働き始めて割とすぐに、夜間のインテリアコーディネーターの学校に通っていたことがある。
どうしてそういうことになったのか、どうしても思い出せない。
私のことだから、何かヒラメイタのだろう。
2年間の学校生活は楽しかった。
授業もおもしろかったが、仲良くなった仲間たちと授業の帰りに夜食を食べていったり、
休みに1台の車に乗って東京まで行って、青山で買い物めぐりをしたり、
時代はバブルで、独身だった私達もまた、それなりにバブリーなOLだった。
あるとき、4,5人のグループを作って活動する授業があった。
私のグループは、私と、同じく二十代のAと、クラスで唯一男性のHと、
クラスで最年長の、県庁で働くTさんという顔ぶれだった。
Tさんは、50代に思えたが、今思うと40代だったかもしれない。
子供の頃の学校の先生はずいぶん年寄りに思えたけれど、実は案外若かったというのはよくあることで
二十代前半だった私は、まだその名残があって、年上の年齢には無頓着だったと思う。
Tさんは仕事帰りというのもあって、いつもきっちりとしたスーツに長身を包み、
美人というのではないが、雰囲気がある、控えめでにこやかな人だ。
唯一男性のHは、30歳ぐらいの、面長で、危険な感じがまったくしない人だ。
授業の中だけでは作業が進まず、休日に4人でTさんの家に集まることになった。
Tさんはマンションに一人で住んでいた。
東京に息子さんがいるということだけで、自分のことはあまり話さなかった。
お昼をうちで食べましょうよ、というTさんの提案で、私達は昼前にTさんのマンションに行った。
玄関を入って、少し歩いて右に曲がると、壁一面が窓の明るい部屋があった。
リビングの向こうにあるダイニングスペースに向かって歩いていくと、窓とは反対側の壁にドアがあり、
そのドアが、片足が入るぐらい開いていた。
そしてその開いたドアから、ちょうど見えるところの壁に、真っ白な、長いネグリジェが吊るしてあるのが見えた。
そのネグリジェの、なまなましさといったら、なかった。
それはコットン素材の、胸と裾と袖口にたっぷりフリルがついたデザインだ。
でもネグリジェそのものが、というよりも、それを見せたかったTさんが、なまなましかった。
住まいは隅々まで気を配って片付けてあるのがわかった。
だから、寝室であろうその部屋のドアを閉め忘れたはずがない。
ダイニングテーブルには、料理屋さんで出てくるような懐石風のお弁当が用意されていた。
お弁当箱には、Tさん手作りのお惣菜が美しく盛られていた。
「すごーい、おいしそうーー!」
私は、AとHに合わせてその場を繕っていたが、心は上の空だ。
Hは、あれを見ただろうか。
Hの顔をさりげなく観察したが、Hはいつものようにのんびりと笑っているだけだ。
ドアの隙間からちょうど見えるように、隙間の具合やネグリジェの場所を確認したであろうTさんの顔を
まともに見られなかった。
それは、母親の「オンナ」の面を見てしまったような気持ちに似ているだろうか。
当時のTさんの年齢を、たぶん私は超えてしまった。
この先自分に、ありふれた穏やかな人生が待っていると信じていた頃の私にはわからなかったことが、
今の私には少しはわかるようになったと思う。
あのときのTさんに、今は容易に自分が重なる。
だから今、そのネグリジェのことを思い出すとき、
なまなましさよりも、苦い味が口に広がってゆくような気持ちになるのである。
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どうしてそういうことになったのか、どうしても思い出せない。
私のことだから、何かヒラメイタのだろう。
2年間の学校生活は楽しかった。
授業もおもしろかったが、仲良くなった仲間たちと授業の帰りに夜食を食べていったり、
休みに1台の車に乗って東京まで行って、青山で買い物めぐりをしたり、
時代はバブルで、独身だった私達もまた、それなりにバブリーなOLだった。
あるとき、4,5人のグループを作って活動する授業があった。
私のグループは、私と、同じく二十代のAと、クラスで唯一男性のHと、
クラスで最年長の、県庁で働くTさんという顔ぶれだった。
Tさんは、50代に思えたが、今思うと40代だったかもしれない。
子供の頃の学校の先生はずいぶん年寄りに思えたけれど、実は案外若かったというのはよくあることで
二十代前半だった私は、まだその名残があって、年上の年齢には無頓着だったと思う。
Tさんは仕事帰りというのもあって、いつもきっちりとしたスーツに長身を包み、
美人というのではないが、雰囲気がある、控えめでにこやかな人だ。
唯一男性のHは、30歳ぐらいの、面長で、危険な感じがまったくしない人だ。
授業の中だけでは作業が進まず、休日に4人でTさんの家に集まることになった。
Tさんはマンションに一人で住んでいた。
東京に息子さんがいるということだけで、自分のことはあまり話さなかった。
お昼をうちで食べましょうよ、というTさんの提案で、私達は昼前にTさんのマンションに行った。
玄関を入って、少し歩いて右に曲がると、壁一面が窓の明るい部屋があった。
リビングの向こうにあるダイニングスペースに向かって歩いていくと、窓とは反対側の壁にドアがあり、
そのドアが、片足が入るぐらい開いていた。
そしてその開いたドアから、ちょうど見えるところの壁に、真っ白な、長いネグリジェが吊るしてあるのが見えた。
そのネグリジェの、なまなましさといったら、なかった。
それはコットン素材の、胸と裾と袖口にたっぷりフリルがついたデザインだ。
でもネグリジェそのものが、というよりも、それを見せたかったTさんが、なまなましかった。
住まいは隅々まで気を配って片付けてあるのがわかった。
だから、寝室であろうその部屋のドアを閉め忘れたはずがない。
ダイニングテーブルには、料理屋さんで出てくるような懐石風のお弁当が用意されていた。
お弁当箱には、Tさん手作りのお惣菜が美しく盛られていた。
「すごーい、おいしそうーー!」
私は、AとHに合わせてその場を繕っていたが、心は上の空だ。
Hは、あれを見ただろうか。
Hの顔をさりげなく観察したが、Hはいつものようにのんびりと笑っているだけだ。
ドアの隙間からちょうど見えるように、隙間の具合やネグリジェの場所を確認したであろうTさんの顔を
まともに見られなかった。
それは、母親の「オンナ」の面を見てしまったような気持ちに似ているだろうか。
当時のTさんの年齢を、たぶん私は超えてしまった。
この先自分に、ありふれた穏やかな人生が待っていると信じていた頃の私にはわからなかったことが、
今の私には少しはわかるようになったと思う。
あのときのTさんに、今は容易に自分が重なる。
だから今、そのネグリジェのことを思い出すとき、
なまなましさよりも、苦い味が口に広がってゆくような気持ちになるのである。
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