太平洋のまんなかで

南の島ハワイの、のほほんな日々

メルヘン

2015-03-15 16:37:48 | 日記
その昔、職場の近くに、新しい喫茶店ができた。

新しもの好きな我らは、早速行ってみた。

天井が高く、比較的広い店内は、ゆったりとしている。

白を基調としたインテリアに、ベビーブルーの椅子、ベビーピンクのソファ、

ハートのコースター、白木のテーブル。

フリルのついたカフェカーテンに、天井からはクマや虹のモビール。

まるでサンリオの キキとララ (若い人は知らないだろな) の世界に入り込んだような雰囲気であった。

私は「げ…⁉」と思い、メルヘン大好きな友人は「きゃ!」と思った。


とりあえずテーブルにつき、メニューを広げた私は、広げたメニューを閉じたくなった。

そこには、


森のおさんぽ だとか、 マーヤのかわいいおくりもの だとか、

湖畔のピクニック だとか、 クマさんのラブリーなおやつ といった、

読むだけでお尻がムズムズするようなメニューがギッシリと並んでいた。

私とて、ウラ若い時代はあったが、メルヘンチックなものは若いころから苦手であった。

ただのホットケーキを、なにゆえ、クマさんのラブリーなおやつ、と名付けるのか。

ただのホットケーキにイチゴが乗っただけなのに、イチゴ畑に迷い込んで…、とくる。

メルヘン大好きな友人は、いちいち喜び、私は一人でドン引きしていく。


友人「えーと、私は お花畑のアラモード をください」

店員「ハニーはかけますか」

友人「うーん、少しかけてもらおうかな。シロは何にする?」

私「じゃ、私は、これで」

と言ってメニューを指差す。

店員「赤ずきんのバスケット でよろしいですか?」

私「は、はい」

店員「お飲みものは」

友人「オレンジハーモニースペシャル!」

私「こ、これで」

店員「寒い夜のコケモモジャムティー、でございますね?」

私「そーです」


たぶん今の私なら、メルヘンは好きじゃなくても面白がって楽しめるかもしれない。

昔の私は尖っていたのかなんなのか、役になりきれずに浮いている役者のように、

ギクシャクしながら 寒い夜のコケモモジャムティー を啜っていた。



そういえば、もう1件、そこはメルヘンではなく普通の大きな喫茶店だったが、

「プロバンスの風を感じて」とかいう、やはりメニューが独特な店で、

どれも映画のタイトルみたいだった。

一緒に行った、私よりも融通がきかない同僚は、「シェフの気まぐれ地中海サラダ」を見て

「プロなのに気まぐれで作ってんじゃねーよ、結局ありもんで作ってますってことだろ」と言った。

私はそこまで思わないけれど、まあそう言われてみればそうとも言えるか。



スターバックスを代表とする、いわゆるカフェブームが始まるまで、

そういう個性的な喫茶店がたくさんあった。

オムライスが美味しいとか、おしぼりは熱い花柄のミニタオルで、良い香りがするのだとか、

紅茶のバラエティがすごいとか、手作りのケーキだとか。

今のカフェも好きだけれど、どこに行っても同じで、それはつまらないなと思う。



日本に住んでいた時、週末の朝に行っていた昔ながらの喫茶店がある。

禁煙と喫煙が一応分かれているものの、壁があるわけじゃないので

結局タバコの匂いは漂ってくるという、昔の飛行機みたいな店だ(昔は国際線もそうだったんだよ、若い衆)

でもそこの、一人一人ネルドリップで淹れてくれる、香り高いコーヒーや、

熱々できたての、トーストサンドウィッチは毎週食べても飽きなかった。



若い頃、ドキドキしながら待ち合わせに使った山小屋みたいな喫茶店や

オムライスが美味しい店も、あの店もこの店も、なくなってしまった。

それでも、かろうじて残っている店もあることはあって、日本に行くと必ず寄る。

私が高校生の頃から、美味しいケーキとコーヒーを出す店だった。

その店が移転したといえば、姉は移転先を突き止め、その店もなくなったとき、

すわ、いよいよオーナー逝去したかという話になったが、

「オーナーが自転車乗ってるのを見たひとがいるから、まだ生きてるよ!」

と私を元気付け、最近になって元の場所の近くに再び店を出したのをいち早く探り出した姉は、

その店に行った時にオーナーに、「よく見つけましたネ…」と言われたらしい。

姉の執念が、私にはとてもよくわかる。


あの恥ずかしいメルヘンチックなメニューも、今となれば懐かしい限りである。



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からだの声

2015-03-15 06:21:04 | 不思議なはなし
地元の女性のお客さまが、ちょっとした会話から

「健康だと思って過信しちゃあだめよ」と言った。

彼女が洋服の襟元を少し下げると、痛々しい手術の跡が見えた。

「私はちょうど60になるんだけど、ものすごく健康だったの」


週に2,3回はエクササイズをして、タバコも吸わず、お酒もそれほど飲まず、

病気らしいものも知らずにいた。

あるとき、胸の、鎖骨の下あたりに軽い圧迫感を感じるようになったのだそうだ。

「ほら、ちょうどこんなふうよ」

彼女はそう言って、てのひらを私の胸にあててみせた。

誰かがこうやっててのひらを乗せている、そんな感触。

苦しくもなし、普通に歩けるし、走ることもできる。

妹さんが、いつもと違うのなら病院にいったほうがいい、と何度も勧めるので

仕方がないので行ってみた。


「そうしたら、いきなり手術が決まって、心臓のバイパス手術をしたってわけ」


このままほうっておいたら、心臓発作を起こすところだったらしい。

そう言われてからも、歩けるし走れるし、重いものを持てるし、

本当に自分の心臓がどうにかなっているのか、疑わしいぐらいだった。

家族に心臓病の人はおらず、今でも不思議でしかたがないという。



何かがいつもと違う、というのは、正直なからだの声なんだろう。

ぼんやりと心のどこかに引っかかっている、そういう思いは、やっぱりなにか行動を起こすべき。

なにか見つかるのが怖いといって

私の叔父の一人は絶対に病院に行かない。

その気持ちもわかるんだけれど。



昨日まであった健康が、今日もあるとは限らない。

人生を折り返して、しみじみとそう思う。





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