太平洋のまんなかで

南の島ハワイの、のほほんな日々

「ラッキーマン」

2013-04-21 14:49:46 | 本とか



10年前に出版されていたのに、この本のことを知らなかった。

病気ものの自伝やエッセイを読むのは、あまり好きではない。

同情するのも嫌だし、誰かの苦しみを知って、私にどうすることもできないから。

けれど、この本のタイトルと、表紙のマイケルの写真を見て、手に取らずにいられなかった。



彼の病気のことは知っていた。

彼を知る、ほとんどの日本人がそうであるように、「バック トゥー ザ ヒューチャー」の

マーティのイメージが、私が知る彼についてのすべてだった。


30歳のある朝、左手の小指が勝手に震えるところから物語は始まる。

彼の生い立ち、家庭、コンプレックス、

自分が追いつかないほど遠く離れたところに、もう一人の自分が存在しているという、

ハリウッドスターについてまわる、ある種の恐れ。

貧しさ、富、家庭をもつ幸せ、そして不治の病。



セレブの場合、ゴーストライターによって書かれる本が多い中で、

これは正真正銘、マイケルが14ヶ月かかって書いたのだという。

(病気のため、正確には口述筆記で)

病気が発覚し、それを公にするまでの7年間の彼の生活は壮絶なものだ。

しかし、どんなに彼の葛藤や怒りや恐怖が赤裸々に描かれていても、

不思議とそれに同情したり哀れむのではなく、共感することが多い。

それは、彼が病気を受け入れたあとで書かれたものだとわかっているからかもしれないし、

這いつくばっていても、いつもどこかに希望を見出そうとする、彼の人格からくるのかもしれない。






人気絶頂であった彼が若年性のパーキンソン病になるというシナリオの意味のひとつは、

この病に苦しむ人たちのため、研究費用を増やすことや、理解を得るために、

一般人よりもずっと影響力がある彼が必要だったのだろう、

と、わかったように言う人たちもいる。

私もこの本を読むまでは、そう思っていた一人だった。



どう見ても不幸にしか見えないことも、実はそこから学ぶことがあるからで

だからそれはラッキーなことなのだ、とスピリチュアル本に書かれているようなことを言うのは簡単だ。

しかし、不幸からラッキーに至るまでの道のりの険しさは、

その人でなければわからない。

それでもラッキーまで至ればいいほうで、中には至る前に挫折する人もいるだろう。

たとえ挫折したとて、その挫折に意味がないわけじゃない。




本を読んだあと、自分のおこがましさが恥ずかしくなった。

他人に起きたことをどうこう言うほど、

おせっかいで思い上がったことはないと思う。






病気を宣告され、お酒に溺れて、大切なものを失いかけたときから、

かれが毎日続けている祈りがある。




神様、自分では変えられないことを受け入れる平静さと

自分に変えられることは変える勇気と、

そしてその違いがわかるだけの知恵をお与えください







「あのマーティが」、人生そのものを受容してゆく正直な姿は、

私に勇気をくれる。






「ラッキーマン」 ソフトバンク パブリッシング





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偽・家庭的

2013-04-21 13:44:25 | 日記
大きな声じゃ言えない、ある事実。




この5ヶ月余、ほとんど料理をしていない  という事実。


私がフルタイム勤務になる3月までは、時々やっていた。

でもそれ以降は、一切やっていない。



夫が仕事を辞めた11月半ばから、

我が家の主婦(主夫?)は彼になった。

朝は、早朝ウォーキングのあと、私がシャワーを浴びて出かける支度をしている間に、

夫が私のお弁当と朝食を用意する。

夜は、私が帰宅すると食べるばかりになっている。



もともと料理が好きで、マメな性格。

私よかずっとおいしいものを作るし、息子だけに、夫の両親の好きそうなものをよく知っている。

ブラウニーを焼いてくれたり、いろんな味のジェリーを作ったり、

私ならやらないこともやってくれる。


それは私が休みの日も同じで、

私はただ夫の助手をやるだけだ。

こんな暮らしは、実家にいた頃以来だ。

あの頃のほうが、まだやっていたかもしれない。



私はいったい何だろう???

これでいいのか?????



と、一瞬だけ思うことはあっても、

私がやるからいいよ、とは言わない。ま、いっか、と思う。

だって楽だし。

私よりずっとうまいし。







最初の結婚時代、私は自分が家庭的だと信じて疑わなかった。

フルタイムの仕事をしながら、ワイシャツは家で洗ってアイロンがけをしたし、

家も常にきれいに保つ努力をした。

前夫が食べ物にうるさかったから

毎朝、パン食とご飯を交互に組み合わせ、夕食は3種類以上のおかずを用意していた。

パンも自分で焼き、私は料理が好きだと思っていた。




が、それはおおいなる勘違いであった。




ということが、今の夫と結婚してからわかった。

離婚したあと、今の夫と出会う前に恋愛していた相手には、

せっせと何か食べるものをこしらえたものだ。

その恋愛がうまくいかなくなってくると、なおさら私は食べ物で相手を引きとめようとした。

家庭的であることが、自分を認めてもらう唯一の武器だと思い込んでいたのだと思う。



今の夫と結婚して、

私はてんで料理がダメになった。

なぜだか変なものができてしまうことが多い。

その変なものを平気で食卓に出し、てんでダメな自分を笑えた。



そして今、家にいて家事をしているより、

外で仕事をしているほうがいい、と思っている私がいる。

幸運なことに、夫の両親がハウスキーパーを雇っているので、そのおこぼれに預かって

私たちの領域も掃除してもらえるから、掃除はしなくて済む。

夫が料理を担当してくれて、私は自分のこと以外何もやっていないことになるのだが、

そのことに罪悪感などこれっぽっちもない。というのがスゴイ。




夫の仕事が決まったら、いったいどんな生活になるんだろうとは思ったが、

どんなにこのパターンが楽チンでも、夫の仕事が決まるほうが遥かに遥かにずーっといいに決まっているから、

昔のように私が何とかしようと思っていた。

幸い、仕事が決まり、

私がキッチンに復帰する時が来たかと思いきや、

初めの1ヶ月ほどはトレーニングだけで、午後3時頃には帰宅できるから、

相変わらず、私が帰ると夕食の支度ができている生活が続いている。



夫の母が家庭的じゃなくてよかったと思うのはこんなときだ。



彼女は10日に1度ぐらい、ほぼ趣味のように料理をするだけで(今の私はそれ以下だ・・)

夫婦だけで暮らしていたときは、いったい何を食べていたのだろうと思う。

もし彼女が家庭的であることに価値をおく人であったら、

私は大変窮屈な思いをしたことだろう。


それにしても、

家庭的だと信じていたころの私は、どこへ行ってしまったんだろうと

不思議に思うのである。







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