした伊吹山牛乳使用のコーヒーフロートを私もいただきました。その味の濃い甘さにとろけました。また、夜空の星を取る夢を見たいです。

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寅に翼ならぬ虎のしっぽ

2024-04-06 19:04:32 | 日記

山科から京都へ抜けるトンネルをくぐると、ああ、もうすぐ京都につくと思うのです。そして、鴨川を渡るとウキウキしてくるのでした。それが私の京都への想いです。でも、今日は半端ない混雑、9時20分ごろ何に人、ひと、ひとです。さくらに季節、せっかくだから京都の放送大学サテライトでビデオを見ようと出かけました。こんな日に朝から勉強なんて誰も考えないので大きな教室はガラガラで貸し切り状態でした。家で勉強するよりもずっと効率がいいので久しぶりに落ち着いた気持ちになりました。15年前くらいに学んだ科目と同じですが、いやかなりレベルアップしています。

そうか、私はなにかを学ぶために仕事を続けていたのだなぁと思うのでした。なにしろ、私たちの時代は、25歳を過ぎたら12月26日のクリスマスケーキと言われ、28歳になれば何か訳ありなのよねと言われ、結婚して2年も子供ができないと周囲からまだ、お子さんは?と言われ肩身が狭かったのです。結婚すれば自由がなくなるというのが私を働き続かせた(外に出ることをさせた)要因なのでしょう。

今の朝ドラの「虎に翼」を見ている若い(若くなくても)女性は、そうよ、そうよね!と主人公のセリフに同感するのではないでしょうか。親の世代を見ても結婚がバラ色の人生につながるなんて想像できないと思う人は正直な人かもしれません。私は主人公の母親の豹変ぶりに(本質が出ただけ)あっぱれでした。不本意な結婚をした彼女は、娘には幸せになれるいい相手をと必死に見合いをさえるのですが、娘のために振袖を買いに行くとき、女であることでまだまだ不利益なことが多いと大学の関係者に言われ、うちの娘の優秀さを知らないのかと憤慨して、呉服屋ではなく法学書の専門店で「六法全書」を買い与えるのです。

もしかしたら、わが母親もあほな娘に託した気持ちがあったように思えるのです。私は寅の強さも(賢さ)もましてや翼などないのですが、今日放送大学で学び直していて思いました。なんでも学ぶことは好きだったのだ!と。それが定まらなかった。外科医になりたくて、なぜか演劇学に進んだあほな娘。今日の発達心理学を読んでいて、医学的にも心理学的にもひとが好きだったのではと思うのでした。もう遅いですが、寅のしっぽくらいにはなれるといいのですが。

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あいたくて(も)

2024-04-04 20:23:06 | 日記

春の陽ざしになると窓ガラスやらの汚れが目立ちます。今は、ちょっと窓掃除には時間がさけません。そして、春の陽ざしで目立つのは、鏡の中のシミとしわです。本当に悲しくなります。これは拭けば直る、伸ばせば直るというものではありませんね。それにダメ押しをするように学童クラブの男の子が「先生、マスク取ってみて」と。そら!きたと「おばあさんはしわしわでマスクはとれません」と。「やっぱりねぇ」と嬉しそうに去っていくのでした。ああ、かなしい。子供は残酷です。

この年になると、撮影禁止、2メートル以上近くによらないこと、などなどもう人前に出たくないのです。それでも、努力は惜しんではいけないと、すくない収入の中からしわに効くクリームやらを買うのでした。10年前は、まだきれいだったのに・・・。でも、年は誰もが公平にとるし、男性は化粧でごまかせないから(若いひとはどうか?)そんなに気にしなくてもというけれども・・・。やはり、女性は若くて美人でなくてはだめなのでしょうね。

そういえば、こわい歌がありました。昔、はやった曲で、その時は肝心な部分を聞いていなかったのです。あみんの「待つわ」です。

 「私 待つわ いつまでも待つわ たとえあなたが振り向いてくれなくても

 待つわ いつまでも待つわ ほかの誰かにあなたがふられる日まで」

ほかの誰かにふられる日まで とは聞いていなかったのです。すごいなぁ です。待つのは自由だけど、ほかのだれかにふられるまで待つなんて!(どこかで別れるのを待っているようで、こわい)

それよりは南こうせつさんの「夢一夜」がいいなぁ。「あなたに逢う日のときめきは あこがれよりもくるしみめいてああ夢一夜」

ああ、あいたくて(も)逢えない苦しみはシミとしわとは・・・。そうだ!夜目、遠目、傘の内だから、夜桜見物で傘の中なら大丈夫かもしれない(相合傘はだめ)

そんなことを考えるおばあさんの春の宵です。

 

 

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