離婚したあとに付き合っていた人に、麻婆豆腐を作ったことがあった。
私は何の迷いもなく、木綿豆腐を使ったのだが、
「麻婆豆腐は絶対に絹ごしだろう」
と彼は言った。
「柔らかすぎて崩れちゃうじゃん」
という私に彼は、
「その崩れるぐらい柔らかいのがいいんじゃないか」
と言いつつも、木綿豆腐を食べたけれど、あとで料理本を確かめてみたら、
確かに『絹ごし豆腐』と書いてあった。
私の母は、麻婆豆腐を作ったことがなかったと思う。
娘たちが家庭を持つようになって、母は時折、
「あんたたちは家で毎日何を作ってるんだかねぇ」
と言った。
「そりゃ、お母さんが作ってくれたようなものでしょ」
そう言うと、母は決まって困ったような顔をして笑うのだった。
姉も妹も、きっとそうだと思うのだけれど、
私は母が作ったようなものを、知らず知らずに繰り返し作っている。
妹など、料理の仕方まで母に似ている。
妹の家に行ったとき、鍋の蓋をひっくり返したところに揚げ物を乗せているのを見て
母もそんなふうにしていたことを思い出して大笑いした。
もちろん、いつもそうしていたわけではないけれど、安定の悪い蓋にどうして揚げ物を乗せるのだろう。
祖父母と同居していたから、お刺身や煮物が中心になりがちのところを、
母は子供達のために、洋風の料理もよく作ってくれた。
白鳥の形のシュークリームだとかも作ったし、人参と玉ねぎ、ジャガイモを使ったポタージュは、私も作り続けている。
母のポタージュには、少しだけご飯が入っていて、もったりとしていた。
さつまいものてんぷらは、ハワイにいてもむしょうに食べたくなるもののひとつだが、
母がやっていたように、衣にほんの少しの塩と、ゴマを混ぜる。
残ったてんぷらは、翌朝甘辛く煮てお弁当に入れる。
こんなふうに、母が作ってくれたものを作るとき、私は自然に手が動くのだけれど、
母が作らなかったものは、書きっぱなしで答え合わせをしない試験問題のようで、
いいのかどうかわからないままだ。
実家を出て20年あまりの間に、私が見つけた私の味も少しはある。
でも、どういうわけか、麻婆豆腐のように心もとない気持ちになる料理がいくつもあるのである。
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私は何の迷いもなく、木綿豆腐を使ったのだが、
「麻婆豆腐は絶対に絹ごしだろう」
と彼は言った。
「柔らかすぎて崩れちゃうじゃん」
という私に彼は、
「その崩れるぐらい柔らかいのがいいんじゃないか」
と言いつつも、木綿豆腐を食べたけれど、あとで料理本を確かめてみたら、
確かに『絹ごし豆腐』と書いてあった。
私の母は、麻婆豆腐を作ったことがなかったと思う。
娘たちが家庭を持つようになって、母は時折、
「あんたたちは家で毎日何を作ってるんだかねぇ」
と言った。
「そりゃ、お母さんが作ってくれたようなものでしょ」
そう言うと、母は決まって困ったような顔をして笑うのだった。
姉も妹も、きっとそうだと思うのだけれど、
私は母が作ったようなものを、知らず知らずに繰り返し作っている。
妹など、料理の仕方まで母に似ている。
妹の家に行ったとき、鍋の蓋をひっくり返したところに揚げ物を乗せているのを見て
母もそんなふうにしていたことを思い出して大笑いした。
もちろん、いつもそうしていたわけではないけれど、安定の悪い蓋にどうして揚げ物を乗せるのだろう。
祖父母と同居していたから、お刺身や煮物が中心になりがちのところを、
母は子供達のために、洋風の料理もよく作ってくれた。
白鳥の形のシュークリームだとかも作ったし、人参と玉ねぎ、ジャガイモを使ったポタージュは、私も作り続けている。
母のポタージュには、少しだけご飯が入っていて、もったりとしていた。
さつまいものてんぷらは、ハワイにいてもむしょうに食べたくなるもののひとつだが、
母がやっていたように、衣にほんの少しの塩と、ゴマを混ぜる。
残ったてんぷらは、翌朝甘辛く煮てお弁当に入れる。
こんなふうに、母が作ってくれたものを作るとき、私は自然に手が動くのだけれど、
母が作らなかったものは、書きっぱなしで答え合わせをしない試験問題のようで、
いいのかどうかわからないままだ。
実家を出て20年あまりの間に、私が見つけた私の味も少しはある。
でも、どういうわけか、麻婆豆腐のように心もとない気持ちになる料理がいくつもあるのである。
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