太平洋のまんなかで

南の島ハワイの、のほほんな日々

私をチリチリさせるもの

2019-08-13 20:42:22 | 日記
最近同じ職場で働き始めた19歳のジェイミーは、
少し浅黒い肌をもつ、地元の子だ。

仕事を終えて、車で走っていると、
バス停にジェイミーがいた。
ジェイミーは、特大の旗(ハワイ州の旗とはまた違う、地元の旗がある)
を首に巻いて、まるでマントのように背中に垂らし、
両手の人差し指と親指をくっつけて、三角をつくったものを頭の上に掲げて、
道をゆく車に向かって立っていた。
これは、今、ハワイ島のマウナケアという富士山よりも高い山に、
新しく星を観察する施設を創ることに反対する運動のひとつで、
路肩で大きなグループが旗を掲げてアピールしているのをよく見る。
しかし、ジェイミーは一人で楽しそうに、
旗をマントにして、道端に立っている。


人にどう思われるか気にせず、
自分がやりたいことをやる人を見ると、胸のどこかがチリチリとする。



日本に住んでいたとき、夫が、図書館の近くにある鉄道のガード下が
音が反響するといって、ギターを持って歌を歌った。
アパートの隣の、ものすごく偏屈なおばあさんのところに、
ハワイのお土産のカレンダーをあげたいと夫がでかけていった。
「いらないってさー」と言って戻ってきて、平気な顔をしていた。

私の父がハワイに来た時、空港まで迎えに行ってくれた義両親の車の中で
一人で日本語でしゃべり続けていた。
たぶん、黙っているのは申しわけない気持ちと、生来のおしゃべり好きがそうさせたのだと思っている。

メキシコ人のミレナが職場で働き始めて半月もしないときに、
ミレナの誕生日があって、同僚達をパーティに誘っていた。互いにほとんど知らないし、パーティに行ったのは私だけだった。


パーティに呼んで、断られたら悲しいと、思ってしまう。
自分がたいしたものでないと見せ付けられるような気がしてしまう。
物をあげて、迷惑そうな顔をされたら傷つくと思ってしまう。
人に、どう自分がみられているか、気になる。
だから私は、来てくれるとわかっている人しか誕生日に誘えない。
喜んで受け取ってくれるとわかっている人にしか、お土産を渡せない。
ガード下で歌を歌いたくても、歌えない。
日本語がわからない人に、日本語で話し続けられない。

断られることを恐れない人に、私はなりたい。
人の目を気にせず、好きなことをやれる人にあこがれる。

そんな話をしたら、ある友人が、
私もどちらかというと既にソッチに入る人間じゃないかと思う、と遠慮がちに言った。
「まさか!」
「履歴書をピンクのペンで書く人なんか、聞いたことないしさ」
確かにそういうことはあった。それも40過ぎて。
しかし、そのときはピンクのボールペンしか持っていなかったのだ。
私が、ソッチにみえるとすれば、
それは私が単に世間知らずで変わり者だからであって、私としては、まわりを気にしながら生きているつもりなのである。


近所に越してきた人を真っ先に訪ねる。
車椅子の人や、ホームレスに元気に挨拶をする。
私の1番身近で、夫はきょうも私をチリチリさせてやまない。