私たち姉妹がみんな結婚をして、家を出たあと、
母が時折「あんたたちは毎日一体、どんなおかずを作っているのかねぇー」
とつぶやくことがあった。
私を含め、姉妹の誰もが、特別に母に料理を習ったとかいうわけじゃないし、
それほど料理が好きだったわけでもないけれど、出来合いのおかずに頼らなくても、
それなりに家庭的風な料理を作っていると思う。
そしてそれらの多くは、舌で覚えた味で、
つまり小さな頃から食べなれてきたものばかりだ。
それを「おふくろの味」というのだろうか。
どんなにせがまれても、子供の誕生日以外はコーヒーゼリーを作らない友人がいて、
それは将来、コーヒーゼリーをおふくろの味にしてほしいからだと言っていた。
そういう意図的なおふくろの味もあるんだなと感心したことがあった。
日本を離れて、材料をそろえるのが難しくなって、自然と料理するものも変わってきたけれど、
それでもどうしても、むしょうに食べたいと思うものがある。
不思議とそれは、母がお弁当に入れてくれたものが多いのだ。
母は今でも父のお弁当を作っているから、40年以上お弁当を作り続けていることになる。
幼稚園時代、中学・高校の6年間、毎日母のお弁当を食べた。
幼稚園の頃に好きだったのは、たまご焼きと、チーズがところどころに入ったフランクフルトのようなもの。(最近これを見かけないのが残念)
それと赤いソーセージで作ったタコ。
高校の頃に好きだったのは、やっぱりたまご焼きと、
前の晩に似たタケノコを、薄く衣をつけて天ぷらにしたの。
さつまいもの天ぷら、ソーセージにカレー粉を混ぜた衣をつけて揚げたの。
拍子切りにしたジャガイモを、うす甘く煮て、カレー粉を入れたの。
すき焼きの残りの卵とじ。
天ぷらの残りを甘辛く煮たの。
今日も、さつまいもの天ぷらが食べたくなって、お昼に自分のために作った。
衣にゴマと、少々の塩を混ぜるのが母流。
半分残して、それを余った天つゆでサッと煮て、明日持ってゆくお弁当のおかずにした。
職場にお弁当を持ってゆく日は、必ずたまご焼きを作る。
たまご焼きと、梅干のおにぎりがあれば、それでじゅうぶん。
おにぎりの海苔は、母がそうしていたように、全体を包んでしまう。海苔が高いハワイじゃ贅沢なおにぎりだ。
昔、小錦のおふくろの味をテレビ番組でやっていて、
小錦のママが、缶詰めのソーセージをあたためて「ハイ、できあがり!」と皿に出したのを見て
あれがおふくろの味なんて!と笑ったことを、今、とても反省している。
誰かのおふくろの味を、どうこう言う資格なんか誰にもないんだ。
母が地道に私たちにしてくれたことが、
まるで細胞のヒダに刷り込まれるようにして私たちの中に残り、
姉や妹は、それをまた子供達に残してゆく。
それはとても地味だけれど、とても尊いことのように思えてくる。
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母が時折「あんたたちは毎日一体、どんなおかずを作っているのかねぇー」
とつぶやくことがあった。
私を含め、姉妹の誰もが、特別に母に料理を習ったとかいうわけじゃないし、
それほど料理が好きだったわけでもないけれど、出来合いのおかずに頼らなくても、
それなりに家庭的風な料理を作っていると思う。
そしてそれらの多くは、舌で覚えた味で、
つまり小さな頃から食べなれてきたものばかりだ。
それを「おふくろの味」というのだろうか。
どんなにせがまれても、子供の誕生日以外はコーヒーゼリーを作らない友人がいて、
それは将来、コーヒーゼリーをおふくろの味にしてほしいからだと言っていた。
そういう意図的なおふくろの味もあるんだなと感心したことがあった。
日本を離れて、材料をそろえるのが難しくなって、自然と料理するものも変わってきたけれど、
それでもどうしても、むしょうに食べたいと思うものがある。
不思議とそれは、母がお弁当に入れてくれたものが多いのだ。
母は今でも父のお弁当を作っているから、40年以上お弁当を作り続けていることになる。
幼稚園時代、中学・高校の6年間、毎日母のお弁当を食べた。
幼稚園の頃に好きだったのは、たまご焼きと、チーズがところどころに入ったフランクフルトのようなもの。(最近これを見かけないのが残念)
それと赤いソーセージで作ったタコ。
高校の頃に好きだったのは、やっぱりたまご焼きと、
前の晩に似たタケノコを、薄く衣をつけて天ぷらにしたの。
さつまいもの天ぷら、ソーセージにカレー粉を混ぜた衣をつけて揚げたの。
拍子切りにしたジャガイモを、うす甘く煮て、カレー粉を入れたの。
すき焼きの残りの卵とじ。
天ぷらの残りを甘辛く煮たの。
今日も、さつまいもの天ぷらが食べたくなって、お昼に自分のために作った。
衣にゴマと、少々の塩を混ぜるのが母流。
半分残して、それを余った天つゆでサッと煮て、明日持ってゆくお弁当のおかずにした。
職場にお弁当を持ってゆく日は、必ずたまご焼きを作る。
たまご焼きと、梅干のおにぎりがあれば、それでじゅうぶん。
おにぎりの海苔は、母がそうしていたように、全体を包んでしまう。海苔が高いハワイじゃ贅沢なおにぎりだ。
昔、小錦のおふくろの味をテレビ番組でやっていて、
小錦のママが、缶詰めのソーセージをあたためて「ハイ、できあがり!」と皿に出したのを見て
あれがおふくろの味なんて!と笑ったことを、今、とても反省している。
誰かのおふくろの味を、どうこう言う資格なんか誰にもないんだ。
母が地道に私たちにしてくれたことが、
まるで細胞のヒダに刷り込まれるようにして私たちの中に残り、
姉や妹は、それをまた子供達に残してゆく。
それはとても地味だけれど、とても尊いことのように思えてくる。
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