太平洋のまんなかで

南の島ハワイの、のほほんな日々

2年間のアリガトウ

2014-06-26 15:27:29 | 絵とか、いろいろ
日本語クラスを辞めることになって(その辺のいきさつはコチラ

2年間のお礼として、生徒に何かあげようと思っていた。





たまたま画材屋でみつけた、白木のままの引き出し。

これを見つけた瞬間、創作意欲がドカーンと降臨。


そしてできたのが、コレ。




まず地肌をほんのりクリーム色に塗った。

ちょっとアンティークな雰囲気が出るかと思ったけど、そうでもなかった・・・

ま、いいか。




両側にも模様がある。





扉を開けたところ。





引き出しの1つ1つに何を描くか考えるのは楽しい。

絵を描いたあと、カラフルなボタンをくっつけてみた。





天使もいる。




月の絵は、昔描いていたパステルを思い出す。



7月一杯でクラスは終わり。

生徒が喜んでくれるといいなあ。









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家風

2014-06-26 08:07:26 | 日記
日本を離れて、何につけ、文化や習慣の違いに目をみはる日々なのであるが

家庭での妻や夫のありかたも、その一つ。


私の父は、昭和一桁生まれで、掃除以外の家事はできない。

最近はそうでもないようだけれど、スーパーに買い物にも行けなかった。

ちなみに、70過ぎて大病をするまで、一人で病院にも行けなかった。

会社を切り回すことは得意でも、生活面ではからっきし。

母が出かける用事があるときは、真っ先に「俺の飯はどうなってる?」と言う。

そんな家庭で育ったから、妻は夫の世話をするものだと思っていたし、

友人たちと会う約束をするときに、誰かが

「その日は夫が家にいるから出られない」と言うのも、普通に聞き流していた。



最初の結婚時代、私は当然のように結婚相手の世話をやいていたけれど

今の夫と再婚してからは、それをやめてしまった。

今の夫は私よりも家事が得意だし、何より私が自分自身のことを差し置いて

夫の世話を焼くことを嫌がった。

日本に住んでいた頃は、それはきっと夫の性格なのだろうと思っていた。



ハワイに来て、夫の両親と住むようになり、これは文化の一つかも??と思うようになった。



たとえば。

リタイヤする前、義父は毎朝、一人で朝食を用意して食べ、ひっそりと仕事にでかけていた。

特別早朝というわけでもないのに、朝食を食べない義母はノータッチ。



夫の両親が、夕方、二人で外出先から戻ってくる。

義母は、「私はおなかがすいてないわ」と言って、さっさと部屋に引き上げてしまう。

義父は適当にピーナツバターサンドや、ありあわせのもので夕食を済ませる。



義父が参加しているハイキングサークルでは、毎回持ち寄りのランチが必要だ。

私の夫のようには、義父は料理をしないけど、フルーツを切ったりして何かしらを作る。

義母はたいていベッドの中だ。



私だったら・・・

朝食は一緒に食べたい(たとえ夫が用意するにしても)し、見送りたいと思う。

食欲がなくても、外出先から戻る途中で、「私は食べないけど、何か買ってゆく?」と聞くと思う。


持ち寄りのランチだって、一緒に用意すると思う。




話を聞けば、義兄の家庭でも似たようなものらしい。

叔父叔母や、私の周囲をみまわしても、夫たちは自立している人が多いし、妻たちも自由だ。

彼らが、「夫が家にいるから出られない」と誰かがいうのを聞いたら、

旦那さんは病気か怪我をしているのだろうかと真剣に思うに違いない。




アメリカって、自由な個人主義なんだなァ、と結論を出そうとしていたところ、

職場の仲間で夕食を食べる機会があった。

日本人の同僚の一人は、ご主人はアメリカ人だけれど、彼女が外出するのを極端に嫌がる人で、

その日に出かけるのも根回しが必要で、

それでも食事中に30分ごとにメールがきた。


ということは、これはアメリカじゃなくて、我が家の家風?

夫も義兄も、10歳をすぎたころに、母親から家事の一切を叩き込まれたという。

アイロンがけも、裁縫も、料理も、掃除の仕方も。

それは義母が仕事に復帰したかったからというのもあるだろうけれど、

子供たちを自立した人間にしたいという方針でもあったのかも。





こんな楽な家風はない。

もう、夫の世話を焼いて過ごしていた頃の自分には戻れないなーと

義母に感謝しているのである。









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