太平洋のまんなかで

南の島ハワイの、のほほんな日々

文化と文化の間には狭いが深い溝がある

2019-08-29 20:08:44 | 日記
ガイジンと結婚して、外国に住んでいれば、
おおかたの文化の違いは、折り合いがつけられるようになるものだ。
それは生きやすくする術でもある。
が、どうしても超えられない溝もある。

たとえば、

夫がシャワーを浴びて、バスタオルで身体を拭きつつ、
そのバスタオルで「ぶー」と鼻をかむ。
そしてそのタオルを、タオル掛けにもどす。
「なんでタオルで鼻をかむの?」と聞いたことがある。
「だって、タオルでしょう」
と、まったく私の答えになっていない答えが返ってきた。

夫に限らず、多くの人がハンカチで鼻をかみ、
それをまたポケットにねじこむ。
日本では昔、ティッシュのことを「はながみ」といった。
はながみは、鼻をかむから、はながみではなかろうか。
鼻をかんだら、捨てる。
鼻をかんだタオルやハンカチは、乾いたら鼻水のあとがガビガビに乾いて光っていそうじゃないか。

たとえば、

旅行から戻ったスーツケースをベッドの上に置く。
これは夫だけかと思ったら、そうじゃない。
さんざん外をゴロゴロと引き回してきたスーツケースのキャスターは
誰かの痰や、なにかよくわからないものがいっぱいついてる、と私は思う。
汚いとかいったことに、かなりおおらかな私でさえ、思う。
ベッドのカバー的なものは、カバーであるのと同時に上掛け布団でもある。
だから、それをベッドの上に直接置くのは、気がすすまない。

日本に住んでいた時、何度となく義両親や義兄が訪ねてきた。
彼らは、一応玄関で靴を脱ぐ。
しかし、鍵を忘れたといって部屋に戻ってくるときは靴のままであがる。
畳の部屋に置かれたスーツケースの隣に、靴が揃えてある。

なにをもって汚いと思うかは、
その人がどんなふうに育ったかにも左右されるだろう。
私がそういうことにおおらかなのは、母のおかげだと思う。
いつだったか、台所の排水溝に何かが流れてしまい、
指を入れるのをためらった私に母は
「食べられるものが排水溝に入っていくだけだから、汚いことなんか何もないよ」
と言い、私は妙に納得したのだった。

しかし、鼻をかむとかスーツケースとか、
こういう場面に何度も出くわすと、これはもう文化の違いとしかいいようがない。
10年以上過ぎてみて、これらに慣れることはあっても、
なにも感じなくなるほどに馴染むことは永遠にないだろう、と思うのである。