長いこと私の第一印象は、私にとっては意外なものだった。
記憶にある限り、
小学生の頃から、社会人になってからも、
『近づきがたい感じがする』
これが私の第一印象だった。
この印象は、気心が知れたあとに告白(?)されるもので、
そのあとに必ず、
「近づきがたい感じがしたけど、話してみるとぜんぜん違う」
という感想に変わる。
小学6年のとき通っていた塾で、私を含め3人で立ち話をしていたとき、
私がほかの二人の話に耳を傾けていたら
「いやぁ、なんか目つきがすごく怖い~」
と言われたのが一番ショックだった。
それ以来、私は非常に「どう見られるか」を気にするようになり、
それは思春期の中学・高校時代にピークを迎えた。
おおむねその時期は誰でも自意識が過剰になるものだが、私の場合、
お弁当を食べるときもギクシャク、そのうち歩く姿までギクシャクするようになった。
当時、物理の授業で習った『慣性の法則』のように歩いている、と指摘されたほどだ。
第一印象はどうやって感じ取るものなんだろう。
同一人物であっても、人によって受ける印象が違うことがある。
こう見られたい、と思っても、そうならないこともあるし、
第一印象と中身が違ったというのはよくある。
ただ、ウマが合うとか合わないというのは、かなりの精度で当たるような気はする。
30を過ぎて、今度は「やさしそう」と言われるようになった。
その変化に驚いたものの、それもまた、なんだか私とは違うような気がした。
そのうち、自分の内側に入っていかざるを得ないほど、人生が動いていって、
人からどう見られるか、ということを気にしていられなくなった。
気がつくと、第一印象とのギャップについて告白されることはなくなっていた。
あえて聞いたこともないけれど、
たぶん、そそっかしくて変わった人、と感じ、実際もまたそのとおりなのではなかろうか。
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小学生の頃から、社会人になってからも、
『近づきがたい感じがする』
これが私の第一印象だった。
この印象は、気心が知れたあとに告白(?)されるもので、
そのあとに必ず、
「近づきがたい感じがしたけど、話してみるとぜんぜん違う」
という感想に変わる。
小学6年のとき通っていた塾で、私を含め3人で立ち話をしていたとき、
私がほかの二人の話に耳を傾けていたら
「いやぁ、なんか目つきがすごく怖い~」
と言われたのが一番ショックだった。
それ以来、私は非常に「どう見られるか」を気にするようになり、
それは思春期の中学・高校時代にピークを迎えた。
おおむねその時期は誰でも自意識が過剰になるものだが、私の場合、
お弁当を食べるときもギクシャク、そのうち歩く姿までギクシャクするようになった。
当時、物理の授業で習った『慣性の法則』のように歩いている、と指摘されたほどだ。
第一印象はどうやって感じ取るものなんだろう。
同一人物であっても、人によって受ける印象が違うことがある。
こう見られたい、と思っても、そうならないこともあるし、
第一印象と中身が違ったというのはよくある。
ただ、ウマが合うとか合わないというのは、かなりの精度で当たるような気はする。
30を過ぎて、今度は「やさしそう」と言われるようになった。
その変化に驚いたものの、それもまた、なんだか私とは違うような気がした。
そのうち、自分の内側に入っていかざるを得ないほど、人生が動いていって、
人からどう見られるか、ということを気にしていられなくなった。
気がつくと、第一印象とのギャップについて告白されることはなくなっていた。
あえて聞いたこともないけれど、
たぶん、そそっかしくて変わった人、と感じ、実際もまたそのとおりなのではなかろうか。
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