国語辞典を買ったお客様がいた。
私の母ぐらいの年齢だろうか。日本人の女性だ。
本の補充をしていると、その方が隣に立っていらして、
「日本の本がこんなにたくさんあるのねぇ」
と言った。
「私はメインランド(アメリカ本土)に住んでいて、そこでは日本の本が売ってないのよ。
この国語辞典もね、私が欲しかったものがあって、ほんとうによかった」
やわらかい表情で、ゆっくりとしたしゃべり方は、私の母のようだ。
「娘が5年前にこちらに来ましてね。その娘が病気になってしまって、
それで様子を見に来たんです」
「そうでしたか。それはご心配ですね」
「ええ。でももうダメみたいで」
返す言葉もない私の顔をおだやかに見ながら、その方は言った。
「菌にね、やられているんです。手術をしても助かるかはわからない。
ただ手術をすると、体内の血液を入れ替える作業を週に何回もやらなくてはならないそうで
それがとても辛いんだそうです」
「・・・・」
「娘が、手術は受けたくないと言うんです。親が親の権利をもって手術を受けさせるには、私たちがハワイに
住んでいないといけないんだそうですよ。でも本人は嫌だというものを、ねえ」
「手術をしないと・・」
「そうです。手術をしないとだんだん弱っていくだけ。手術をしても、助からないかもしれない」
そう言うと、その方は本棚を見上げて
「なにかおすすめの本はあるかしら」
「どんな本がお好きですか」
「そうねえ。時代物よりは現代ものがいいかしら。そうだ、なんとかいうお医者さまが書いた本、おもしろかった」
「じゃあ小説よりは、エッセイみたいなのがいいですね」
心があたたかく軽くなるような本を数冊、私は選んでみた。
「ああ、これはいいわ。うんうん、きっと楽しいわね」
その方は微笑んで、そして
「25日までここにいます。その間に娘が死んでしまったら、もう来ることはないかもしれません。
でも死ななかったら、きっとまた来ることになるでしょうね」
と言った。
子供が自分よりも先に死ぬということが、どれだけのことなのか、私には想像もつかない。
かなしいとか、辛いとか、そういった言葉では言い表せないことに違いない。
私は思わず、その方をきつくきつく抱きしめた。
泣かないようにするのが精一杯だった。
この方が泣いていないのに、どうして私が泣けようか。
「あらあら・・・ありがとう・・・」
その方は、最初は驚いて、でもすぐに強く抱きしめ返してくれた。
この人に、すべてのよいことが、できるだけたくさん起こりますように。
かみさま、この人に、できるだけたくさんの天使を派遣してください。
「ご家族は、こちらに?」
その方は私に聞いた。
「いえ、日本にいます」
「からだを大切にね。それがいちばんの、しあわせなこと。誰にとっても」
つらい人がいたら、力になりたいと思う。
0.05%でも、つらい気持ちが減るような何かができたらいいと思う。
けれども、とても私の手におえないようなこともたくさんあって、
なにもできない自分がもどかしく思う。
子供の頃からそうだった。
私はうまく、人を慰めることができない。
こんな状況にあって、国語辞典を買うだとか、本を読もうという気持ちになれるまで
どれだけのものを乗り越えてきたのだろう。
「気晴らしに、また寄ってください」
「ありがとう」
その方は、そんなとんちんかんなことを言った私を笑顔で包み込んでくれた。
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私の母ぐらいの年齢だろうか。日本人の女性だ。
本の補充をしていると、その方が隣に立っていらして、
「日本の本がこんなにたくさんあるのねぇ」
と言った。
「私はメインランド(アメリカ本土)に住んでいて、そこでは日本の本が売ってないのよ。
この国語辞典もね、私が欲しかったものがあって、ほんとうによかった」
やわらかい表情で、ゆっくりとしたしゃべり方は、私の母のようだ。
「娘が5年前にこちらに来ましてね。その娘が病気になってしまって、
それで様子を見に来たんです」
「そうでしたか。それはご心配ですね」
「ええ。でももうダメみたいで」
返す言葉もない私の顔をおだやかに見ながら、その方は言った。
「菌にね、やられているんです。手術をしても助かるかはわからない。
ただ手術をすると、体内の血液を入れ替える作業を週に何回もやらなくてはならないそうで
それがとても辛いんだそうです」
「・・・・」
「娘が、手術は受けたくないと言うんです。親が親の権利をもって手術を受けさせるには、私たちがハワイに
住んでいないといけないんだそうですよ。でも本人は嫌だというものを、ねえ」
「手術をしないと・・」
「そうです。手術をしないとだんだん弱っていくだけ。手術をしても、助からないかもしれない」
そう言うと、その方は本棚を見上げて
「なにかおすすめの本はあるかしら」
「どんな本がお好きですか」
「そうねえ。時代物よりは現代ものがいいかしら。そうだ、なんとかいうお医者さまが書いた本、おもしろかった」
「じゃあ小説よりは、エッセイみたいなのがいいですね」
心があたたかく軽くなるような本を数冊、私は選んでみた。
「ああ、これはいいわ。うんうん、きっと楽しいわね」
その方は微笑んで、そして
「25日までここにいます。その間に娘が死んでしまったら、もう来ることはないかもしれません。
でも死ななかったら、きっとまた来ることになるでしょうね」
と言った。
子供が自分よりも先に死ぬということが、どれだけのことなのか、私には想像もつかない。
かなしいとか、辛いとか、そういった言葉では言い表せないことに違いない。
私は思わず、その方をきつくきつく抱きしめた。
泣かないようにするのが精一杯だった。
この方が泣いていないのに、どうして私が泣けようか。
「あらあら・・・ありがとう・・・」
その方は、最初は驚いて、でもすぐに強く抱きしめ返してくれた。
この人に、すべてのよいことが、できるだけたくさん起こりますように。
かみさま、この人に、できるだけたくさんの天使を派遣してください。
「ご家族は、こちらに?」
その方は私に聞いた。
「いえ、日本にいます」
「からだを大切にね。それがいちばんの、しあわせなこと。誰にとっても」
つらい人がいたら、力になりたいと思う。
0.05%でも、つらい気持ちが減るような何かができたらいいと思う。
けれども、とても私の手におえないようなこともたくさんあって、
なにもできない自分がもどかしく思う。
子供の頃からそうだった。
私はうまく、人を慰めることができない。
こんな状況にあって、国語辞典を買うだとか、本を読もうという気持ちになれるまで
どれだけのものを乗り越えてきたのだろう。
「気晴らしに、また寄ってください」
「ありがとう」
その方は、そんなとんちんかんなことを言った私を笑顔で包み込んでくれた。
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