太平洋のまんなかで

南の島ハワイの、のほほんな日々

スーパー三重苦

2016-06-12 15:57:30 | 日記
堂々と胸を張って言おう。

私はスーパー方向音痴であるとともに、スーパーメカ音痴である。

コンピューター、スマートフォン、車、特にこの3つはてんでわからない。

テクノロジーの恩恵にたっぷりあずかってはいるが、

アナログの世界で生きていけたらどんなにいいかと思うのも事実である。





この3つが、機嫌よく動いている間はいい。

しかし、いったん何か不都合がおきたとき、何がどうなってそうなるのかが

まったくわからないため、どうすることもできない。

友人に、わからないことはとことん調べたりして解決してゆく人がいる。

ところが私ときたら、スーパーめんどくさがりで、

困るにもかかわらず、自分で何とかしようという気が起こらない。

すぐに人を頼る。


その、私に頼られた人が、なんとか解決する。

それを覚えていて、今度は自分でできるようにしようと、一応は思う。

けれども、もともと興味のないことは、すぐに忘れる。

稀に自分で何とかできたことであっても、どんどん忘れる。

スーパー物忘れ なのである。



一番身近にいるのは夫なので、たいてい夫が私に頼られる。

夫も、メカに詳しいわけではないが、彼には何とかしようという根気があり、

それを忘れない記憶力がある。



こんな私であるから、コンピューターは不具合をみてくれるケアのある店で買う。

車は壊れにくい日本車。

携帯電話はどんなに型が古くなっても、使えるうちは使い倒す。

という方式で生きている。



スマートフォンは3年あまり使っていて、不都合などなかったのだが、

あろうことか携帯電話を換えることになった。

というのも、同時に買った夫の電話が突然死んでしまったからで、

どうせなら二人とも新しくしようと夫が言うのだ。

夫だけ換えても、そのうち私のも寿命がくるであろうし、気は進まなかったけれど

新しくすることにした。

「どれがいい?」

「電話ができて、メールができて、インターネットが使えるやつ」

「それはわかってる。何がいいかってきいてるの」

「アイフォンでしょ?」

「アイフォンはもうやめる、他のにするよ」

「え!アイフォンじゃないスマートフォンってあるわけ?」



この会話のあと、夫は黙って自分でネットでいろいろ調べ始め、

夫の休みの日に電話を買ってきた。

私はもう、自分の無知さに驚かない。

一般的にインターネットが使われるようになってきた頃、かれこれ25年以上は昔のことだ。

当時の職場の同僚が、パソコンの話をしていた。

私にはさっぱりわからなかったが、話を聞いているとインターネットというのは便利そうだ。

そこで私は彼に言った。

「私にもインターネットを買ってきてよ」

店に、「インターネット」というものが売っていると思っていた。

そのときの彼の目と、夫の目は同じだった。

驚きと憐憫の混ざった、未知のものを見る目。

あれから25年、私はあのときから大して進歩していない。



新しい携帯電話は、まったく気が滅入る。

やっと古いのに慣れていたところなのに、何もかも最初からやらなくてはならず、

それもスムーズにいかないのだ。

新しい端末に、すぐに飛びつく人もいるが、まったくその気持ちがわからない。

端末で遊ぶゲームも興味がないから、こういうものが好きじゃないんだと思う。



私がうんと若い頃は、普通の人はパソコンも持っていなかったし、携帯電話もなかった。

仕事で誰かに連絡をつけたいときには、ポケットベルがあった。

メールがなくても、携帯電話がなくても困らなかった。

待ち合わせに遅れそうな時には、駅の掲示板という手段もあったし、

連絡のつけようがないことを、みんな承知で生きていたから、そのことでこじれることも

受け入れるしかなかった。

来るかどうかわからない電話を、家族が取らないように電話の近くで待ったことも、

今では懐かしい思い出だ。

便利を知ったら、不便に戻るのは難しい。

でも、あの時代はあれでけっこう楽しくやっていたのではないかと思う。



スーパー方向音痴、スーパーメカオンチ、スーパーめんどくさがりの三重苦は

こうしてどんどん時代に乗り遅れてゆくのである。






にほんブログ村 海外生活ブログ 海外移住へにほんブログ村