太平洋のまんなかで

南の島ハワイの、のほほんな日々

ひとり

2015-03-30 20:51:27 | 日記
マウイ島から帰ってきた日の夜、夫は仕事でワシントンDCに出かけた。

1週間ほどの出張だ。


その翌日は、夫の母が夕食に招待してくれた。

ポークチョップと、ベイクドポテト、りんごのシナモン煮、なます(きゅうりの酢のもののような)。

夫の両親と3人で軽くワインを飲みながら、案外楽しく食事をした。



2日目の今日は、仕事から帰ってきてから肉じゃがを作った。

肉じゃがを作るのは7,8年ぶりかもしれない。

庭で鳴く虫の声だけが聞こえる部屋は、やけに静かすぎて、ピアノのCDをかけた。

肉じゃがは、思いのほか美味しくできた。


多めに作ったから、明日は味噌汁を作るだけで夕食になる。

自分の分だけの料理を作り、自分の明日のことだけを考え、

自分の分だけの洗濯をする。


ひとりで暮らしていた頃のことを思い出す。


美大時代は、姉と一緒に暮らしていたから、私が一人暮らしをしたのは

離婚したあとの2年間だけである。

ずっと年下の相手と、いずれ結婚する気満々で借りた部屋だったので、一人で暮らすには広かった。

半同棲のようにして暮らし始めてたったの1ヶ月で、目もあてられぬ喧嘩をし、

仲直りはしたものの、相手は滅多に立ち寄ることはなかった。



あの頃、普段何を作って食べていたのか、あまり思い出せないが、

黒豆を煮たり、いなりずしの揚げを作ったり、五目すしを作って友人の家に行ったし、

テニススクールに入ったりもして、みじめな恋愛をひきずっていたわりには

それなりに楽しく過ごしていたと思う。


仕事もあったし、友人もいた。

この先、どうなっていくのか不安はあったけれど、その時できることをやるしかなく、

一人で暮らすことがさみしいと思ったことはなかった。



ただ、初めてそこで迎えた年越しは、生涯でもっとも孤独な夜だった。

交際相手と年越しをする予定だったので、実家には帰らないと両親に言ってあった。

しかしその直前に相手と大喧嘩をし、私はひとりで大晦日を迎えた。


喧嘩の後味の悪さ。

謝りのメールをいくら送っても返事はなし。

今更、実家に帰る気も起こらず、食欲もなく、私は薄い毛布を体に巻いて

音を消した紅白歌合戦を眺めていた。

外の駐車場で、車を出す物音がして、子供のうれしそうな声がした。

初日の出を見に出かけるのだろう。

ものごころついてから40数年間、私がどんなに幸せな年越しをしてきたかが、胸にしみた。

それまで感じた孤独が、実は孤独なんかじゃなかったこともわかった。



ふと、数ヶ月前に離婚した相手のことを思いやった。

彼も今、こうして一人で過ごしているのだろうか。




紅白歌合戦の画面は、そこだけ異次元のようにみえた。

12時になると、港に停泊している船という船が、いっせいに霧笛を鳴らした。

さみしい、というのでもない。とりわけ不幸というのでもない。

宇宙空間に一人だけ浮いているような、あれはやっぱり孤独というのだろう。









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