私の性格を一言でいうとすれば、「おおざっぱ」か「うっかり」だろう。
詰めが甘い、とも言えるし、見通しが甘いともいえる。
本当は、もっといいところもあるはずなんだけれど、残念である。
炊き込みご飯を作った。
鶏肉と椎茸とにんじんが入った、釜飯風のもので、
むしょうに食べたくなるもののひとつ。
母親が日本人、父親がアメリカインディアンの血を持つという同僚が、
お好み焼きを作ってランチに持ってきてくれた。
そのお礼に、炊き込みご飯を食べたことがないという彼女に持っていこうと思った。
お米を研いで、お醤油を1合につき大匙1杯入れた。
これは私が炊き込みご飯を作るときの分量で、これだとお醤油の加減がちょうどいい。
だしが出るように鶏肉を少しいれ、塩を少し振って、炊飯器にセットした。
その間に、椎茸とにんじんと鶏肉を甘辛く煮ておく。
何度も作っていて、失敗のしようがない数少ないレパートリーのひとつだ。
ご飯が炊き上がり、蓋をあけた。
「?」
何かがおかしい。
やけにご飯が乾いている。
ゆっくりと記憶をたどってみる。
お米を研いだ。お醤油を入れた。鶏肉と塩を入れて・・・・・・
いつも、少な目の水のままでお醤油を入れ、そのあとで水を足すのだが、
今回は水を足さずにそのまま炊いた。ような気がする。
3合のお米に、たぶん、水は2合分ぐらいしか入っていなかった。
人に持っていこうというのに。
食べてみると、芯があるほどではないにしても、パラパラしている。
途方にくれたが、3合ものお米を無駄にするわけにもいかない。
横から夫が、
「鍋に移して水を入れて火にかけてみれば?」と言う。
そんな乱暴なやりかたでうまくいくはずが・・・と思ったが、素直な私はとりあえずやってみる。
お米は、水をぐんぐん吸い込むのに、パラパラのままだ。
水をどんなに足しても、全部吸う。
それでもまだ乾いている。
あの水はどこへ消えたのか。水を足し続けるのが怖くなった。
「水かけてレンジにいれてみたら?」
さらなる提案が出る。
失うものはないような気になってきて、やってみる。
器に入れ、水をかけ、ラップをしてレンジに3分かけた。
言われてみれば、ちょっとふっくらしていないこともないようだ、ぐらいになった。
もう一度水を足して、1分レンジにかけた。
出してみると、もうこれ以上水は吸えませんけんね、とお米が言っていた。
ここに椎茸などを煮たものを加えて水分が補給されることを思えば、そう悪くないかもしれない。
結果は、上出来ではないにしても、なんとか食べられるものにはなったと思う。
いまさら驚かない。
驚かないが、一応へこむ。
日本にいたとき、持ち寄りパーティがあって、私は自分の力量を知っているので、
失敗のしようがないカップケーキを持ってゆくことにした。
アメリカ製の、すべてが混ざった粉に、分量の水を入れて型に流して焼くだけだ。
アメリカ製のこういうものは、日本で買うと700円以上するが、楽には勝てない。
水と、オーブンの温度だけ守れば、子供にもできる。
私は箱の裏の作り方を追いながらボウルに材料を混ぜていったが、やたらと水気が多い。
これでは型に流し込むどころか、さらさらと流れ出てしまう。
そのまま読み進めると、そこに出てきたのが
『以上が、タルトを作るときの分量と作り方でした』
とある。
そのあとに、カップケーキの分量があった。
ああ私よ、なぜ最初にそれをちゃんと読まなかったか。
私はシャバシャバしたそれに、型に流せそうな固さになるまで小麦粉を加えた。
そしてそのまま焼いた。
できたものは、カップケーキというよりは、ふくらみそこねたスポンジ生地。
時間もないので、ずうずうしくも私はそれを持っていった。
「これ、なあに?」
カナダから来ていた人が、ひとくち食べて聞いた。
「ソフトクッキー」
「すごくやわらかいクッキーね」
「そう?ベティ・クロッカーのだよ」
(ベティクロッカーはアメリカで有名な、簡単お菓子をたくさんプロデュースしているおばさんである)
「へえ、ベティ・クロッカーにソフトクッキーあったんだねえー」
うっかりの性格で何十年も生きていると、面の皮がどんどん厚くなり、
ベティ・クロッカーの名誉を傷つけることも、なんとも思わなくなるのである。
あな恐ろしや。
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詰めが甘い、とも言えるし、見通しが甘いともいえる。
本当は、もっといいところもあるはずなんだけれど、残念である。
炊き込みご飯を作った。
鶏肉と椎茸とにんじんが入った、釜飯風のもので、
むしょうに食べたくなるもののひとつ。
母親が日本人、父親がアメリカインディアンの血を持つという同僚が、
お好み焼きを作ってランチに持ってきてくれた。
そのお礼に、炊き込みご飯を食べたことがないという彼女に持っていこうと思った。
お米を研いで、お醤油を1合につき大匙1杯入れた。
これは私が炊き込みご飯を作るときの分量で、これだとお醤油の加減がちょうどいい。
だしが出るように鶏肉を少しいれ、塩を少し振って、炊飯器にセットした。
その間に、椎茸とにんじんと鶏肉を甘辛く煮ておく。
何度も作っていて、失敗のしようがない数少ないレパートリーのひとつだ。
ご飯が炊き上がり、蓋をあけた。
「?」
何かがおかしい。
やけにご飯が乾いている。
ゆっくりと記憶をたどってみる。
お米を研いだ。お醤油を入れた。鶏肉と塩を入れて・・・・・・
いつも、少な目の水のままでお醤油を入れ、そのあとで水を足すのだが、
今回は水を足さずにそのまま炊いた。ような気がする。
3合のお米に、たぶん、水は2合分ぐらいしか入っていなかった。
人に持っていこうというのに。
食べてみると、芯があるほどではないにしても、パラパラしている。
途方にくれたが、3合ものお米を無駄にするわけにもいかない。
横から夫が、
「鍋に移して水を入れて火にかけてみれば?」と言う。
そんな乱暴なやりかたでうまくいくはずが・・・と思ったが、素直な私はとりあえずやってみる。
お米は、水をぐんぐん吸い込むのに、パラパラのままだ。
水をどんなに足しても、全部吸う。
それでもまだ乾いている。
あの水はどこへ消えたのか。水を足し続けるのが怖くなった。
「水かけてレンジにいれてみたら?」
さらなる提案が出る。
失うものはないような気になってきて、やってみる。
器に入れ、水をかけ、ラップをしてレンジに3分かけた。
言われてみれば、ちょっとふっくらしていないこともないようだ、ぐらいになった。
もう一度水を足して、1分レンジにかけた。
出してみると、もうこれ以上水は吸えませんけんね、とお米が言っていた。
ここに椎茸などを煮たものを加えて水分が補給されることを思えば、そう悪くないかもしれない。
結果は、上出来ではないにしても、なんとか食べられるものにはなったと思う。
いまさら驚かない。
驚かないが、一応へこむ。
日本にいたとき、持ち寄りパーティがあって、私は自分の力量を知っているので、
失敗のしようがないカップケーキを持ってゆくことにした。
アメリカ製の、すべてが混ざった粉に、分量の水を入れて型に流して焼くだけだ。
アメリカ製のこういうものは、日本で買うと700円以上するが、楽には勝てない。
水と、オーブンの温度だけ守れば、子供にもできる。
私は箱の裏の作り方を追いながらボウルに材料を混ぜていったが、やたらと水気が多い。
これでは型に流し込むどころか、さらさらと流れ出てしまう。
そのまま読み進めると、そこに出てきたのが
『以上が、タルトを作るときの分量と作り方でした』
とある。
そのあとに、カップケーキの分量があった。
ああ私よ、なぜ最初にそれをちゃんと読まなかったか。
私はシャバシャバしたそれに、型に流せそうな固さになるまで小麦粉を加えた。
そしてそのまま焼いた。
できたものは、カップケーキというよりは、ふくらみそこねたスポンジ生地。
時間もないので、ずうずうしくも私はそれを持っていった。
「これ、なあに?」
カナダから来ていた人が、ひとくち食べて聞いた。
「ソフトクッキー」
「すごくやわらかいクッキーね」
「そう?ベティ・クロッカーのだよ」
(ベティクロッカーはアメリカで有名な、簡単お菓子をたくさんプロデュースしているおばさんである)
「へえ、ベティ・クロッカーにソフトクッキーあったんだねえー」
うっかりの性格で何十年も生きていると、面の皮がどんどん厚くなり、
ベティ・クロッカーの名誉を傷つけることも、なんとも思わなくなるのである。
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