先週、気づいた。
両肩が、しっかり焼けているではないか。
制服はノースリーブのハワイアンプリントで、その袖ぐりに沿って肌の色が違う。
前の仕事は、外の天気もわからない、窓のない建物の中だった。
今の仕事は建物の中ではあるが、ほぼ四方に開け放した窓や出入り口があり、
ようするに屋根だけがあるようなものだ。
すっかり油断していた。
ハワイに住み始めた頃、家にいるだけなのにうっすらと焼けてゆくことに驚いた。
家の中でも紫外線はあって、しっかり日に焼けるのだと友人が教えてくれて、
日焼け止めを塗るようにしたのだったが、いつのまにかすっかり忘れていたのである。
私はもともと、色が白いほうだった。
泳げないし、運動神経も鈍いので、アウトドアスポーツといったらスキーぐらいだったのも、
焼けずに済んだ理由かもしれない。
「うまれつき色白」の上に胡坐をかいていられたのも、40の声を聞くまでであった。
きっかけは、手の甲についた汚れが洗っても落ちなかったことだった。
よく見ると、それは汚れじゃなくてシミだった。
あわてて素顔を鏡で念入りに観察してみたら、どう考えてもシミと思われるものがいくつもあって、
目の前が暗くなった。
それをホクロだと思い込んでいた自分の能天気さにもあきれた。
それ以来、美白とうたわれるものを手当たりしだい試してきたが、
シミは目立ちこそすれ、消えることはなかった。
小麦色の肌がツヤツヤと美しいのは20代まで。
焼けた肌が、その張りを失ったらどうなってゆくか、恐ろしいサンプルを私はたくさん見ている。
同じ皺くちゃでも、黒くくすんだのと、白いのとでは、見た目が違ってくる。
昔、サーフィンが好きで真っ黒に肌を焼いていた友人が、シミができてもわからないぐらいに焼く、
と言っていたのを思い出す。
しかしどんなに焼いても、シミはシミである。顔全体に隙間もなくシミができるわけがない。
彼女は今、どうなっただろう。
「色白は七難隠すんだから、あんたあんまり焼いたらダメだよ」
今更ながら、母が言った言葉が身にしみる。
そして私は考え方を変えた。
できたものはあきらめよう。
ただ、これ以上増えないようにすればいい。
昔のように白くなろう、若返ろうなんておこがましいことは言うまい。
私はこの「現状維持」の謙虚な考え方が気に入った。
それでも、日本にいるうちはまだよかった。
1年の半分以上は紫外線が激減するし、夏場だけ気をつければいい。
しかしハワイでは1年中、日本の真夏の何倍もの紫外線が降り注いでいる。
窓の近くにいなくても、そこにはかなりの紫外線があると思っていい。
それなのに私は、油断こいて素肌を晒して、気がついたら現状維持どころか
確実な後退をしていた。
今でも、色が白いですね、と言われることがある。
しかし、その前には必ず、「ハワイにいるのに」という枕詞がつく。
日本から来る旅行者の、真っ白い肌に見とれることがある。
既に焼けて色が変わってしまった肩のことは、もう忘れよう。
この状態から現状維持をすればいい。
ていうか、それしかない。
日焼け止めをずっと塗っていると、肌が少し荒れるような気がする。
日に焼けてカサカサくすんだシミ婆さんになるか、
黒くはないが肌が荒れた婆さんになるか。
この人をやめて、あっちとつきあうか、
仕事を辞めて、専業主婦になるか、若い頃の二者択一は優雅だった。
年をとってくると、二者択一もなんだかやたら物悲しいものになってくるのである。
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両肩が、しっかり焼けているではないか。
制服はノースリーブのハワイアンプリントで、その袖ぐりに沿って肌の色が違う。
前の仕事は、外の天気もわからない、窓のない建物の中だった。
今の仕事は建物の中ではあるが、ほぼ四方に開け放した窓や出入り口があり、
ようするに屋根だけがあるようなものだ。
すっかり油断していた。
ハワイに住み始めた頃、家にいるだけなのにうっすらと焼けてゆくことに驚いた。
家の中でも紫外線はあって、しっかり日に焼けるのだと友人が教えてくれて、
日焼け止めを塗るようにしたのだったが、いつのまにかすっかり忘れていたのである。
私はもともと、色が白いほうだった。
泳げないし、運動神経も鈍いので、アウトドアスポーツといったらスキーぐらいだったのも、
焼けずに済んだ理由かもしれない。
「うまれつき色白」の上に胡坐をかいていられたのも、40の声を聞くまでであった。
きっかけは、手の甲についた汚れが洗っても落ちなかったことだった。
よく見ると、それは汚れじゃなくてシミだった。
あわてて素顔を鏡で念入りに観察してみたら、どう考えてもシミと思われるものがいくつもあって、
目の前が暗くなった。
それをホクロだと思い込んでいた自分の能天気さにもあきれた。
それ以来、美白とうたわれるものを手当たりしだい試してきたが、
シミは目立ちこそすれ、消えることはなかった。
小麦色の肌がツヤツヤと美しいのは20代まで。
焼けた肌が、その張りを失ったらどうなってゆくか、恐ろしいサンプルを私はたくさん見ている。
同じ皺くちゃでも、黒くくすんだのと、白いのとでは、見た目が違ってくる。
昔、サーフィンが好きで真っ黒に肌を焼いていた友人が、シミができてもわからないぐらいに焼く、
と言っていたのを思い出す。
しかしどんなに焼いても、シミはシミである。顔全体に隙間もなくシミができるわけがない。
彼女は今、どうなっただろう。
「色白は七難隠すんだから、あんたあんまり焼いたらダメだよ」
今更ながら、母が言った言葉が身にしみる。
そして私は考え方を変えた。
できたものはあきらめよう。
ただ、これ以上増えないようにすればいい。
昔のように白くなろう、若返ろうなんておこがましいことは言うまい。
私はこの「現状維持」の謙虚な考え方が気に入った。
それでも、日本にいるうちはまだよかった。
1年の半分以上は紫外線が激減するし、夏場だけ気をつければいい。
しかしハワイでは1年中、日本の真夏の何倍もの紫外線が降り注いでいる。
窓の近くにいなくても、そこにはかなりの紫外線があると思っていい。
それなのに私は、油断こいて素肌を晒して、気がついたら現状維持どころか
確実な後退をしていた。
今でも、色が白いですね、と言われることがある。
しかし、その前には必ず、「ハワイにいるのに」という枕詞がつく。
日本から来る旅行者の、真っ白い肌に見とれることがある。
既に焼けて色が変わってしまった肩のことは、もう忘れよう。
この状態から現状維持をすればいい。
ていうか、それしかない。
日焼け止めをずっと塗っていると、肌が少し荒れるような気がする。
日に焼けてカサカサくすんだシミ婆さんになるか、
黒くはないが肌が荒れた婆さんになるか。
この人をやめて、あっちとつきあうか、
仕事を辞めて、専業主婦になるか、若い頃の二者択一は優雅だった。
年をとってくると、二者択一もなんだかやたら物悲しいものになってくるのである。
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