私が日本語を教えている生徒は7歳の女の子だ。
かれこれ10ヶ月以上、週に2回会っていると、
子供の扱いが苦手だった私も、ようやく子供というものが少しずつわかってきた。
はずだった。
7歳は、思い切り自由で自分に正直な部分をたくさん残している反面、
大人の事情を理解することもできる。
彼女にイライラしたり、感心したり、教えられたり、
つきあうほどに彼女のことがよくわからなくなるのだった。
それでも、私が大人らしく、先生らしく振舞おうとすると疲れるということがわかり、
授業の間は仕方がないけれど、そうじゃないときには子供のしたいことを一緒にやったりする。
(彼女の決めたコースで玄関まで障害物競走をするとか)
私もけっこう楽しみながら、やっぱり子供だなーなんて思っていたのである。
先日、授業のあとで、
「同じクラスの友達が、急にあなたに冷たくしたりしたらどうする?」
と聞いた。
その頃、職場でちょっとした人間関係につまづいていたときだった。
「どんなふうに?」
「前は普通に仲良くしていたのに、突然話をしなくなったりよ」
「どうしてそんなこと聞くの」
「仕事をしているところで、そんなふうなことがあったんだよ」
彼女は少しの間、大きな瞳で私を見つめたまま考えてから言った。
「そういうことをする子と仲良くしたいの?」
ドッキーン、とした。
それで黙っていると、
「仲良くしなくちゃいけないの?」
と再び聞いた。
「そうだよね、仲良くしなくても、いいよねぇ?」
私がそう言うと、
「なぜ冷たくするのか、その子に聞いたっていいけど、
聞いて、それを直して、また仲良くなれるかなあ、前みたいに?」
実際には、私はこのことを努めて放っておき、
相手におもねることも、対立することもせず、ありのままの私のまま1日、1日を楽しもうとしていたら、
いつのまにか問題は気にならなくなっていった。
それは相手が変わったのか、私の気持ちが変わったのかわからないけれど。
7歳の子供に、核心を突かれた。
まだ7年しか生きてないのに、かたや私はその何倍も生きているのに。
体験を積むことで、おおいに学ぶこともあるけれど、
うまくやろう、失敗しないようにしようと思うあまり、
大事なことが見えなくなることもあるのかもしれない。
子供っていったいなんだろう。
大人になってゆくって、いったいどういうことなんだろう。
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かれこれ10ヶ月以上、週に2回会っていると、
子供の扱いが苦手だった私も、ようやく子供というものが少しずつわかってきた。
はずだった。
7歳は、思い切り自由で自分に正直な部分をたくさん残している反面、
大人の事情を理解することもできる。
彼女にイライラしたり、感心したり、教えられたり、
つきあうほどに彼女のことがよくわからなくなるのだった。
それでも、私が大人らしく、先生らしく振舞おうとすると疲れるということがわかり、
授業の間は仕方がないけれど、そうじゃないときには子供のしたいことを一緒にやったりする。
(彼女の決めたコースで玄関まで障害物競走をするとか)
私もけっこう楽しみながら、やっぱり子供だなーなんて思っていたのである。
先日、授業のあとで、
「同じクラスの友達が、急にあなたに冷たくしたりしたらどうする?」
と聞いた。
その頃、職場でちょっとした人間関係につまづいていたときだった。
「どんなふうに?」
「前は普通に仲良くしていたのに、突然話をしなくなったりよ」
「どうしてそんなこと聞くの」
「仕事をしているところで、そんなふうなことがあったんだよ」
彼女は少しの間、大きな瞳で私を見つめたまま考えてから言った。
「そういうことをする子と仲良くしたいの?」
ドッキーン、とした。
それで黙っていると、
「仲良くしなくちゃいけないの?」
と再び聞いた。
「そうだよね、仲良くしなくても、いいよねぇ?」
私がそう言うと、
「なぜ冷たくするのか、その子に聞いたっていいけど、
聞いて、それを直して、また仲良くなれるかなあ、前みたいに?」
実際には、私はこのことを努めて放っておき、
相手におもねることも、対立することもせず、ありのままの私のまま1日、1日を楽しもうとしていたら、
いつのまにか問題は気にならなくなっていった。
それは相手が変わったのか、私の気持ちが変わったのかわからないけれど。
7歳の子供に、核心を突かれた。
まだ7年しか生きてないのに、かたや私はその何倍も生きているのに。
体験を積むことで、おおいに学ぶこともあるけれど、
うまくやろう、失敗しないようにしようと思うあまり、
大事なことが見えなくなることもあるのかもしれない。
子供っていったいなんだろう。
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